-柚希6才-幾日経った今更は(1/4)
特になんの予定も入っていない、穏やかな休みの日の明朝だった。 なにかがポストに投函された音が聞こえたのは。 新聞なんて取っていなかったはずだ、と僕はキッチンで手にしていたココアの入ったマグカップを台に置きつつ眉を顰める。
それからまだ6歳の息子の柚希が寝室で寝ていたこともあって、起きてなければいいかと足音を静かに取りに向かう。 できる限り足音を立てないように、投函口を除くと見覚えのある1枚の封筒が入れられている。それに【速達】と書かれていてやけに重みもあった。
「清水製薬株式会社から? なぜ、いまさらこんなもの」
独り言を呟かずにはいられなかった。 企業の封筒ではあるが、それは8年も前に縁を切っている実家から届いた手紙だと、(慣れで)分かりきっていたから。
今はもう亡き妻と結婚したいと申し出た時に鼻で笑う父と父の顔色をうかがうだけで、妻の顔を見ようともしなかった母。 それから不機嫌な様子を隠しもせずに僕を罵ってきた3歳下の弟。
彼らは妻が遠く離れた島の出身だった上に、既に天涯孤独だった事を知るや否や態度を変えてきたのだ。 あの瞬間を僕は忘れないだろうし、その時になって僕は初めて家族という存在に落胆した。
昔からお金は当たり前のように沢山あって、やりたいこともたくさんやらせてもらえたし十分すぎる程の愛情だって貰ってきた自負はある。 だけどそれが、まさかここまで身分や環境で人を差別するような人達だとは思わなかった。
普段は周りを呆れさせてしまうほど泣き虫な僕だけど、その時だけは妻の前に出た。 そして何処かの少年漫画の主人公のように格好つけて「”おれ”の愛する彼女を傷つけるような貴殿らに合わせる顔はありません」と強気に言い放った末に踵を返してタワマンから出たのを最後に、今まで接点なんて一切持つことなどなかった。
そもそも連絡先なんてとっくに消していたし、縁を切った以上は連絡する必要なんて微塵もなかったから。 それもあって向こうは僕の居場所の把握なんてしていないだろう、出来ないだろうと高を括っていたのにその彼らからの封筒が手元にある。
このままモヤモヤしていたところでお腹が満たされる訳もなく、ただ胃がキリキリと痛くなるだけな現実に重いため息をついてからバリバリバリと雑に開封する。
そこには、いったい今は江戸時代ですか?と言いたくなるほど達筆に【清水鷹臣─シミズ タカオミの葬式に来たれし】と書かれていた。清水鷹臣は僕の祖父に当たる人物で、僕の記憶が間違っていなければ今年で95歳になっていたはずだ。
ふと遠い記憶のなかで祖父の姿がぼんやりと浮かぶ。祖父の家は昔ながらの大きな平屋で、そこを訪れる度に縁側で一緒になってお茶を啜って本を読んで頭を撫でられていた……そうか、祖父は亡くなったのか。しかしそんな身内に対する訃報への僕の感想はたったのそれだけだった。 僕自身も驚いてしまうほど、対した感情は湧き出て来なかった。
だがしかし、何よりも怖いのは縁を切っている僕にこの手紙を送った理由に検討がつかないことだ。 風の噂で祖母が亡くなったと知った3年前があるから、懐疑心の方が先に来てしまうのは仕方ないだろう。そんな気持ちももう1枚の紙によってあっという間に消えてしまった訳だが。
「あぁ……そういう」
随分と乾ききった声が静かな室内に響いて、思わずハッと口を抑える。 それから封筒の中に隠れていたもう1枚の紙を改めてじっくりと眺める。
どうやらこれはPCで入力されたらしい文字で、日取りや時間など詳細な内容が形式的に書かれている。おそらく参列予定者全員に配布されているものだろう。 そしてその全員に該当しない部分といえば余白に書かれている手書きのメモだ。何処か丸みの帯びた見覚えのある──母の字。腹の指で1文字1文字なぞるように読んでみる。
『貴方が母や父の事をよく思っていないことはよく知っています。 実際に私達も当時は酷く言いすぎたと、亡くなったお父さんが入院して初めてキツく諭されて気付きました。 私達のことはともかく、最期まで貴方の事を案じていたお父さんの為にも葬式に参加してくれることを望んでいます……是非、里奈さんもご一緒にね』
そう書かれた文字に僕の顔は歪む。 ようは僕の縁切りは今年(か去年かわからないが)になるまで祖父に伝えられていなかった、という事だろう。
「今更……」
今更になって妻である里奈も一緒に来いと言われた所で、既に六年も前に亡くなっている彼女を連れて行けるわけなんてないのに。
しかし、文中にあるように僕の身を最期まで案じて旅立ったであろう祖父の事を想うとわずかばかりの良心がズキッと傷んだきがした。思わず「はぁ……」とため息をつく。
「おとぉ?……どーしたの」
「おっ……とぉ?」
僕の重いため息に返事がくるだなんて思っていなかったから、驚いて思わず封筒を落としてしまった。 それから声の持ち主をちらりと見ると、まだ眠たげに瞼を擦っている息子の柚希が目に入る。
すぐに僕は床に膝をついてから、小さな肩を抱き寄せて、背中をポンポンと撫でる。 そうすればふにゃっと笑う息子のなんと愛おしいことか。 今度はゆっくりと前髪を掬い上げるように何度か撫でると流石に煩わしいと思ったのか何度か頭を横にふぁさふぁさと振られてしまった。
「すまないすまない……それにしても起こしちゃったか?」
「んーん、おとーがいなくなっちゃうの」
……なるほど。 どうやら僕の気配が玄関の方にある事を感じ取って、恐らく置いていかれると不安になったのだろう。僕がそんなことする訳なかろうに。可愛らしい(曰く重大な)息子の不安にふっと口元が緩む。
「柚くん……ちょっとだけいいかな」
「ん、なあに」
自分の気持ちとしては、あまりにも言いたくない言葉に気を重くしながら僕は柚希に問いかける。
「おとー、と一緒におじいちゃんのおうちに行かないか?」
……そしてその一言を放った瞬間だった。眠たげだった柚希の目がぱっと見開いて、キラキラと輝いたのは。その時点で僕は諦めに似たようなため息が出た。
「ぼくにもおじーちゃんっているの!? いきたーい!」
目尻を情けなく下げつつ、僕は笑って柚希の両肩を優しくポンっと叩いて「じゃあ行こうか」と返した。
【僕の胃は今にも破裂してしまいそ……】
いつも通りの日課となっている妻への報告メールをそこまで書いて、僕は途中で消した。 だって今日の日課を書くには今日はまだ始まったばかりだから。




