69.新設された魔導工房
「旦那様は相変わらず無茶ばかりおっしゃる」
朝の打ち合わせを終え、私は一人、西兵舎北に新たに増設された三階建ての塔のような建物へと移動していた。
私は四年前と変わらずいまだに特殊な立ち位置にいるため、朝晩、それからお茶のお時間以外は基本筋トレなどの自主練をしているか、工房にこもって研究しているかのどちらかだ。
一見、礼拝堂にしか見えないこの建物は、私が本格的に地下の工房で禁呪の研究をし始めるようになった三年ほど前に建てられた新しい工房である。
かつて使用していた工房は規模が小さく大した研究ができなかったということもあり、あちらはもしものときの備えとして地下シェルターに改造し、こちらに研究機関のすべてを移設したのだ。
お陰で大がかりな研究も自在にできるようになっている。
本当にありがたいことだった。
というのも、禁呪の一つである闇魔法『傀儡魔法』には、『擬態兵装魔法』以外にも様々な禁術が存在しているらしく、それらを研究するためにはまったくもって用足りなかったからだ。
だからこれほどに広い工房を用意してくださった旦那様には感謝しかない。
「もっとも、『傀儡魔法』がなぜ『傀儡魔法』と呼ばれているかの最たる所以である禁術の一つ『人形操術』などは、今の私ではまったく使えませんがね」
特殊な呪を施して呪物化した魔力の塊を対象に注ぎ込むことで、相手を意のままに操ってしまうという禁じ手。
この禁呪は相手が人であれ動物であれ、魔獣、魔物、単なる人形であれ、なんでも思うがままに操ってしまうらしく、その危険性は考えるまでもない。
対象が物体であれば問題ないが、魔物や人間などを操ったら世界がどうなってしまうかわかったものではない。
それゆえ禁呪指定されたが、これを行使するためにはやはり膨大な魔力と魔法技能が必要となってくる。
そのため、残念ながら今の私では使えないのだ。
一応四年前に比べたら筋力や体力だけでなく、魔力も格段に向上しているから、ある程度の基本魔法は使えるようになっているし、あるいは現代人の誰も使えない『失われた属性』と呼ばれる時幻属性の、ちょっとした禁呪も使えるようにはなっている。
しかし、それでも正真正銘の『傀儡魔法』を始め、いわゆる戦略級魔法の類いはまったく扱えなかった。
「――ですが、魔力を無尽蔵に増幅する身体強化系魔導具の開発にさえ成功すれば、潜在能力を底上げできるようになるかもしれませんがね」
残念ながら、その手の記述は発見したものの、材料がない。
「おそらく、今はまだそのときではないということなのでしょう」
禁呪に関してはとりあえず、『擬態兵装魔法』の基礎と応用だけで我慢していろということなのでしょうね。
今すぐ神や悪魔並みの力が必要というわけでもありませんし、焦らず着実に力を付けていきますか。
「あら? ヴィクター様ではありませんか。おはようございます」
一階入口から中に入ると、既に仕事に取りかかっていた一人の茶髪美女がそう声をかけてきた。
ミカエラ・ゼーレ・エスペランツァー様である。
彼女も当然のように年を重ねておられるので、現在は二十三歳だ。
ミカエラ様は貴族のご令嬢とは思えぬような言動を取ることで有名だが、その見た目だけは『これぞまさしく貴族子女』と断言できるような品性を兼ね備えている。
十代だった頃はまだ多少幼さが残っていたものの、今は完全に大人のそれである。
ただし――
見た目は成長しているのに、中身は相変わらずの『魔導狂い』なままだった。
「朝から精が出ますね」
「えぇ。もちろんですわ。何しろ、古代の叡智に触れられるのですもの。これほど心躍るものはございません」
ミカエラ様はそのようにおっしゃりながら、神に祈りを捧げるような格好となる。
旦那様がこの新工房を新設してくださるという話になった折、ここで働く研究員も必要だろうと気遣ってくださったことがあった。
そこで、事情を知っているミカエラ様と看護師のスカーレット女史をこの魔導工房専属スタッフとして手配してくださったのだ。
そしてその代わりといってはなんだが、元々彼女たちがいた職場には別のスタッフが何名か常駐することになった。
まぁ、個人的にはスカーレット女史はいいとして、ミカエラ様を引き入れるのは少し危険な気がしないでもなかったが。
「これもすべては旦那様とヴィクター様のお計らいのお陰でございます。どのようにお礼すればよろしいやら」
そう言葉を結び、ツツツと近寄って来られるなり、私にべったりと張り付こうとなさったため、私は軽くそれをかわして奥へと歩いていった。
後ろからとても残念そうな舌打ち音が聞こえてきたような気がしましたが、聞こえない振りをした。
そうして、二階まで吹き抜けとなっている奥の部屋まで歩を進めたとき、歩みを止めた。
上を見上げる。
巨大構造物。
そこには、人型の物体が静かに鎮座していた。




