43.平民街の大衆レストラン1
店の前に横付けして馬車から降りた私たちを見て、周囲の歩道を歩いていた大勢の人々がぎょっとした。
まぁ無理もないでしょう。
ここは貴族も平民も普通に街路を行き来する幹線道路ですが、北側と南側ではその意味がまったく異なる。
西城塞門から大広場へと続くかなり道幅の広いこの西街路は、いわば、平民街と政庁区を隔てる境界線の役割を果たしている。
北の政庁区や大商業区へは普通に平民も立ち入ることが多いものの、貴族も多く出入りする。
そのため、どちらかといえばごちゃごちゃしておらず優雅な街並みとなっているものの、平民街は一変して大衆感があふれ返っている。
かつて私もこの街区にある貧民街で暮らしていたから、とても馴染み深いものではあるが、通常、貴族が訪れることなどない。
だからこちら側の歩道を行き交う者たちは基本的に平民である。
そのようなところへ、平民しか出入りしないようなレストランに貴族――そのうえ最上位の公爵家の紋章が描かれた馬車が停車し、中から人が出てきたのだ。
驚くなという方が無理がある。
「やれやれ」
多くの者たちは何事かと、とばっちり喰らわないように逃げていかれたが、すぐ側を歩いていた者たちはそのような無礼を働くことは許されない。
大慌てで皆、道を空け、片膝つく。
「本当にここへとお入りになるのですか?」
私に続き馬車を降りたスカーレット女史がひっそりと眉根を寄せている。
「私もスカーレットと同じ意見ですわ。このような薄汚い場所へと、ヴィクター様がお入りになるのもいかがなものかと」
ミカエラ様までそのようなことをおっしゃりながら、ハンカチで口元を覆っておられた。
大通りに面するレストランゆえ、そこまで不快になるほど汚くはない。
むしろ、私の目には小綺麗にすら映る。
店の外に設置されたテラス席も大変健全的に見えるし、解放されているガラス扉から望める店内も比較的綺麗だ。
漂ってくるうまそうな匂いも、どこか懐かしく感じられる。
ただ、やはり貴族の家に生まれ育った者たちにとっては、この独特の雰囲気や匂い、生活感などは耐え難いほどに癇に障るのでしょう。
――品がない。
そう捉えられてもおかしくないほど、貴族社会と一般市民との間には大きな隔たりが存在するということだ。
「お二方。ここから先は私一人でまいりますゆえ、馬車でお待ちになっていてください」
「で、ですが、それでは」
「いえ。ご婦人方にはきついでしょうし、ご無理なさらず」
私は御者に目配せし、お二方をお任せすると、単身中へと入っていった。
すぐさま店内にいた客たちが一斉にぎょっとし、雑然とした空気に包まれる。
「失礼。ご店主殿はおられるか?」
私は特に気にせず、つかつかと奥に向かって歩いていった。
貴族御用達のレストランも平民用も、大抵は席で注文し、その場で料金を支払うシステムが採用されている。
そのため、会計の場などは設けられていない。
広々とした大食堂内は十以上の丸テーブル席が設けられていた。
更に、中央真正面の壁を除いた左右すべての壁が、カウンター席となっている。
「な、何か御用でございましょうか……!」
おそらく厨房があるであろう中央壁に設けられていた向こう側へと続く通路へと向かっていた私に、給仕をしていた素朴で愛らしい少女が慌てて駆け寄ってきた。
どうやら私の身なりと、外に止まっている貴族の馬車を見て、身分を察したようだ。
とても聡い女性だった。
どこかの誰かさんとは大違いだ。
「少々お伺いしたいことがございましてね。支配人さんか店主殿はおいでか?」
「は、はいっ……少々お待ちくださいっ」
少女はスカートの裾を広げて一礼すると、奥へと引っ込んでいった。
それからまもなくして。
「こ、こここここ、これはこれはっ……。お、お貴族様が、当店にどのようなご用件でございましょうか……!?」
先程の少女と同様、酷く慌てた様子のタキシード男が現れた。
恰幅があり、年は五十代ぐらいといったところでしょうか。
顔面蒼白で、ひたすら額をハンカチで拭っている。
どうやら相当緊張しているようだ。
「ふむ……」
周囲を見渡すと、やはり客たちも、知らない間に壁際へと避難しており、遠巻きにしながらも固唾を飲んでこちら側の様子を窺っている。
これは、ここで話すのはまずそうですね。
「失礼ですが込み入った話がございましてね。商談室などはございますか?」
「は、はいぃぃっ。ご、ございますともっ。さ、ささっ。どうぞこちらへっ」
「かたじけない」
終始緊張したままの支配人に連れられ、応接間へと通された私は早速本題に入り、先日購入されたという石の所在を伺った。
すると、支配人は青ざめた顔をする。
「た、確かに当店で購入した品に間違いございません。なんでも、料理長が申すには、肉をミンチにする土台が欲しいとのことで、丁度いいものがないかどうか探しておったのです」
「ミンチですと?」
「ひっ」
眉間に皺を寄せるようにした私を見て、どうやら怒り出したと解釈したらしい。
明らかに震え始めてしまった。
「ミンチとおっしゃいますと、肉の叩き台に使われたということですか?」
「そ、そのとおりにございます! ご存じかと思われますが、お貴族様方と違い、私ども平民には高価な魔導具製の挽肉機など、とてもではありませんが購入することなどできませんっ。ですので、大抵どこの家庭でも、挽肉を作るときには杵で肉を叩いて磨り潰しておるのです。そのときに必要となってくるのが、叩いても割れない頑丈な石やまな板なのです」
そういえばそうでしたね。
公爵家の厨房には肉をミンチにする魔導具が普通に置かれていたのですっかり忘れていましたが、平民はそのような贅沢な真似はできないのでした。
平民でも、富裕層や高級料理店では魔導具ではない手動で動かす挽肉機を使うが、そうではない大衆食堂や一般家庭では、今でもやはり、包丁で細切れにしたり、叩き潰したりするのが普通。
「なるほど。それで丁度いい手頃な大きさのものがあったから、購入されたと」
「まさにそのとおりにございます! しかも、何やら料理長が申すには、軽く洗っただけでも次の日にはピカピカになっているとか。本当に掃除いらずのいい品だそうで!」
「なんですと?」
「ひっ」
私は別に脅しているわけではない。
支配人が気になることを仰せだったので、テーブル挟んで対面に座る彼に身を乗り出すようにしただけなのだが、なぜか怯えられてしまう。
何か公爵家の不況でも買ったと、そう解釈なさっているのかもしれませんね。
しかし、それにしても、肉叩きに使われていたとは。
なんとも嘆かわしいことか。
とても希少な魔鉱石かもしれないというのに。
しかもその石、
「掃除いらずですか。普通は肉の脂がびっしりとこびり付き、洗うのも大変なはず。それなのにおかしいですね」
「そ、そうでございますね」
「支配人殿、ものは相談なのですが、その掃除いらずの石とやら、拝見させていただくことは可能でしょうか?」
「は、ははははは、拝見でございますかっ……!」
支配人はこれ以上ないといわんばかりに素っ頓狂な声色を吐き出した。




