81.街角視察へ
翌日早朝。
私はいつものように朝五時に起き、その後執事業をテキパキとこなした。
そのうえで、メアリー様と陰たち使用人教育のことで打ち合わせをし、お出かけの準備を整えていらっしゃるはずのお嬢様が待つ、三階サロンへと足を運んだ。
本日二度目の入室である。
「ヴィクター、もう雑務は終わりまして?」
「はい。すべて万事、整ってございます」
「そう! それはよかったですわ。また余計な邪魔が入って、せっかくの楽しみを潰されてはたまりませんからね!」
そんなことをおっしゃって、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべられる。
あぁ……。
それを見た私が随分と懐かしい気分にさせられたのはいうまでもありません。
まさしく本来の歴史でよく拝見していた高笑い。
あれを彷彿とさせられ、なんともはや不安になってしまった。
本当にお嬢様は軌道修正できているのでしょうか?
もしもまた、あのような性悪――もとい、個性的な性格になられでもしたら、五年後、学園生活で他の貴族のご子息方をかしずかせてしまわれかねない。
そうなったら大事です。
なんとしても阻止せねば。
「どうかいたしましたか? ヴィクター」
どうやら硬直してしまったようです。
お嬢様がきょとんとされていた。
「いえ、なんでもございません。ささ、あまりお時間もございませんし、早速まいりましょうか」
「えぇ。本日はよろしくお願いしますね」
そうおっしゃったときのお嬢様は、本当に楽しそうに微笑まれていた。
◇
時刻は既に十時を回っている。
お嬢様をお連れして車庫へと移動する。
お嬢様がお屋敷の外へと向かわれるときには、当然侍女も付き従うこととなる。
本来、本日の早番は昨日と同じマーガレットであったが、買い物も兼ねた視察という話を耳にした遅番のリセルが、自分もご一緒したいと進言してきた。
なんでも、「今度のお茶会はお嬢様がはじめて主催されるとても重要なもの。ですから私も、是非ともお嬢様のお力になりたい」とのことだった。
本当であればそのようなわがままは許されないのですが、今後も定期的にこのような視察が行われることを鑑みて、勉強に丁度いいでしょうと、彼女の同行も許可した。
それから昨日、旦那様方との間で話し合われた議題――不審人物の目撃情報のこともありましたので、護衛としてガブリエラ女史とシファー女史の姉妹騎士もつけることした。
今の私であれば大抵の敵なら一人でも守り切れますが、やはり万が一ということもあります。
最優先でお守りしなければならないのは当然お嬢様だけですが、できることなら二人の侍女や御者もお守りしたい。
そうなると、さすがに私一人では力不足だ。
――まぁ、実地訓練も兼ねて、エルフリーデとコンラートも連れていくことにしましたし、これで抜かりはないでしょう。
ただ、つい先刻の打ち合わせ時に、そのことを彼らに通達すると、
「ヴィクター様! ありがとうございます! 是非、ご一緒させてください!」
と、彼らはなぜか泣いて喜んでいた。
意味がわかりませんね。
そんなわけで少々大所帯となってしまいましたが、私含めた護衛五人、侍女二人、御者一人、そしてお嬢様の計九名で視察に向かうことになった――のだが。
「おや? どうしてあなたまでここにいるのですか? クラリス嬢」
既に護衛騎士らが乗る馬や馬車の準備が整っている車庫へと到着したとき、なぜかエルフリーデやコンラートの二人と手を繋ぐようにして、彼女までいたのである。
しかも、とてもニコニコしながら。
「ヴィクター。その子は私がお誘いしましたの」
「は……?」
私の背後で、お嬢様がおかしなことをおっしゃった。
「今なんと?」
「ですから、今日のお買い物にクラリスも連れていくことにしましたの」
そう結び、ニコッとされる。
お嬢様ぁ……!
そのような笑顔を向けられましても、私は誤魔化されませんぞ!
