7.左手がうずく2
「相変わらず……お人が悪うございますな、旦那様は」
椅子に座る獅子のようなお方に笑いかけると、むっとしたような雰囲気が伝わってきた。
「何をいうか、ヴィクターめ。俺がどれほど心配したかわかっておるのか、お前は!」
「はは……旦那様の心中を、一介の使用人に過ぎぬこの私に推し量ることなどできますまい」
「こいつめ……言いよるわ」
私と旦那様はいつものように笑い合った。
この時代だと、旦那様と知り合ってからまだ五、六年という歳月しか経っていない。
それでも、互いの精神性がどれほど理解し合えるものなのか、私たちは会って早々すぐに通じ合えたものだ。
同じ穴の狢だと。
冒険者だった頃の私は、どんなに努力しても一流になれない自分に嫌気が差していた。
旦那様も、当時はまだご存命であらせられた先代当主に遠く及ばないことを、常日頃から歯がゆく感じられていたという。
だから私たちはすぐに意気投合した。
そして、互いに理解した。
ともに高みへと上り詰めていくことさえできれば、私たちはどこまでも飛翔していくことができるのだと。
以来、旦那様は私の雇い主であると同時に、かけがえのない無二の友となった。
日を追うごとに、どんどんご成長なされていく旦那様を好意的に思うと同時に、私の思いは敬愛の対象へと変わっていった。
お嬢様がお生まれとなり、旦那様専属ではなくお嬢様専属の護衛兼執事となってからも、私たちの関係が壊れることはなかった。
むしろより一層、固い絆で結ばれていったような気がする。
だからこそ、私は生涯をかけてお守りすると誓ったのだ。
最高の友であるシュレイザー公爵閣下の宝であらせられるお嬢様を、命を賭してお守りするのだと。
だから、私は――
「ぐっ……」
再び全身がおぞましい痛みに苛まれる。
周りの医者たちが慌てて周囲の医療器具などをいじりながら、点滴を調整し始めた。
「やはりうずくか、左腕が」
沈鬱な表情を浮かべられながら旦那様が声をかけてくださる。
ないはずの肘から下に妙な感覚があり、更にはその切断面が異常なうずきを訴えていた。
本当は両目も酷いうずきを感じたが、私は平気な振りして、笑ってみせた。
「いえ……これしきの傷、大したことはございません」
「無理をするな。お前は本当に死ぬところだったのだぞ? いったいどれだけ心配したかわかっておるのか?」
「申し訳ございません」
「よい。謝るな。だが、お前には聞きたいことが山ほどある。あの事件については何もわかっておらんのだからな。なぜお前が賊と戦っていたのか、娘がなぜ拉致されそうになっていたのか。そのすべてがな。だから何がなんでも動けるようになって事情を説明してもらわねば困る」
「わかっておりますとも。それに、私には……生涯を賭してお嬢様をお守りするという責務もございますれば」
「あぁ。そうだ。お前には死ぬそのときまで、我が娘を守らなければならない義務がある。だから一刻も早く回復しろ」
「……御意に」
私はそこまで応じて、意識が朦朧としてきた。
どうやら無理してしゃべり過ぎたらしい。
旦那様も、それを察してくださったのだろう。
瞼を閉じてすぐ、椅子から立ち上がるような気配が感じられた。
「ヴィクターよ。お前も聞きたいことがいろいろあるだろう。だがまずはじっくりと休め。何しろ、二週間も意識が戻らなかったのだからな」
「え……」
私は驚きのあまり再度目を見開いた。
旦那様の代わりに、随分と幼くなってしまわれたお嬢様が椅子に腰かけられ、泣きそうなお顔で私を凝視しておられた。
「二週間……そんなにも……で、ございますか……?」
「あぁ。本当に肝を冷やしたぞ。このまま死んでしまうのではないかと思ったぐらいだからな。アーデなど、そのせいでどれだけ心労が溜まったかわからん。あのお転婆娘があそこまで塞ぎ込んでいたのだからな。あんな姿初めて見たわ」
呆れなのか、それとも安堵なのか。
旦那様は溜息を吐かれた。
「お嬢様……どうもご心配をおかけいたしました」
「いいえ! 心配だなんてとんでもない! ヴィクター。私、お父様とお母様にとても叱られてしまいましたの。私のせいで、お父様の大切なご友人であるヴィクターを危うく死なせてしまうところだったと。私、もう勝手なことはいたしません。二度とお屋敷を抜け出そうなどとは考えませんわ。ですからどうか、早くよくなってくださいまし」
とても五歳とは思えないような利発な言動をお見せになるお嬢様。
両親――特に奥方様の徹底した貴族教育の賜物ではありますが、それが逆に頭の回転がよいお嬢様に余計な知恵をつけることになったとは、ゆめゆめ思われなかったことでしょう。
娘に甘い旦那様に散々甘やかされてきたせいか、とてもわがままになってしまわれましたが、今回のことで少しは懲りてくれたようです。
私はにっこりと微笑み返した。
「えぇ。もちろんにございます、お嬢様。このヴィクター、ご用命とあらば今日明日にでも、全快してみせますぞ」
「まぁ……」
大仰に愛らしく驚かれるお嬢様と、
「抜かせ。それができたら苦労はしないわ」
笑いながらおっしゃる旦那様。
あぁ。私は本当によい主人を持ったものだ。
「では、私もおいとまさせていただきますわね。またすぐに会いに来ますから、ご自愛ください」
お嬢様はそうおっしゃったあと、椅子から立ち上がる際に、一度、私の左手を握ろうとされたようですが、本来そこにあるはずのものがないことに気が付かれたご様子で、どうしていいかわからないといった戸惑いの色を浮かべられた。
けれど、すぐに笑顔を取り戻されるとそのまま出ていかれた。
あとに残ったのはいつ死んでもおかしくないような重体の私と、それを看護する医者たちだけだった。