72.演習試合
どうしてこうなったのか。
私は練武場の中央で一人の娘を前に思い切り溜息を吐いてしまった。
今日は確か、陰と呼ばれる者たちと顔合わせをするだけだったはず。
それがどう転んだらこんな試合などと。
私は他の黒服たちと同様に練武場の外縁へと退避しておられる旦那様をチラ見した。
旦那様は……遠目からでもよくわかる。
「おそろしくニヤニヤしておりますな……」
あの面白そうな笑顔。
私はそれを見て瞬時に悟った。
うまいこと利用されたのだと。
伏魔殿のような王宮で、様々な老害や政敵と毎日やり合っておられるのが旦那様だ。
そのようなお方が陰たちの言動を推し量れないはずがない。
おそらく、彼らがどのような考えを持ち、どう動くかなど最初からお見通しだったということなのでしょう。
『納得いかないなら自らの手でヴィクターを見事打ち負かしてみよ。さすれば考え直してもよい』
最初からそういう仕掛けを用意していただけのこと。
「旦那様! 本当にヴィクター様を倒せたら、今回の話はなかったことにしてくれるのですよね!?」
刃のついていない演習用の短剣二本を両手に持ったエルフリーデが、睨み付けるような視線を私から外すことなく、そう叫んだ。
彼女のよくとおる甲高い声が地下に反響する。
「男に二言はない! 第二部隊隊長であるお前が勝てたら、今までどおりの組織運営をしてやる!」
「そのお言葉、忘れないでくださいね!?」
どうやらここにいる者たちの隊長らしいエルフリーデは叫び、ニヤッと笑った。
「ヴィクター様、あなたに恨みがあるわけではありませんが、私たちはあくまでも公爵家の陰。私たちを組織することが可能なのはシュレイザー公爵家当主ただ一人なんです。その辺はご理解ください」
「わかっていますよ。私もそれに関しては同感ですから」
「そうなのですか?」
「えぇ、まぁ。お互い、旦那様の道楽に振り回されたということで」
私もニヤッと笑い、木刀を身構えた。
「それからつかぬ事をお伺いいたしますが、あなたは以前、私と仕事をしたとき、どのようなコードネームで呼ばれておいででしたかな?」
「カイよ!」
エルフリーデは短くそう叫んで突っ込んできた。
私は突き出された短剣をギリギリのタイミングでかわしながら、遠い過去の記憶となってしまったお嬢様六歳のお誕生日会での出来事を脳裏に思い描いた。
「そういえば……いましたね、そのような方が。確か一人、無愛想に受け答えしていた自由人がいましたが。なるほど、あのとき屋根の上にいた方ですか」
当時、彼女がどのような見た目をしていたのかはわからない。
けれど、四年という歳月がここまで内面を変化させているとは。
いやはや、実に感慨深いものがありますね。
「余裕ぶっこいているつもり!? あなたが普通じゃないっていうのは噂で聞いているから知っているけれど、ただの執事に歯が立たなかったら陰の名が泣くわ!」
そう叫んで私の背後を取った彼女が突きを入れてくる。
なるほど。
確かに素早い。
諜報がメインの特殊部隊ではありますが、アサシンのように俊敏さを生かした戦闘訓練もしっかり積んできたということなのでしょう。
ですが、それは私も同じこと。
この四年間、地獄のような鍛練を積んできた。
お嬢様、ひいては公爵家の未来のため。
すべてを平らかにするための絶対的な力を手に入れるために、日々修練に明け暮れてきた。
そんな私にとって、目の前の娘はまだまだ荒削りが目立つただの小娘に過ぎなかった。
「実に惜しいですね。それだけの腕があれば、確かに凡夫ならまったく勝ち目はなかったことでしょう。かつての私も苦戦を強いられたこと間違いなしです。ですが、まだまだです」
私は跳躍し、彼女との間に思い切り距離を取った。
最初と真逆の立ち位置となる。
「いいでしょう。つい先日ようやく体得した時幻魔法も試してみたいと思っていたところです。私の実験に付き合っていただきますよ」
私は笑みを絶やすことなく、木刀を放り投げた。
カランコロンと音を立てて隅に転がっていく。
「ちょっと!? どういうつもりっ? 試合を放棄するっていうの!?」
おそらくあれが地なのでしょう。
その辺にいる普通の街娘のような言動となるエルフリーデ。
「いえいえ。そんなことはありませんよ。ただ、すこ~しだけ、本気を出させていただこうと思いましてね」
「はぁ? さっきから何を……」
「あぁ、大丈夫です。真剣も使いませんし、殺傷力のある魔法も使いません。そうですね。左手も特殊な義手ですのでこちらも封印しましょう。そういうわけですから、私が使うのは右手のみ。思う存分、全力でかかってくるといいでしょう」
「…………!? あんたバカにしてるの!? ふざけるなっ」
どうやら怒らせてしまったようです。
顔を赤くして一気に距離を詰めてきたエルフリーデは、そのまま二刀流の斬撃をお見舞いすると見せかけて宙に舞うと、身体をひねりながら頭上から突きを見舞ってきた。
しかし、私の動体視力は筋力や体力同様、格段に向上している。
それら一連の動きはすべてお見通しだった。
「実に素晴らしい攻撃です。ですがやはり、届かないのですよ、今の私には」
私は何もない空間の中へと右手を突っ込むと、そのまま中にあったそれを引っこ抜いて頭上にかざしていた。
ガキンという音がして、何かが砕け散った。
「バカなっ」
その衝撃で吹っ飛ばされたエルフリーデは、それでも曲芸師みたいに空中一回転して綺麗に着地する。
「あんた今、何したのよっ――ていうか、なんでそんなもの持ってるのよっ」
「何といわれましても少々説明するのに手間が……て、おや?」
私は頭上に掲げていたものを下ろそうとして、それに気が付いた。
「これは……どうして鍋蓋なんかが出てくるのですか?」
「そんなの私が知りたいぐらいよっ」
ロストアトリビュートである時幻属性。
それを応用して行使する失われた禁呪魔法が存在する。
空間制御系魔法『時幻転位相』
魔法によって作り出した多次元空間とその座標にアクセスすることにより、自在に物体を空間転移させることが可能となる魔法だった。
今現在の私の技量では、多次元空間からものを出し入れしたり、極近しい場所に質量が少ない物体を転移させたりすることしかできない。
しかし、魔力量と技量が最上位になると、無尽蔵に大量の武器や魔法などをそこら中の何もない空間から現出させ攻撃することも可能になるのだとか。
更に、座標と座標を繋ぎ合わせて瞬間移動することも、空間切断することも可能になるらしい。
そこへ辿り着くまでには相当な能力アップを図らなければならないが、私もいずれは、と思っている。
そのための前段階訓練として、多次元に流体魔法金属製の訓練用長剣を格納しておいたのだが……。
「おかしいですね。なぜこのようなものが……て、ああ、そうでした。先日、ミカエラ様が夜食に何か作りたいとかおっしゃっていて、長剣を再加工して鍋にしたのでした」
どうやらそのまま元に戻さず再格納してしまったようです。
「いやぁ、失念していましたよ」
笑顔でそう眼前の娘に応えるのだが、
「失念していたじゃないわよっ。さっきからわけわからないことばかりごちゃごちゃと! ここまでコケにされて黙ってられないわ! 絶対に後悔させてあげるんだからっ」
彼女はそう叫ぶや否や、ひしゃげてしまった二本の短剣を放り捨てると、腰に差してあった別のものを抜き去っていた。