「お嬢様」
「すと~~ぷっ、ですわ! おっしゃりたいことはごもっともです。えぇ、えぇ。ヴィクターならいけませんと、そうおっしゃることでしょう。ですが私はもう決めたのです。何しろ、クラリスは本当にもう! とっ~~ても可愛らしいんですもの!」
「は?」
私はお嬢様が何をおっしゃったのか理解できなかった。
「いいですか、ヴィクター。私は昨日、あの場所で初めてクラリスと出会い、運命を感じてしまいましたの」
「う、運命にございますか?」
「えぇ。私にはリリアンとグラハムというとっても可愛らしい二人の妹や弟たちがおりますが、彼らに勝るとも劣らないほどに可愛らしいんですもの。一目で気に入ってしまいましたわ」
「お嬢様……気に入るとかそういう問題では……」
しかし、よくよく見てみると、侍女服やタキシードを着用したエルフリーデやコンラートに挟まれているクラリス嬢が身につけている衣服は、かつてお嬢様がよくお召しになっていた水色のドレスだった。
白銀のふわっとした長い髪や、アクアマリンのような水色の瞳によく似合っている。
「ふふ。どうですか、ヴィクター。とても可愛らしいでしょう? お着替えなどの身支度も全部、マーガレットたちに手伝ってもらったのですよ?」
私はそれを聞き、ギギギと、お嬢様の背後に控えていた二人の娘たちを見た。
彼女たちは眼付ける私の視線に気が付くと、ささっと、ばつが悪そうにそっぽを向いてしまう。
まったく。
本当に余計なことばかりしてくれますね。
まぁ……どうせ、彼女たちがお嬢様をお諫めしたところで、あのご様子です。
きっと利発なお嬢様に言い含められてしまったでしょう。
――ですが。
幼いとはいえ、クラリス嬢は陰――特に結成したばかりの『蒼天の禍つ蛇』のナインズに数えられるような、特殊な立ち位置にいる女の子。
やたら膨大な魔力を持っているような曰く付きの少女を、おいそれと世間の目に晒すことになろうとは。
「はぁ……仕方がありませんね。この段に至ってはもはやどうしようもございません。今更戻りなさいと命じても、聞きはしないでしょうし」
どのみち、私がダメと諫言しても、おそらくお嬢様はあれこれ理由を付けて、無理やり連れていかれるに違いありません。
それに、クラリス嬢も、これほどまでに楽しそうにしているわけですし、今更ダメなどとはさすがに口が裂けても言えない。
おそらくこのお屋敷に連れてこられてから今に至るまで、一度も街へは行ったことがないのでしょうしね。
公爵家に来て初めての王都散策。
そして、組織再編によって開けた、今までとはまったく違った光あふれる世界に飛び込むことになった。
見るものすべてが新鮮で、光り輝き、希望にあふれているようにその愛らしい瞳には映っていることでしょう。
肥だめのような生活をしていた私が貴族社会に足を踏み入れたときも、そのように感じましたからね。
「やれやれ……」
なんとなく親心にも似た感情が芽生えてしまった私は負けを認め、クラリス嬢の同行を許可させていただいた。
お嬢様はリセルやマーガレットたちと一緒になって笑顔で喜び合われる。
そのうえで、楽しそうにその場をぴょんぴょん飛び跳ねていたクラリス嬢の手を握り、馬車の中へと入っていかれた。
お二方を中へとエスコートしていたリセルたちも乗車する。
そんな彼女たちの平和な姿を、私は複雑な気分で眺めていましたが、すぐに気分を切り替えた。
「それでは皆様方。予定外なことが起こってしまいましたが、本日の日程に変更はございません。宝石商のいくつかの抜き打ち視察を行ったあと、お嬢様のお買い物にお付き合いいたします。そのあとで予約してあるレストランにて昼食を取り、お屋敷へ帰着という段となります。くれぐれも抜かりなきよう、お願いしますよ」
護衛騎士のガブリエラ女史とシファー女史。
表向きは執事・侍女に扮している陰二人。
そして御者の合計五人を見渡すと、全員が全員、緊張の面持ちで頷いた。
いつもであれば、特に何事も起こらない平和な視察となる。
今回もそうあって欲しいものです。




