73.決着
エルフリーデ嬢が取り出した得物。
壁に設置されている魔導具製ランタンの明かりを反射する銀色の短剣は、どうやら真剣のようだった。
「仕方がありませんね」
本物の刃物を持ち出されてしまった以上、あのまま彼女を暴走させておけば、あらぬ大怪我を招くやもしれない。
そうなって困るのは、おそらく彼女や旦那様だ。
せっかく実戦形式でいろいろ試せると思っていましたが、もはや諦めざるを得ない。
本当は他にも、習得した一般攻撃魔法や新しい魔法剣撃も試したいところではありましたが、さすがにここで使うのはまずいですしね。
今は純粋な剣術や体術主体の演習試合ですから。
ともかく、『時幻転位相』の実験だけでも行えたのでよしとしますか。
私は改めて素手の状態で身構えた。
銀光煌めかせて突っ込んできたエルフリーデ嬢が私のすぐ目の前で姿をかき消す。
「上ですか」
しかし、そう判断したときには背後に気配があった。
「なるほど。これが本気になったときのあなたの実力というわけですか。実にお見事です」
殺気を感じて左へとかわすと、数瞬遅れで短剣が突き出されてくる。
彼女はかわされたと悟るや表情が強ばるも、そのままの体勢で右回し蹴りを飛ばしてきた。
私はそれを右手で受け止めると、足首つかんで投げ飛ばす。
勢いよく練武場の壁へと吹っ飛ばされていく彼女だったが、激突する直前に体勢を立て直して床に着地していた。
おそろしく身軽な娘だった。
「ふむ。あれを凌ぎきりますか。やはり、旦那様が鍛えられた陰なだけはある、といったところでしょうか」
「あんたっ。本当になんなのよ!? 私はあんたを殺すつもりで相手してるっていうのに、なんでそんなに余裕なのよ!」
遠目からでもわかるほどにエルフリーデ嬢の表情には焦りが見え隠れしていた。
額にも汗が浮かんでいる。
私は表情を消して、右手で顎を触った。
「それは簡単なこと。普通に実力差があるからですよ。そして、私にはやらなければならないことがある。将来、お嬢様に素敵な未来をご用意してさしあげるという最重要責務がね」
胸に右手を当てて軽く一礼すると、
「ふざけるなぁっ」
怒りからか、それとも恐怖からか、エルフリーデ嬢は叫びながら一気に距離を詰めてきた。
すかさず左右上下と、ありとあらゆるところから短剣の払いや突きが繰り出されてくるが、私はそれらをすべてかわしつつ、隙だらけの脇腹や背中、腕に右の手刀を叩き込んでいた。
「くっ」
十分手加減したとはいえ、もろに入ったそれらに苦悶の表情を浮かべ、片膝つくエルフリーデ嬢。
両手に持っていたはずの短剣も今は右手にしかない。
「ぅわぁぁ~~!」
それでもめげずに、突きを入れてくるが、
「もうそれ以上はおやめなさい」
既に体力も気力も尽きていたのでしょう。
その最後の攻撃はあまりにも精彩を欠いていた。
私は緩慢な動きのそれを敢えてかわさなかった。
指二本で短剣を挟み込むと、そのままひねるように叩き落とす。
エルフリーデ嬢はガクッと両膝ついてから尻餅付いてしまった。
やれやれ。
これでようやく茶番のような演習試合も終わると思い、旦那様へと視線を投げたのだが、
「……まだよ……」
「はい?」
「まだ……まだ終わってはいないわ……!」
彼女はゆらゆらと立ち上がると、よろけながらも引きつった笑みを浮かべた。
「旦那様は私が勝てたらとおっしゃったけれど、一対一じゃなきゃダメとは言ってないもの」
「まぁ、確かにそうですね」
きょとんとしながら答えると、
「あんたたち! 私たち全員でこの人を倒すのよっ」
旦那様と一緒に壁の人となって見学していた他の陰に向かって叫び始めた。
「ちょ、ちょっと、隊長! 無茶言うなよっ」
「そうよっ。あたしたちを殺す気!?」
「ていうか、これ、旦那様は許可くれるのですかぁ?」
一瞬の静寂ののち、旦那様周辺で不平不満の声が上がるも、
「そうだな。それぐらいのハンデがあってもよかろう――よしっ。お前ら全員でヴィクターを倒せ!」
旦那様……。
赤髪の御仁は、さも楽しげに笑いながら煽られるのであった。
「はぁ……本当になんという……」
私に恨みでもあるのではないかというほどの愉快そうな笑み。
