57.挨拶と最高潮の盛り上がり
――バカな。
王妃様がお越しになることは伺っていましたが、王太子殿下らがいらっしゃるとは一言も聞いておりませんぞ!?
第一王女殿下と第二王女殿下のお二方はこのような夜会においでになることはよくあると伺っている。
けれど、滅多に社交の場にはおいでにならないはずの王太子殿下までお越しになるとは。
確か本来の歴史でも、毎年お誕生日会や公爵家主催の夜会など、幾度も行っていたように記憶しているが、ただの一度たりとも王太子殿下がお見えになったことなどなかったような。
お嬢様が初めて殿下と直接お会いになるのも確か、十五歳。
殿下だけでなく、お嬢様もどこか社交の場を嫌ってらっしゃる風だったため、ほとんどお会いになっておられなかったはず。
確か、王立学園に通われてからだったはず。
そして、そこで殿下に一目惚れなさったお嬢様がその後、本来は予定のなかった王太子殿下とのご婚約を断行なされ、破滅へと一直線となられたはず。
これは……。
非常にまずいですぞ!?
もしも今日このとき、お嬢様が殿下とお会いし一目惚れでもなされたら、とんでもないことになる!
私は最悪の結末を想起させられ、一人焦った。
王族のご登場により一段と盛り上がり始めるパーティー会場にあって、一人だけ場違いな雰囲気を醸し出している。
どうすればいい!?
そうこうしているうちに、陛下を含めた招待客の視線すべてが大階段上へと注がれた。
侍女たちによって静かに開かれていく大扉。
そして、上がる拍手喝采。
終わったかもしれない。
破滅を逃れるためとはいえ、さすがに王太子を抹殺することなどできるはずがない。
敵対勢力による襲撃にばかり気を取られていて、こういった事態をまるで想定していなかった私は、頬を伝わる冷や汗に軽く震えた。
しかしもはやどうすることもできない。
私は何が起こってもいいようにと、目まぐるしく頭を回転させながらも、これから始まるお嬢様の晴れ舞台へと意識を集中させていった。
二階の政庁区へと続く大扉から、お気に入りのドレスを綺麗に着飾ったお嬢様と、それをエスコートなさる旦那様が現れた。
近くにあるテーブルにグラスを置き、割れんばかりの拍手を送る招待客たち。
ピンク色のドレスを着てらっしゃるお嬢様はどこか緊張召されたご様子でしたが、旦那様はさすがに堂々とされている。
大階段付近から上を見上げておられた陛下や王妃様を始めとした招待客すべてを笑顔で見渡されたあと、旦那様が右手を軽く掲げられた。
一瞬で静まり返るその場。
お客様方が皆、何かを期待したような穏やかな表情を旦那様へと向けられる。
「皆々の者! 今宵は我が愛娘、アーデンヒルデの六歳を祝う誕生の宴へ、よくぞ集まってくれた。このシュレイザー、感謝の念に堪えんぞ」
そこで芝居がかったように軽く一礼なさる。
「思えば、月日が流れるのは早いもので、あっという間の一年であった。昨年も行った誕生の宴がついこの間のことのように想起させられる。この間、皆は変わりなかっただろうか?」
大きくて威厳のある旦那様のお声が、ホール内に響き渡った。
招待客は相変わらず楽しげな笑顔を見せながら、付近にいる他のお客人らと顔を見合わせ、
「何も変わることなどありませんぞ!」
「むしろ、より一層平穏に暮らせております!」
「これも陛下や閣下のお陰にございます!」
「私は逆に散財しましたがな、がはは!」
皆が皆、場を盛り上げようと、冗談めかして合いの手を入れた。
それにニヤッと笑って手を上げられる旦那様と、振り返って笑い声を上げられる国王陛下。
夜会はとても順調な滑り出しを見せている。
ここに集まっておられる方々は、その大半が公爵家派閥の身内のような方々だ。
敵対派閥の夜会もそうだが、基本的に、王家主催でもない限りは敵派閥にくみする者たちを招待することはない。
中立の方々もいらっしゃるが、どちらかといえばシュレイザー公爵家に近しい立ち位置にいる方々ばかり。
夜会を精一杯盛り上げ楽しもうと考えることはあっても、メチャクチャにしてやろうと思う人はほとんどいない。
彼らから窺える楽しげな表情がすべてを物語っていた。
「――皆がアーデと同じく、平穏な日常を過ごせたのであれば何よりだ。もっとも、一人、悲惨な目に遭われた御仁がおるようではあるがな」
旦那様が冗談をおっしゃると、その場にどっと笑いがこぼれた。
「ともあれ、不幸になられた方が再起を図れるよう、皆で祈ってやろうではないか」
