62.火急を知らせる声2
不敵な笑みを浮かべておられる陛下に内心を悟られないよう、私は無表情を貫く。
「はい。お陰様でして、今もなお、旦那様のお屋敷にて筆頭執事として働かせていただいております」
「そうか。それはよかった。一時はお前とも何度か手合わせし、楽しい時間を過ごしたものだな。どうだ? 久しぶりに立ち合いでも」
「陛下。お戯れを。既に一線を退いております私めが、陛下のお相手など務まりますまい」
「何を言うか。聞いておるぞ? 昨年の一件のことを」
「え……」
まさか陛下のお口から例のお嬢様襲撃事件の話が出てくるとは思いもよらず、呆気にとられるという無礼を働いてしまった。
慌てて頭を垂れる私に、
「陛下。その件は」
「あぁ、そうだったな」
旦那様がすぐさまフォローしてくださり事なきを得た。
「それでヴィクターよ、何をそんなに急いておる? ロードリッヒの娘がどうかしたか?」
「いえ、それが……」
私は言うべきかどうか迷った。
陛下はお嬢様が命を狙われた件を承知しておられるご様子。
おそらく旦那様が内密な話としてご報告さしあげたのだろう。
しかし、今回のパーティーでのことまで話してよいやら。
一人逡巡する私の内情を察してくださったようだ。
旦那様が陛下に耳打ちなされ、状況を納得されたのか、陛下が豪快に笑われた。
「お前という奴は。相変わらずの主従バカだな。昔はロードリッヒ、今はアーデか。本当に愉快な奴よ――なぁ、おい、ロードリッヒよ。ものは相談だが、こいつを俺にくれないか?」
「ご冗談はおやめくだされ。ヴィクターは俺の大切な腹心。いくら金を積まれようとも譲るつもりはございませんよ」
「がははは。まぁ、そういうだろうと思ったぞ。冗談だ。すべて水に流せ」
お二方は相変わらず楽しそうに話されておいでだ。
しかし、このような場所でもたついている場合ではない。
先程、王女殿下がお嬢様とご一緒していたと、旦那様がおっしゃっていた。
どちらの王女殿下かはわかりかねるが、もう一人の王女殿下や王太子殿下もこの場におられないところをみると、おそらくご一同、場所をどこかへ移されご歓談なされているということなのでしょう。
ぱっと見、その事実だけを見る分には、何も心配する必要はないように思われた。
知らずに侵入した賊に攫われたというわけではないのだから。
おそらく、侍女や護衛騎士らも幾人かついているはず。
だから今すぐどうにかなってしまうということもないでしょう。
ですが、未来を知っている私としては、それで安心することはできなかった。
もう一つ、別の懸念事項があったからだ。
そう。王太子殿下のことである。
パーティー中、暇を見ては、お嬢様の未来の夫となられる殿下のご様子を拝見していたが、別段、お嬢様と絡んでいるご様子は見られなかった。
興味を持たれているというわけでもなさそうであったし、お嬢様に至っては主賓としてパーティーを楽しまれているだけで、自ら積極的に近寄っていかれるご様子も見られなかった。
だからこそ安堵していたのだ。
何度も言うが、もしお嬢様が王太子殿下に惚れようものなら、面倒なことになるのは目に見えている。
婚約の話は、いわば派閥間のバランスを崩壊させる起爆剤のようなもの。
下手なことをして両勢力の均衡が崩れようものなら、たちまちのうちに内乱へと移行する危険性がある。
未来でのクーデターのように。
だからこそ、両者ともにより慎重にならなければいけない案件なのだ。
おそらくそのことは宰相側も熟知しているはず。
私が知る限り、宰相殿も現時点では別に国を滅ぼそうとも、乗っ取ろうとも考えておられないはずだ。
単純に政治的な見解が食い違っているせいで敵意を見せているに過ぎない。
だから両陣営ともに衝突しないよう、互いに様子見をするに留めているのだ。
しかしそれなのにである。
未来では、お嬢様が王太子殿下に一目惚れしてしまい、あの方を籠絡してしまったがために、一気に婚約話へと発展してしまった。
そう。つまり、それがなかったら両陣営のバランスが崩壊することもなく、あのようなクーデターのきっかけを生み出すこともなかったのである。
だからなんとしても阻止しなければならない。
既にお嬢様の精神性はとてもいい方向へと向かっておられる。
ゆえに将来、万が一殿下とご婚約なさるという話になったとしても、もしかしたら民衆巻き込んでのクーデターなど起こらず、幸せな人生を送ってくださるかもしれないが、何が起こるかわからない。
不安の芽はすべて摘んでおきたかった。
「ヴィクターよ」
物思いに耽っていると、唐突に旦那様からお声がかかった。
「はっ」
「おそらく、アーデは殿下たちと一緒に外に向かったのではないか?」
「外……でございますか?」
密偵のカイからは、お嬢様方に似た者たちは見かけなかったという報告が入っている。
何かの間違いではないだろうか?