そうこうしているうちに、いつの間にか息を吹き返していたエルフリーデ嬢が私との間に距離を取り、臨戦態勢へと入っていた。
そこへ、他のメンバー合計十四名が、それぞれ演習用の木刀や槍などを手に持ち、イヤイヤながらに近寄っていった――て、
「あれは……さすがにまずいでしょう……」
他のメンバー全員ということは、当然そこには例の幼女も含まれているわけで。
彼女自身は周りの大人たちが何をしているのか理解していないでしょうが、兄や姉同然の陰たちが一斉に動き出したものだから、右倣えしてきょとんとしながらも武器を取りに行こうとしていたのである。
ただ、当たり前だが、幼子が手にできるような品など特注品でもない限り存在しない。
「旦那様……」
私は非難するつもりで、腕組みしていた赤髪の御仁をじっと見つめた。
どうやら私の視線が何を意味するのか気付かれたようだ。
大慌てで幼女のもとに走っていかれると、一生懸命箱の中の武器を取ろうとしていた彼女を小脇に抱えて壁の人となられる。
幼女は不満そうに頬を膨らませて「あ~」だとか「う~」だとか声を上げている。
そんな中、
「隊長……考え直してくださいよ……!」
背の高い青年がうんざりしたように呟くが、
「黙りなさい! 私たち全員でかかれば、さすがにあの人にだって勝てるかもしれないでしょう!? いいのっ? あの人の指揮下に入ることになっても!?」
「それは……なんともいえませんが。ですが……」
「あぁもうっ。くどくどしない! やるったらやるの!」
四年前は片言しかしゃべらなかった娘が、よくもまぁここまでペラペラとしゃべるようになったものです。
軽く十メトラル(十メートル)以上距離を取って対峙する彼女たち。
エルフリーデ嬢以外はどれもこれも皆複雑そうな表情を浮かべていたが、
「行くわよっ」
第二部隊――かつて幼年部隊の訓練生だった隊長エルフリーデの号令を合図に、仕方なしといった感じで全員が一斉に飛びかかってきた。
「本当に……旦那様は何を考えておられるのか……」
私は軽く溜息を吐いたあと、迫り来る陰たちの俊敏な動き以上に素早く動いた。
地下練武場のそこかしこから怒号やら悲鳴、甲高い金属音が鳴り響く。
「ひでぇぇっ」
「嘘だろ!?」
「ぃや~~ん」
「ヴィクター様っ……ひどいっ……」
さすがにこれだけの数を同時に相手するのは骨が折れる。
個々の能力がどれほどのものかわからないが、全員がエルフリーデ嬢と同じぐらいだと、長時間の戦闘は体力が保たない。
仕方なく、右手だけというわけにもいかず、両手両足すべてを使って、手刀や蹴りをお見舞いしながら次から次へと吹っ飛ばしていった。
陰たちが手にした武器が宙を舞い、あるいは床に叩き付けられ、それら得物同様、皆地に突っ伏していく。
そうして最後に残ったのは例の長身の青年とエルフリーデ嬢だけだった。
「これでも喰らえっ」
「ヴィクター様っ、すいませんっ」
二人は同時に叫び私の前後から一斉に襲いかかってきた――が、
「二人とも、甘いですよ。一から修行し直してきなさい」
正面の青年には右手で掌底打ちを喰らわし、背後にいたエルフリーデ嬢には左の義手を炸裂させていた。
「そんなっ」
いともあっさり短剣を受け止められて、愕然とする彼女。
「だから甘いと申したのです」
私はにっこりと微笑むと、顎に打撃技を喰らって宙を舞っている青年が床に落ちる前に、彼女の側面を歩くように背後へと回り込みながら背中に手刀を叩き込んでいた。
どかっと倒れ込むエルフリーデ嬢。
周囲を見渡すも、その場に立っているのは私と旦那様、それから旦那様の前で「お~~」だとか「すご~~い」だとか声を上げながら一生懸命拍手している白銀の髪の幼女だけだった。
それ以外の者たちは皆等しく、床に転がり呻き声を上げているのみ。
先程の青年なんかはピクリとも動かない。
少々しっかりめに入ってしまったようだ。
「やれやれ、これでよろしいでしょうか? 旦那様」
ゆっくりと近寄っていく私に、口を開けてぽか~んとしてらっしゃった旦那様でしたが、
「お、おうっ。ご苦労だった! これでスムーズに組織の再編を行えるな」
そうおっしゃり、豪快に笑われるのであった。




