-柚希6才-幾日経った今更は(2/4)
──あれから、僕は急いで準備をしたのちに2時間かけて柚希と共に目的の建物の地下駐車場に到着した。わナンバーのそれを来賓用のスペースに停めたところで僕は力尽きる。
「おぇ……」
「おと~!?!?」
本当に何かを吐き出したい訳じゃないのに僕はただ、ハンドルに頭を預けながら柚希の声に対して嘔吐くことしか出来ない。緊張しすぎて。
小さな息子がワタワタと僕の背中を何度も撫でてくれるのが愛おしく、同時にそれ以上に胃苦しかった。 しかし「わぁぁ」だとか「がぁぁ」だとか「ん~」だとか言葉にならない声をだしていたところで、時間を稼ぐにもやはり限度はあったようだ。
「あの?どうかされ……えっ、あの大丈夫ですか?」
車を停めてから一向に出てこない僕たちに違和感を覚えたらしい警備員が窓まで駆け寄ってきて声をかけてきたから。 最初は怪しむような鋭かった声色が段々と心配そうなものへと変わっていた。
「お、おとーがしんじゃぐっっっぷぁっるる」
「大丈夫、大丈夫です。今おります……」
柚希がとんでもないことを言い出したのを察知して慌てて口を手のひらで覆い(唇がずっと手のひらで震えててくすぐったい)警備員には軽く会釈をしてからエンジンをようやく止めた。ついでに柚希の口からも手を離す。
「ぷはっ……おと~いまからいく所、怖いところなの?ならいかないよ、? おとーいたい、なら、いかないよ」
あまりにも優しい柚希の一つ一つの仕草や言葉に目尻に涙を貯めていると、本気で心配そうな顔つきになったので急いで安心させるように自分の口角を上にあげた。
「大丈夫、大丈夫だよ、柚希」
怖いところ? に対しての質問に返せないことを申し訳なく思いながらも、何
とか大丈夫、と自分にも言い聞かせるような形で呟いてようやく外に出る。
薄暗い地下駐車場の寒すぎるほどの空気に少しだけ落ち着きを取り戻し始めた。 それから後部座席の扉を開け、腕を伸ばしながら構えていた柚希を流れのままにヨイショと抱き上げる。
「じゃあ行こうか」
「うん!」
ゆっくりと歩いてエレベーターに乗り込み受付のある階を押した。 間違えて企業フロアの受付がある階を押していないか注意しながら。
「はぁ……」
本当ならば、いまごろ直で祖父の平屋に行っていたはずなのにと、本日何度目か分からない深いため息をつく。 本当ならば集まりも明日の予定で平屋へ直行するはずだったのに、先に僕が実家に訪れたのにはちゃんと訳がある。
届けられた詳細に”会場:清水鷹臣、平屋”と書かれた文字の上から太く二重線を引かれ、朱書で”〇月〇日に家にくるように”と書かれていたから仕方がない。
恐らく、家族の体裁だとか何だとかを考えて、親戚全員で集まる前に僕と何かしらを擦り合わせしたいのだと言うことは分かりきっている。 だけど、少しでも嫌な雰囲気を感じとったら僕は柚希の耳を塞いで帰宅するつもりしかない。この子の耳に嫌な言葉を聞かせたくないから。
そして受付で、僕は要件を伝えると既に客人リストに入っていたのかスムーズに各部屋へ続くエレベーターへと案内された。昔は優雅に本等を読みながら乗っていたはずのここも、今では一つ一つの装飾や綺麗さばかりが目に入ってソワソワと落ち着かない。僕の腕の中にいる柚希も僕とほぼ同じ状況である。
こんな高層の部屋にかつて住んでいたのかと、詳細を見た時に目を見開いた階のボタンを押してゆっくりと上に進むこと数十秒。 目的の場所にたどりつく。無情にも扉は(ボタンを押す際に専用のカードキーをタッチしていた事で)あっという間に開いてしまう。 僕の胃はまた暴れた。
僕のマンションのトイレよりもでかいんじゃないかと目を疑う程の玄関にゆっくりとお邪魔する。 あまりにも静まり返っているものだから、本当に僕は呼ばれてここに来たのだろうか?と若干の不安が芽生え始める。
再度、胃からせりあがってくる何かをゴクンと飲み込んで必死に耐えていると、コツコツと足音が遠くから響いてきた。 その音と共にピリピリとした雰囲気をまとってやってくる人物。
その人物こそ「おと~が2人?」と 柚希が言ってしまうほどに僕と背丈や雰囲気が似ている三歳下の弟である。 最後に見た時はまだ大学生で緩んでいた印象だった彼も今では随分と社会に揉まれて洗練された大人になっていた。
それから柚希に気づいた瞬間、ピタッとそれまで纏っていたピリピリとした雰囲気が一瞬にして消える。
「子ども……いたんだ。にい、樹さん」
どうやら彼も僕の呼び方に悩んでいたようだ。途中までの言葉を聞く限りだと、まさか昔から僕をそう呼んでいたかのように、兄さんと声をかけられるかと思っていたのだが、実際は僕の名前にさんを付けて様子を伺ってきた。
こう、もう少し胸ぐらを掴まれたりするくらいの覚悟はしていただけに、ドギマギとしたこの邂逅は随分と気まずいものだった。僕のことを睨みたい気配は感じるけどそれをしないのは、柚希がいるほかない。弟が優しくて不器用である事は幼い時から知っているから。
そして一周まわって落ち着いてきた胃をゆっくりと撫でていると突然、柚希の頭が僕の肩に埋められた。 どうやら訳の分からない状況に困惑してしまったらしい。
「怖いか?」
「おとーがふたり、へっぺけげんがーおとーしんじゃう」
恐らくドッペルベンガーと言いたいらしい柚希に、何処でそんな言葉を覚えたんだと聞きたい好奇心を頭の片隅に、ゆっくりと柚希を床に降ろそうと試みる。 しかしまぁ、降りたくないようで僕の首筋に回した手に力を入れて阻止してきた。
そんな攻防戦を数分間続けていると斜め上から少し野太い声が響いてきた。
「子ども、首を強く掴む方がお父さん死んでしまうんじゃないかい」
僕は弟のその言葉に思わず頭を抱えてしまう。 間違ったことは言っていない。言ってないけど柚希がこうなっている原因に低い声でこんなことを言われたら……あぁほら、みろ。余計に僕の首に力がかかってミシミシと音が鳴り始める。
僕の首が折られてしまう前に、慌ててもう一度抱き上げながら立ち上がる。 しかしもう、まるで赤ちゃんかのように全体を震わせるように、顔も真っ赤に染め上げて「うわぁぁぁぁぁあぁあん」と泣き声が僕の耳元で弾ける。思わず「ウッ」といった僕は悪くない、はずだ。多分。
【あっぢのおどーごわ”い!ぎら”い】
子どもに震え上がる勢いで泣かれたことが無いらしく、ショックで顔面蒼白にしながらカカシになってしまった弟と、「おとー怖い嫌い」の流れ弾でボロボロ涙流しながら身体を揺らして柚希を落ち着かせようとしている僕。 それから未だ僕の腕の中でわんわんと号泣している柚希の声が、この大理石の床で作られた広い玄関と奥へ続く廊下に虚しく響いていた。
祖父の葬式への第1歩は、そんな僕の予想していなかった形の混沌さを伴って幕開けされたのであった。




