60.新しいムーブメント3
「新しいってどういうことだ?」
「お酒に飲み方なんてものがございますの?」
「ねぇ、それより、あれを見てくださいまし。なんですの、あの鮮やかな飲み物」
「えぇ。本当にお美しい。まるで宝石のようですわ」
賛否両論分かれる意見がそこら中から上がっている。
これらもすべて予測ずみだ。
そのため、すべてこちらで用意させていただいた台本どおりに、旦那様が口添えされる。
「皆が半信半疑となるのはもっともであろう。かくいう俺も、なんであんなものが生み出されたのか、まったく意味がわからんのだからな!」
「おい、ロードリッヒよ! 自分で発表しておいて、わからないとは何事だ!」
例によって、旦那様と陛下が阿吽の呼吸でボケとツッコミをなされ、場が湧いた。
一応、旦那様は事前に味見しておられるので、存在自体はご承知のはずだが、場を盛り上げるのに全力投球してくださっているようだ。
そのお陰で、雰囲気が一気に和らいだ。
旦那様に目配せされたお嬢様が再度口を開かれる。
「皆様方が混乱されるのはごもっとものこと。ですがまずは、何もお考えにならずにご笑味くださいませ。本当に見た目も華やかで、これぞまさしく、私たち貴族が嗜むべき品だと、皆がそう思ってくださるような逸品に仕上がっておりますわ。味もフルーティーなものからスパイシーなものまで幅広く取り揃えておりますの。皆様方、お気に召したものがございましたら、どうか、お手にとってお試しくださいませ」
そう言葉を結び、スカートの裾を広げられるお嬢様。
本日一の山場となる大役を見事やり遂げてくださったあのお方には、感謝の言葉もございません。
発案者は私ではございますが、たかが一介の使用人ごときがしゃしゃり出ていい場ではない。
そして今夜の宴はお嬢様をお祝いするためのもの。
あの方には主役となっていただく必要がある。
そのためには、お嬢様自らのお口からご提案なさっていただく必要があったのだ。
今回の発表は新たなムーブメントを引き起こす鍵となる重大イベント。
提案者が誰だったかで、今後の流れが決定づけられることとなる。
お嬢様のお口から発表されたご提案が一つのムーブメントとなったとき、やがてそれがお嬢様主導で行われた大きなうねりとして貴族社会へと認識が行き渡り浸透していくこととなる。
即ち、お嬢様が新しい流行をお作りになったということだ。
これは貴族社会では大きな力となる。
財力や地位と同じく、絶大なる名声へと繋がる。
『あの麗しの公爵令嬢様が、このようなお美しく美味な飲み物を流行らせた』
その評判が社交界における権力基盤を更に押し上げることになるのだ。
そして、新たな流通経路を生み出したことによりもたらされる、商取引での利益もお嬢様のもとへと還元されることとなるでしょう。
富と名声そのすべてを勝ち取れば、必ずや将来の幸福へと繋がる。
私はそう信じている。
先程まで階段下にいた料理人たちは既に散り、カクテルカウンターへと戻っていた。
テーブルに置かれた様々なカクテルが給仕の侍女たちによって運ばれ、ホール内を移動していく。
銀のトレイに載せられた赤や黄色、青といった鮮やかな飲み物に、お客人方は皆、半信半疑といった顔をしておられたが、
「まぁ! なんていい香りなのかしら。これはオレンジ?」
「はい。まさしくそのとおりにございます。ベースとなるお酒にオレンジ果汁を混ぜ合わせ、トッピングに、オレンジそのものをおつけいたしました。どうぞお召し上がりください」
ご夫人の一人がウォッカとオレンジと香味料を配合し作られたコールドカクテルを手にし、恐る恐る口に運ばれた。
その瞬間。
「まぁっ。なんてことでしょう!? 味はまさしくオレンジの果実水そのままですのに、甘酸っぱさの中にもピリッとした苦みがあって、しっかりと蒸留酒の香りを口の中に広げてくださる。見た目だけでなく、味も本当にお美しい!」
「えぇ。まさしくお美しいあなた様にお似合いのカクテルですわ」
「まぁ、お上手ですこと。ですが嬉しいですわ。それに、これはカクテルという飲み物ですの?」
「はい。そのように伺っております」
「カクテルといえばホットドリンクしか存在しないと思っておりましたのに。このような飲み方があるだなんて――あら? それは何かしら!?」
そのご夫人は、今度は別の侍女が運んでいた二層構造のものに喰らい付いていた。
下がほんのり茶色で、上がすべて透明。
しかし、氷の入れられたその中には、次から次へと泡が生まれている。
炭酸入りのコールドカクテルだった。
「これはっ。このシュワシュワ! どうして口の中でこんなにも弾けるのかしら!? それにこのスパイシーな味わい。少し塩味がありますが、それがアクセントになっていて、本当に素晴らしいですわ!」
なんだかすっかり宣伝要員となってくださったようだ。
大騒ぎされているご夫人のお陰で、我先にと、それまで躊躇っていた方々もグラスを手に取り、喝采の声を上げられた。
当然、中にはいまいちという顔をしてらっしゃる方もいる。
「う~ん。私はやはり、酒はワインが一番だな」
そういう方々はすぐにワインへと戻り、マイペースに飲まれ始める。
ざっと見渡してみた限り、二割ほどそういったお客様のお姿を拝見したものの、軒並み大盛況といったところでしょうか。
これだったら成功したといえるのではないでしょうか。
私は一つの山場を終え、ほっと胸を撫で下ろした。
最悪、ムーブメントが起こらなかったとしても、この分ならワインが足りなくなることもないでしょうし、真新しさもアピールでき、よいパーティーとなった。
あとはこのまま無事、夜会が終わってくれれば事なきを得る。
そう思っていた矢先だった。
ふと、お嬢様が今、どのようになさっているのか気になり、お姿を拝見しようとしてそれに気が付いた。
「な……どこにもいない……!? いったいどこへ!?」
それに、王太子殿下や王女殿下の皆様方も誰一人おられなかった。
まさか……!
「皆でどこかへ行かれたということか!? それとも……!」
嫌な想像だけがぐるぐる回り、私の焦燥感は否応なく増していくのだった。




