お菓子を作るお嬢様1
(アーデ視点)
ある日のこと。
お誕生日会で披露した新料理の数々から着想を得て、料理長や他料理人が新メニューの開発を行っていた。
その日の昼下がりは特にやることもなかったので、アーデは厨房の人となっていた。
理由は簡単。
お稽古事の隙間時間を利用して、前々から計画していたお料理教室を実行に移したかったからだ。
『すべては敬愛するヴィクター様にお菓子を作ってさしあげるため』
その日の早番はマーガレットで、リセルと交代するまでにはまだ時間がある。
そのため、アーデはマーガレットと二人してエプロンやら三角巾やらを身につけ、一生懸命料理長から料理がなんたるかの講義を受けていた。
「しっかし……まさかあの、アーデお嬢様が料理に興味を持たれるとは……」
「あら? 私が興味を持つと、何かおかしいですの?」
「い、いえっ、滅相もございませんっ。ただただ、驚いているだけにございます」
若干小太りな料理長はひたすら恐縮したように愛想笑いを浮かべるばかり。
そんな手をもみもみしている彼をきょとんと見上げていたアーデだったが、すぐに興味をなくし、目の前の料理台に視線を移した。
四階厨房は部屋の中央に巨大な金属製の台が置かれ、そこで食材をカットしたり材料や調味料の調合などを行ったりしている。
皿への盛り付けも当然ここだ。
一方入って正面――部屋左側には洗い場や食器棚などが設置され、反対側の壁が調理場となっていた。
「それで、本日は何を教えていただけるのかしら?」
アーデは台が高すぎてよく見えなかったので、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
それを見かねたのか、料理長が「椅子、椅子」とオロオロし始め、台が必要だということすら気づきもしなかったマーガレットはしばらくきょとんとしていたが、思い出したように「はわわわ」言い出して、同じようにオロオロした。
そして慌てて持ってきた足場を作業台の間近へ置く。
「し、失礼いたします……!」
マーガレットは相変わらず「ひゃわわ」しながらアーデを後ろから抱きかかえると、そのまま台の上に乗せた。
「ありがとう、マーガレット」
「い、いえ~……。気付かず、申し訳ございませんでした」
「いいのですよ」
と言いながらも後ろを振り返っていたアーデは、じっと、侍女の顔ではなく胸元を見つめて小首を傾げていた。
「ど、どうかいたしましたか……?」
「いえ。なんでもありませんわ。ただ、妙にもふっとしていたものですから」
「へ?」
アーデは更に左右に首を揺らしながら不思議そうに、
「なんだか、ジョンに包まれているような気がしましたの。本当にふわっふわで」
そんなことを言って自分自身を確かめるように眺めたあと、相変わらずぽかんとしていたマーガレットを見つめた。
「ねぇ、マーガレット。やっぱりヴィクター様って、大人っぽい人がお好きなのかしら?」
「えっ!? ど、どうしたんですか急にぃ!?」
「いえ……それほど深い理由はないのですけれど、私、まだまだ子供っぽいですし。あの方にレディーとして見てもらえていないのかと思いまして」
「そ、そんなことないですよ! お嬢様は、とっても素敵なレディーですぅ!」
「本当ですか?」
きょとんとしながら、アーデにとっては十分大人であるマーガレットをしげしげと眺めた。
そんな主にマーガレットがどんどん、慌てふためいていく。
「ほ、本当ですよぉ~! お嬢様は今のままでも十分に魅力的です! 殿方はみんなイチコロですよぉ!」
「そうですの?」
アーデは周囲を見渡した。
二人が料理そっちのけでおかしな会話を始めたせいだろうか。
料理長をはじめ、夕食の仕込みやらなんやらをしていた他の料理人たちが皆、微笑ましげにこちらをチラ見して笑っていた。
そんな彼らを眺めながらアーデは、
「そう……そうですわね! ふふ。ありがとう、マーガレット。私、なんだかより一層がんばろうって気持ちになれましたわ!」
「そ、そうですか。それはよかったです!」
にこにこしているアーデを見て、マーガレットは心底安心したように、ほっと溜息を吐く。
アーデは改めて料理長に向き直った。
「さぁっ。こうしてはいられませんわ。時間がもったいないです。早速始めましょうかっ」
腰に手を当て、終始にこっとしている彼女に、
「脱線したのはいったい誰のせいですか」
と、ぼそっと呟くマーガレットだった。
◇
「本日はお茶のお時間用にと、先日のお誕生日会でお出ししたガトーショコラから着想を得たオペラなるものをお作りしておりましたが、さすがにこれを初心者であるお嬢様にお作りいただくのは困難かと思われますので、やはりまずは、クッキーから作ってみましょうか」
「えぇ。それで結構ですわ。私、他のお菓子も大好きですが、やっぱり一番に食べていただきたいのは色とりどりのクッキーですから」
