-柚希6才-舞台へ駆けて
僕は急いでいた。 6歳の息子の、最後のお遊戯会に向かうために。
前々から会社には休みの予定を申請していたと言うのに、色々な要因が重なったせいでどうしても午前中は仕事に行かなくては行けなかった。午後あがりをもぎ取ったものの、それでもギリギリ。
昼食も一緒に食べられないからとお弁当を用意して、絶対に午後の息子の、柚希の出番は見るからなと何とか説得して登園して行った息子をこれ以上裏切る訳には行かなかった。
息子の出番は13:30分~50分。 シンデレラの王子様という何とも大きな役を演じるらしい。 ここで見なきゃ一生、後悔してもしきれないのは考えなくてもわかること。
信号待ちの間も顔を歪めながら、腕時計を見ると既に13:20分になろうとしている。 この場所からは早歩きでも15分はかかる。 開演にはもう間に合わないかもしれない。
ここに来るまでにも随分と走ったせいで、汗もダラダラと流れ、シャツもまるで濡れ鼠の様だったし、運動不足に加えただでさえ喫煙者の僕の肺はもう限界寸前だった――太ももを何とか叩きつけて、信号が青になったと同時に走り始める。
間に合え、間に合えッ……間に合えッッッ!一心不乱に僕は走る。
情けなくも、途中で足がもつれてしまい、酷く転けてもろにぶつけたひざ、それからザザザッと手のひらを滑らせた時に掠らせた手のひらもジンジンと熱を持って痛い。 ズボンを捲れば恐らく、少なくない血だって流れているかもしれない。
昔の僕なら、ここで音をあげて座り込んでたかもしれない。だけど、僕は1人の父親で、ヒーローだ。そんな僕を待っている子がいる。 だから頑張る。未熟だけど、それでも、僕はたった一人のヒーローだから。
そして……ついに僕は園の前までたどり着く事が出来た。 いそいで受付のあるピロティに向かうと、年少組の親御さんが居た。 僕を見つけて酷く安堵した表情をしている。
「ゲホッゲホッ……ついた」
「清水さんッッッ!よかっ……その怪我どうしたんですか!?」
駆けつけてきたその人は僕の怪我に目を見開いていたけど、状況を悟ってくれたのかすぐに舞台に案内をしてくれる。 園の体育館。既にドアの前には園長先生がいて、顔パスで通してくれた。
中は薄暗くて、舞台だけがライトアップされていて静かだった。見覚えのある柚希と同じ兎クラスの子ども達が一生懸命に覚えた演技を頑張っている。
時計は既に13:39分を示していた。 最後の10分を必死に見届けようと、一番後ろの壁に背中を預ける……どうやらシンデレラは勘違いで、内容は白雪姫を下敷きとしたストーリーのようである。
白雪姫役の女の子が立ったまま両手を重ね、それを頬にあてて眠りにつく。 その周りを小人役の子どもたちが、可愛らしい曲と歌でくるくると回っている。
そして40分。 馬の鳴き声の音と共に現れたのは、王子様の衣装を着ている柚希。 柚希も必死に覚えたであろう動きと歌で白雪姫の正面で演技してた……だけどその声が震えているのは、僕のせいだろう。
「しろい、おはだ、ぼくのおひめさまに、」
そう言って、柚希が白雪姫役の子の両腕を握って、歌を歌うと女の子は徐々に目を覚まし、ゆっくりと踊り始めた。ここからフィナーレに入るのだろう。
――45分、登場人物が全員揃い、フィナーレは開幕した。開幕と同時に一際大きな楽器の音が体育館全体に響き渡る。
(うん……柚希、がんばれ)
そしてそのフィナーレの最中に僕は柚希とばっちりと目が合う。
僕は目だけ細めて応援をする。遠目からでも柚希の顔が真っ赤になって行くのがわかる。だけど、踏ん張っているようで必死に笑顔を保ちながら……今までで1番の笑顔、声量で歌う。
そしてゆっくりと、カーテンが幕を降りていくのをみながら、溜まっていた涙を指で拭った。
「うん、うん。大きくなったなぁ、柚希」
僕は誰よりも先に、パチパチと大きな音を立てて拍手をした。カーテンの向こうにいる大切な息子に届くように。
【いくらズレたって、僕は柚希の秒針に追いつくよ。絶対に】




