5.暗躍し始める狂信者たち2
忘れもしない公開処刑場。
そこを取り囲む群衆の中に、狂ったように叫び続けながら、愉悦の笑みを浮かべていた男がいた。
頬に傷、腕に入れ墨を入れた老人。
「間違いないっ。あのときのクソ野郎か……!」
私はあまりの衝撃に思わず冒険者時代の口調に戻ってしまったが、それが思わぬ油断に繋がってしまった。
塀の外から迫り来る賊三人。
対して、樹上から何本も飛来してくる矢。
「ちぃっ……」
塀の真上にいた私は、跳躍してなんとかそれらをやり過ごすことには成功した。
しかし、着地し様に飛びかかってきた賊三人を始末しようと動いたその瞬間、打ち損じた一本の矢が、思い切り左肘に突き刺さってしまったのである。
「ぐっ……」
「今だっ。そいつを殺せ!」
あまりの激痛に片膝ついた私に追い打ちかけようと、一斉に飛びかかってくる。
「だが……私はやられんっ」
朦朧とする意識を無理に振り払うと、自分でも信じられないぐらいの速さで敵の懐に入り込んでいた。
「バカなっ……」
そしてそのまま一人ずつ、一撃のもとに斬り伏せていく。
更に、事切れた賊を盾にしながら、背後から飛んできた矢をことごとく防いだ。
「貴様は化け物かっ」
誰かが叫んだような気がしたが、もはや誰のものかわからなかった。
なぜか、私の意識はぼんやりとしていた。
耳も聞こえづらく、目も霞んでいた。
はは……おかしいですね……。
もしかして、矢に毒でも塗られていましたか?
私はに~っと笑って、残されていた力を振り絞り、落ちていた長剣を樹上へと投擲した。
「ギャァ~~~!」
狙い違わず、伏兵二名が落下する。
「あとは……あなただけですよ……」
にじり寄る私に、掠れた目ですらはっきりとわかるぐらい、入れ墨の男は震え上がっていた。
「お、お前はいったいなんなんだっ――ひぃ、く、来るなっ。こっちには人質がいるんだぞ!? それ以上近づいたら――」
しかし、男の声がそれ以上続くことはなかった。
なぜなら、私が高速移動し、ナイフを持った男の手を拘束しつつも、顔面を強打して吹っ飛ばしていたからだ。
「いけませんね……我が主に刃を突きつけるなど。あってはならないことです」
私は地面に倒れる男へとよろめきながら歩いていき、見下ろした。
もはや、視力を失いかけている私の目では、相手が生きているのかどうかすら判断つかなかった。
「ヴィクター……!」
賊の魔の手から解放されたお嬢様が、背後から駆け寄り、抱き付いてこられる。
「怖かった……! すごく怖かったのです……!」
えぇ……わかっていますよ。
あなたはこの日あったことをずっと忘れられず、恐怖に怯えながら三十年もの長い間生き続けなければならなかったのですから。
ですがもう心配いりません。
未来は変わりました。
あの、薄暗くてじめじめとした、汚らわしい地下室に閉じ込められていた本来の歴史は未来永劫訪れないのです。
ですからお嬢様……。
私はお嬢様にご安心いただこうと振り返ろうとしましたが、そこで残されていた力が尽きてしまった。
「ヴィクター……!? しっかりしてっ、ヴィクター……!」
うつ伏せに倒れ込んだ私を、お嬢様が懸命になって揺さぶられる。
けれど、私にはもう、それに答えられるだけの気力は残っていなかった。
「いやっ……ダメ……! しっかりしてっ、死んじゃダメぇっ」
お嬢様の泣き叫ばれるお声がいつまでも続いている。
それに混ざって、別の声が耳朶を打った。
「アーデ! 無事か!?」
「は、はいっ……私はっ……ですが、ヴィクターが……!」
「なんだと!? おい、ヴィクター! しっかりしろっ。おいっ――」
お屋敷の方から、大勢の人間が駆け付けてくる足音が聞こえてきた。
この声は……あぁ……旦那様ですか……。
よかった。
これであとはもう、お嬢様の心配はしなくてもすみそうです。
ですが……。
はは……まいりましたね。
この体調の悪さ。
どうやら猛毒を喰らってしまったようです。
もう、私の命は尽きかけているということですか……。
せっかく歴史をやり直して未来が変わったというのに、お嬢様が真の幸せを掴むそのときまで、お嬢様をお守りすることができなくなってしまったとは。
なんという失態か……。
この先、歴史が変わったことで、様々な困難がお嬢様を襲うかもしれないというのに。
それ以前に、将来愚王と罵られるあの王太子殿下とご婚約なさる運命だけはなんとしても阻止しなければならなかったというのに。
さもなければ、お嬢様はきっと……歴史の強制力か何かで……。
薄ぼんやりとした視界の中、すぐ側に豪奢な飾りが施された靴が目の前に飛び込んできた。
我が生涯の主であらせられるアーデンヒルデお嬢様のお父君であり、そして最大の友と呼ぶべき恩人。
赤髪の獅子公――ロードリッヒ・クワィエット・シュレイザー。
シュレイザー公爵家の若き当主。
そう認識したところで、私の意識は完全に闇の中へと吸い込まれていった。