再び爆笑がその場を支配する。
「さて、それを踏まえたうえで、俺は改めて思う。今宵、このときを皆と同じくすることができ、とても喜ばしく思っておる! 我が公爵家、ひいては我らがリヒテンアーグ聖王国、そして招待に応じてくれた皆が等しく、未来永劫、繁栄を極められることを切に願う!」
一際大音声で宣言した旦那様のお声に、再び拍手喝采が巻き起こった。
それを旦那様が手で制し、再び口を開かれる。
「とまぁ、堅い話はここまでにしよう。以上をもって、俺からの挨拶とする! そして、改めてここからが本題だ。今から我が娘がいかように愛らしいか、これからたっぷりと、皆に聞かせてさしあげようではないか! 宴の時間は足りるかな?」
そうおっしゃってニヤニヤされ始める旦那様にヤジが飛んだ。
「おい、ロードリッヒよ! 前口上が長過ぎるのではないか? もうそれぐらいにして、さっさと主賓の挨拶に移らんか、このたわけが。皆、早く酒が飲みたいと、そう申しておるぞ!」
「何をおっしゃる、陛下。ここからがいいところではありませんか」
「抜かせっ。夜会は二十一時までなのであろう? お前の長話に付き合っていたら、朝になってしまうわ」
笑いながらおっしゃった陛下に、再び場が湧いた。
「でしたら、延長して今宵は朝まで飲み明かそうではありませんか」
旦那様まで負けじと、そんなことをおっしゃりながら笑われる。
私は額を手で覆いたくなってしまった。
やめてくだされ、旦那様。
私は報告いたしましたよ?
今回、『貴婦人の囁き』の調達が間に合わなかったと。
それなのに朝までやられては、酒の在庫がまったく足りなくなってしまうではありませんか。
カクテル用にブランデーなども余分に発注したが、ここにおられる方々は皆酒豪。
各家の当主を始め、ともにいらっしゃったご夫人方も皆よく飲まれる。
毎回あまった分は兵らに配って日頃の働きを労うことにもなっているし、本当にやめて欲しい。
「――おい、冗談はそれぐらいにしておけ、ロードリッヒよ。あまりお前が暴走し過ぎると、せっかくのアーデの誕生会が台無しになってしまうぞ?」
「おっと。それはさすがにまずいですな」
旦那様は予定どおりとでもいわんばかりに笑われると、再び一同を見渡された。
「では俺の方からは以上とするが、最後にもう一つだけ。今宵の宴は娘の誕生を祝う六度目の夜会であると同時に、日頃、皆が我らが陛下の御為に忠義を尽くしてくれているその忠誠心を労うためのものでもある。この宴を存分に楽しまれよ。そして、我らの繋がりを強固たるものとし、更なる王家発展のための礎となせ!」
再び拍手が起こり、そして静まる。
「陛下。何か一言ございますか?」
「本来であれば物申す必要があるのであろうが、今宵は無礼講。そしてお前の前口上が長過ぎた。ゆえに今回は省略し、主賓の挨拶に移るがよい」
「畏まりました」
陛下のお顔は見えなかったが、旦那様の笑顔を見るに、どうやらニヤニヤ笑い合っておられるようだ。
「ではアーデよ。挨拶を」
「はい、お父様」
旦那様に背中を押され、お嬢様が一歩前に出られた。
いよいよ主賓であらせられるお嬢様のご挨拶が始まる。
六歳になったばかりの最初の晴れ舞台。
がんばってくだされ、お嬢様!
「皆様方、本日はお忙しい中、私のためにようこそ集まってくださいました。ここに、厚く御礼申し上げますわ」
そこで一度言葉を切られ、スカートの裾を広げなさる。
「今宵の宴では、当家自慢の料理人たちが腕によりをかけて調理した様々な品が取り揃えられておりますの。どれも一級品の仕上がりとなっており、とても美味なものばかりですわ。中にはこれまでにないような大変珍しいお料理やスイーツ、そして極上のお酒なども用意されているとか。とくとご笑味くださいませ」
長々とした難しい挨拶の言葉を寸分違わず笑顔でしゃべられたお嬢様は、本当にご立派だった。
思わず胸がジーンとなってしまう。
「それでは皆様方、お手にグラスを。乾杯の音頭を取らせていただきますわ」
お嬢様の合図とともに、テーブルに置かれたグラスを手に取る者。
まだ手にしておらず、給仕から受け取る者たち。
大階段上の旦那様とお嬢様も、ワインや果実水の入ったグラスを受け取られた。
「それでは皆様方。ご唱和ください。乾杯!」
「乾杯!」
お嬢様のよく響き渡る透き通った声音のあと、招待客たちからも歓声に似た声が上がった。
こうして、パーティーはこれ以上ないほどの盛り上がりを見せ、開幕となった。