疑問符を浮かべていると、
「確か、ジュリエッテとカトリーヌがアーデをせっついておったな。屋敷を案内せよと」
陛下がそう付け加えられた。
「殿下たちがでございますか?」
第一王女フランティーヌ・ジュリエッテ・リヒテンアーグ殿下と、第二王女アンリエッタ・カトリーヌ・リヒテンアーグ殿下のお二方のことだ。
王族は幼年期と青年期でファーストネームが変わることで知られている。
成人の儀を迎えられたときに新たにお名前を頂き、それがファーストネームとなる。
そして、それまで名乗っていたお名前がそのままセカンドネームとして使われるようになる。
未来では当然、ご成人あそばされていたので、私はフルネームを存じ上げているが、今の時代は幼年期のお名前のみ。
即ち、第一王女ジュリエッテ殿下と、第二王女カトリーヌ殿下だ。
ちなみに王太子殿下の現在のお名前はフィリップ殿下である。
未来ではジェラルド殿下となられる。
「左様でございましたか。ですが、お屋敷のご案内でございましたら……」
私の発言に旦那様が答えてくださる。
「あぁ。俺も最初はそう思って屋敷の中にいるのだろうと思ったが、警備の者から報告があってな。アーデたちが外へ出ていったと」
「なんと! それでどちらに?」
「それはわからんが、どこか散策でもしておるのではないか?」
「どこか……」
旦那様……。
いくら厳戒態勢を敷いているからとはいえ、警備も万全ではないのでございますよ!?
万が一外にいるときに襲われでもしたら、去年の二の舞です!
思わず説教してさしあげようかと、イラッとしたのだが――
(あ……いた。前庭のど真ん中。テラスで談笑してる)
唐突にカイから通信が入った。
(でかした!)
(でかした?)
思わず素で返答してしまったため、きょとんとした雰囲気が伝わってきた。
「旦那様、陛下! これにて失礼いたします! 業務に戻らせていただきます!」
はやる気持ちを抑え、慇懃に腰を折り、階段を下り始める私に、
「あ、おい! どこへ行く。まだ話は終わっておらんぞ?」
陛下の不満げなお声が降ってきた。
私は敢えて言いたい。
あなたの相手などしていられるか! と。
「まったく、心配性だな。ロードリッヒのところの護衛だけでなく、近衛からも五人付けているというのに」
「まぁそうおっしゃりますな――」
旦那様が私のことを案じてくださったのか、笑いながら陛下を宥めておられるお声が聞こえてくる。
それすらすぐに聞こえなくなり、ざわつくパーティー会場の華やかな舞台を大急ぎで飛び出していった私は――
「あそこですか……!」
エントランス外扉出て少し行ったところで立ち止まり、遙か前方のすり鉢状となっている場所を見た。
街灯に照らされた静粛な雰囲気漂う中央のテラス。
そこに、数名の子供たちが腰を下ろし、話に花を咲かせていた。




