64.野犬vs猟犬
殿下らはすり鉢状となっている前庭の階段を上っておられる最中だった。
仄かな街灯の明かりが照らす大庭園では、信じられない光景が繰り広げられていた。
全身黒ずくめの賊たった一人を前に、王家を守る鉄壁の盾ともいうべき近衛騎士たちが手も足も出ず、終始翻弄されながら、一人、また一人と倒されていった。
「フィリップ!」
足を踏み外しそうになられた王太子殿下を、すかさず受け止められた第一王女のジュリエッテ殿下。
お二方は、そのまま階段の上にしゃがみ込まれた。
「お姉様……怖い!」
恐怖に怯えた顔をされている第二王女のカトリーヌ殿下が、そんなお二方へとすがりつかれる。
三人は階段途中で身体を震わせながら、一歩も動けなくなってしまわれた。
「これは……まずいですぞ……!」
このままでは賊によって、殿下たちの身が危険に晒される。
なんとかしなければとんでもないことになる! ――て。
ん?
殿下たち?
まさか……!
この賊どもは最初から、殿下たちを狙って侵入してきたということなのですか!?
「ヴィクター殿ぉ~~~!」
前に進めず立ち往生していたところへ、大勢の兵らが駆け付けてきた。
公爵家お抱えの騎士らだ。
「ご無事でしたか!」
「えぇ、あなた方も! ですがいったい、これはなんの騒ぎですか!?」
「わかりません! 一応侵入してきた者たちを我ら騎士総出で迎撃したのですが、すぐに撤退してしまったのですよ」
「撤退ですと? ですが……」
「えぇ。恐ろしいほどの手練れが何人か混ざっておったようで、数十人で取り囲み、すべて撃破したのですが、一人だけ逃げられてしまい――」
「まさかっ。その逃げたというのがアレなのですか!?」
「え……? あれとは……? ……なっ。殿下っ」
この段に至ってようやく気が付かれたようだ。
しかし、もう遅い。
このままでは殿下たちが殺されかねない!
「すみませんが、皆様方。お嬢様をお頼み申し上げます!」
「頼むって、ヴィクター殿はどちらに……」
「決まっております! 殿下をお助けするのです!」
「は……?」
私が大怪我したことを彼らは知っている。
そして、それなりに腕が立つことも。
ただ、やはり一介の執事。
正規の騎士らが数十人規模で相手して、ようやくどうにか打ち倒せたような相手を、私一人でどうこうできるはずがない。
そう思われても仕方がないこと。
「ヴィクター!」
勢いよく駆け出した私の背に、お嬢様の悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「大丈夫です! 不肖、このヴィクター! お嬢様をお守りする任を放り出すような真似はいたしません! 必ず戻ってまいります!」
お嬢様を中心に円陣組むような形で兵ら数十人が守っている。
そんな彼らを頼もしく思いながら、私は再度前を向き、俊足をもって一気に走り抜け――勢いよく抜刀した。
◇
本当はこのまま見て見ぬ振りして、殿下らが倒されるのを待っていた方がよかったのかもしれない。
そうすれば、お嬢様があの愚王とご結婚されることもないでしょうし、クーデターの末に弑逆されることもないのだから。
ですが――
私の目の前で恐怖に怯えておられるのは、本当にまだ幼く、未来ある子供たちばかりだった。
そんな彼らが殺されようとしているのに、見て見ぬ振りなどできるはずがない。
それに――
もし公爵家主催の夜会――もっといえば、お嬢様のためのお誕生日会で王族が暗殺されたとあっては、その時点で公爵家、ひいては警備の総責任者の任に当たっていた私は確実に罪に問われるだろう。
そうなったらすべてがおしまいだ。
お嬢様のせっかくの晴れ舞台が忌まわしき血の記憶として歴史に刻まれ、これからの人生に致命的な汚点を残すことになる。
つまりは――
「お嬢様の幸せな未来がすべてぶち壊されてしまう!」
そんなこと、絶対にあってはならない!