にっこり微笑むアーデの頭の中に浮かぶのは、やはり、いつぞやのお茶会での光景。
愛犬のジョンにおやつをあげている時みたいに、自分の手から食べてくれたヴィクターの姿が今でも忘れられない。
あのとき、あの黒公子が浮かべていたびっくりとした表情。
どうやらしっかりと、永久メモリーに保存されてしまったようだ。
(はぁ……たまりませんわ……)
頬を赤く染めた彼女は思わず小さな両手で顔を覆い、左右に身体を揺らしてしまった。
「お、お嬢様?」
それを見た料理長のエライセンが困惑する。
マーガレットと顔を見合わせるそんな二人に、アーデは正気に返ると咳払いをした。
「なんでもありませんわ。とにかく、どうすればおいしいものができあがるのか、わかるように教えてくださいませ」
「畏まりました」
料理長はヴィクターがいつもそうするように、胸に右手を当てて恭しげに腰を折るのだった。
「それではまず、クッキー生地の準備からいたしましょうか」
「えぇ。お願いしますわ」
アーデの前に、いろいろな材料が並べられる。
「こちらに準備しましたのは小麦粉、粗砂糖、無塩バター、卵、アーモンドパウダーとなります。これが基本の材料ですね」
「ふぅ~ん。私が食べているクッキーってこんなにも材料が必要だったのですね」
「えぇ。いろんな種類のものを作ろうとすると、まだまだ追加で必要となりますが」
「そうなのですか? ちなみに、これらの材料はみんな最高級品ですの?」
「もちろんにございます。小麦粉は一番目の細かい一級品ですし、砂糖も南方産のコクのあるものを取り寄せております。卵に関しましても、黒雷鳥という黒くて大型の鶏が産んだ最高品質のものを毎日仕入れております」
「そうですか。それはよかったです。間違っても、安っぽくて貧相なものをヴィクター様にお出しするわけにはまいりませんからね」
そう言ってにっこり笑うアーデの頭の中では、既に、自身が作ったクッキーをあの全身真っ黒の執事がうまそうに頬張っているシーンが幾度となく流れていた。
「それからお嬢様、こちらもお使いくだされ。苺やオレンジの耐熱ジャムと、それからチョコ、スライスアーモンドにございます。こちらを使って、基本のバタークッキー以外に、アーモンドクッキーやジャムクッキー、チョコレートクッキーなどが作れます」
「そうなのですね」
「えぇ。本当は他にもスイーツ果汁や野菜の色素などを混ぜ合わせることで、見た目も楽しめるものがたくさん作れますが、とりあえず今日は、こちらだけで」
「わかりましたわ。では、早速お願いいたします」
「畏まりました。ではまずこちらのボウルにバターと砂糖を入れて混ぜます」
そう説明しながら、エライセンはアーデの目の前に金属製の大きなボウルを置くと、既に計量し終わっていたバターを中に入れようとしたのだが、
「お待ちください! 私にやらせてくださいな」
「あ……そ、そうでございますね。では」
エライセンは皿の上に乗っていたバターをアーデに渡す。
彼女はバターを豪快にボウルの中へと放り込むと、次に渡された砂糖を同じように投入した。
「ではこちらの泡立て器を使って、白くなるまでひたすらかき混ぜてください」
「わかりましたわ」
アーデは得意げにニコッと笑うと、勢いよく混ぜようとするのだが、やはり六歳児には少々難しかったようだ。
ボウルを押さえながらかき混ぜようとしても中々力が入らない。
様子を真横で見ていた侍女のマーガレットが慌てて押さえる役を変わってくれたので、そのあとは両手で一生懸命ひたすらかき混ぜられた。
けれど、やっぱり大変なことに変わりはない。
「け、結構きついですわね……」
「そうですね。最近では魔導具のお陰で大分楽にはなっておりますが、すべてを魔導具に頼りっぱなしとなってしまいますと、いざというときに料理ができなくなってしまいますから。ですから料理人は大抵、腕っ節が強いのですよ」
そう言って、エライセンは力こぶをつくって見せた。
まるでそれに釣られたかのように、遠巻きながらもアーデたちのことを気にしていた他の料理人たちも笑いながら同じポーズをしてみせる。
「な、なるほど。では私も……ヴィクターが身体を鍛えているときに、一緒に鍛えた方がよさそうですわね」
ぜぇはぁしながら言う彼女に、
「お、お嬢様……! それだけはご勘弁をっ……。そのようなことをしていると奥様に知られましたら、私が折檻されてしまいますぅ!」
今しも悲鳴を上げそうな情けない顔をして、マーガレットがはわわわ言い始めた。
「そ、それもそうですわね。それではマーガレットが可哀想ですし……」
「そ、そうですよぉ、私が可哀想です!」
「わかりましたわ。では下手なことはいたしません。私もお母様が怖いですから」
頬を引きつらせるアーデに、マーガレットも同じような顔をして苦笑した。