最後まで戦っていた騎士が倒れ、黒装束の賊が振り下ろした長剣が殿下たちの頭上を捉えた。
しかし、まさにその瞬間、私は両者の間に割って入るように現出し、思い切り刀を振り抜いていた。
「なっ……」
急に目の前に現れた私を前に、賊があからさまに愕然とし、目を見開いた。
そのときの表情が物語っている。
「お前はどこから現れたのだ」と。
えぇ。
そうでしょうね。
私も己が瞬発力にびっくりですよ。
つい先日まで、あれだけよぼよぼのクソ爺みたいな動きしかできなかったというのに、軽く三十メトラル(三十メートル)を一秒かからず瞬間移動してしまったのですから。
私はこれほどまでに高速移動きる自身の回復力に心の底から打ち震えた。
後方へと一回転して飛び退った賊へと、更に一瞬で間合いを詰める。
目を剥く相手に間髪入れず、地面に着地した賊へと大きく刀を振り下ろす。
甲高い金属音が鳴った。
激しい攻防が繰り広げられる。
あれだけ不利な体勢だったにもかかわらず、賊はまったく押されることなくよく防いでいる。
なるほど。
これでは近衛が一瞬で倒されたのも頷けます。
相当にお強い。
おそらく冒険者のランクに換算すればA――いえ、もしかしたらSかもしれませんね。
恐ろしく動きが洗練されている。
これはその辺のごろつきの動きではなかった。
昨年お嬢様を攫おうとした賊とは雲泥の差がある。
「あなた……どこかの軍か何かで訓練された正規兵――もしくは傭兵ですね?」
「……!」
最初に一号打ち合ったとき以降、一度も声を発しない賊でしたが、表情はよく言葉を発してくれる。
「やはりそうですか。ならば――」
なおさらこの者を生かして帰すわけにはいかない。
「何がなんでも、あなたを生け捕りにさせていただきますよ! そしてすべてを白状し、懺悔なさるとよいでしょうっ。我らが公爵家に喧嘩を売られたことを! お嬢様の晴れ舞台を台無しにしようとなされたことを! その罪、万死に値しますっ」
叫び、鋭くすくい上げた切っ先が賊の黒装束を切り裂いた。
更に数合切り込み、縦横無尽に剣を打ち出す。
それらはすべて受け止められてしまったが、明らかに、敵に焦りが見え始めていた。
あと数合打ち合えば、必ずや、どちらかに大きな隙が生まれる。
私もそろそろ限界に近づいていた。
まだ万全ではない。
一瞬にして勝負を決めないと、もしかしたら倒されるのは私かもしれない。
「お嬢様……」
あの方を一人残してこの世を去るわけにはいかない!
「かぁぁっ」
私は全身の血をたぎらせた。
青白い炎の揺らめきが心臓から爆発的に放出されていくのが感じられる。
どこからか、子供たちが上げる笑い声のようなものまで聞こえてくる。
――魔力。
未来の私が恋い焦がれ、ついぞ手にすることができなかった魔力操作技能。
しかし、今の私には――
「これが使えるのですよ!」
鋭く叫んだ瞬間、全身が青く燃え上がった。
愕然と、恐怖に震えた表情して固まる賊。
青き閃光となった我が得物が、流星の煌めきとなって高速剣撃を繰り出す。
敵の追随をいっさい許さない魔力の軌跡。
魔法剣撃の一つ。流星斬。
禁書に載っていた禁呪魔法スキルの一つだった。
今の私ではたった一つしか使えないが、それでも、魔力によって強化された魔法金属の刀や肉体が繰り出す、時の流れすら上回る高速剣撃を前にしたら、誰一人として抗うことなどできはしないだろう。
一瞬にして、全身ズタズタに切り裂かれる。
「……っ」
賊は目に見えない、どこから飛んでくるかもわからない青い閃光を前に、全身ズタボロと化していった。
傷口から鮮血を迸らせ、顔の下半分覆い隠していた覆面も既になく、素顔を晒している。
記憶にまったくない顔だったが、全身血塗れの男はそれでもまだ生きていた。
おそらく、間一髪致命傷を避けているのだろう。
まぁ、私の方も、生け捕りにしなければならない都合上、殺さないようにはしていましたが。
「さて……。そろそろこれで終いといたしましょうか」
賊は既に虫の息で、剣を構える力すらないと見える。
肩で息をして両手をぶらりと垂らす彼に、私は身構える。
そして一気に距離を詰め、峰打ちを喰らわそうとしましたが、すんでのところで後方遙か向こう側へと跳躍してかわされた。
どうやら逃走に移ったらしい。
「まぁ、そう来ると思いましたよ。ですが――この私が逃がすとお思いですか?」
私は駆けながら左手を前方へとかざす。
その瞬間、手袋をはめた義手が勢いよく賊の首へと伸びていった。
「……!」
愕然とする賊は必死で逃れようと左右へ飛び跳ねる。
しかし、流体へと戻り、無数に枝分かれした義手がそれを逃すことはなかった。
「バカなっ……お前はいったい……なんなんだっ」
私のうねる黒い左腕に首根っこを捉えられ、宙吊りとなった賊。
私はにんまりと笑ってみせた。
「ようやくしゃべってくださいましたね。それでは改めまして」
私は刀を鞘に戻すと、右手を胸に当て、慇懃に腰を折った。
「私はシュレイザー公爵家筆頭執事、ヴィクター・ヴァンドール。以後、お見知りおきくだされ」
言い終えた瞬間、私は賊を地面に叩きつけていた。
たまらず泡吹きながらのたうち回る賊。
彼はしばらく痙攣していたが、何か言葉を発しようとするも、敢えなく気絶した。




