37.コッポラー商会
「これはこれは。ようこそおいでくださいました。本日はどのようなご用件で?」
口を開けていた店の玄関口すぐ脇に立っていたスーツ姿の青年が、私の姿を見るなり笑顔で声をかけてきた。
ふむ。よく教育が行き届いているということでしょうか。
一目で身分の違いを見抜いたということですね。
これなら、公爵家の名代として訪れたということを現す家紋を見せなくてもなんとかなるでしょう。
「実は少々、込み入った話がありましてね。責任者の方とお話がしたいのですが?」
「なるほど。ご商談ということでございますか。承知いたしました。ではこちらへどうぞ」
私の背後に控えるご夫人二名は商談には加わらない。
ただのともとして付き添っているだけなので、いっさい口を挟むことはない。
店の奥へと勧められた私は彼女たちを伴い中へと入っていった。
店内は入ってすぐのところにいくつもの棚が置かれており、様々な品種の酒瓶が展示されていた。
おそらく商談用のサンプル品か何かでしょう。
ここは平民でも立ち入ることの許されている商業地区。
酒問屋ということもあり、様々な立場の客が出入りする。
大口取引の店ということで、一般市民が出入りすることはありませんが、店舗経営者や平民の富裕層が顔を見せることはある。
そういう店だ。
「いったいなんなんだ。このクソ忙しいときにっ……」
商談の準備のため、奥へと入っていった店の者を待つべく店内を物色していたら、何やら気難しい顔をした男がスーツの青年と一緒に戻ってきた。
細身の中年風男で、スーツの青年同様、身なりはしっかりしている。
が、何やら不機嫌らしく、険のある表情を浮かべながらこちらへと歩いてきた。
「たくっ。どこの誰だか知らんが、今立て込んでて非常に忙しいのだ。商談ならまた今度にして欲しいものだがな?」
「だ、旦那様っ……そのような態度を取られてはまずいことになりますよ……! 先程ご説明したでしょう。おそらくこの方々は――」
「うるさいっ。貴様は黙ってろ! そんなお偉方が、わざわざ直接ここまで来るかっ」
支配人と思しき男と先程の男が揉めながらも目の前までやってきて止まった。
彼は値踏みするように私を下から上、上から下へと無遠慮に眺めながら、最後に風に揺れる左袖のところで視線を止め、いかにも汚らわしいものを見つけたといわんばかりに、バカにしたような顔となった。
やれやれ。
確かに、普段はわざわざこちらから出向いて発注するようなことはありませんから、支配人殿の見解にも一理あるでしょう。
ですが、物事には予期せぬ事態というものがございます。
そのことをいっさい考慮に入れないとは。
まったく。
この店は多くの貴族とも取引があり、我が公爵家とも長年にわたって商談を行ってきたと伺っておりましたが、どうやら今後の取引は再考した方がよさそうですね。
「はぁ……実に嘆かわしい」
「あぁ? なんだと!? 貴様はいったいなんなんだっ。どこの家の召し使いか知らんが、我がコッポラー商会を愚弄したらどうなるかわかっておるのだろうな!? この店はな、教会から第一級を与えられた、それはもう由緒ある酒問屋なのだぞ!? それをどこの馬の骨か知らんが、そのようなみすぼらしい出で立ちの人間がおいそれと立ち入っていい場所ではないのだっ。わかったらさっさと出ていけ!」
支配人と思しき男は言いたい放題言いながら、しっしっと、犬でも追っ払うかのような素振りを見せて、奥へ引っ込んでいこうとした。
やれやれ。
本当に嘆かわしいですね。
教会がどうとかおっしゃっていましたし、それでおかしな勘違いでもなさっているのでしょうが。
私の頭に既得権益の四文字が浮かび上がる。
酒類の製造販売の元締めは、すべて教会となる。
元々今の世の中になる大昔から、酒造に関しては教会や修道院が一手に管理してきたという歴史がある。
ただ、時代の流れには逆らえず、今の政治経済の流れができあがってからは、一般の商会に製造販売を任せた方が効率がよいと考えたのでしょう。
以来、生産管理などは相変わらず教会がすべて行っているものの、一部利益を収めさせたうえで、それ以外はすべて商会側に任せるといった流れができあがっている。
先程あの男が口にした一級というのは教会側が独自に設けた称号か何かなのでしょう。
「少々待たれよ」
「あぁ? なんなんだ。今忙しいと言っているだろう。大事な客が来ているんだ。この機を逃したら、我が商会は多大な損害を被ることになるかもしれんのだぞ!?」
「損害ですか」
客というのはおそらく教会関係者か、もしくはこちら側と同じく他公爵家、あるいは五侯爵家のどれかといったところか。
「まったく。本当にままなりませんね。この手だけは使いたくなかったのですが……」
「あぁ? てめぇはさっきから何言ってやがる!」
どうやら憤りのあまり地が出てしまったらしい。
私はにっこり微笑んだ。
「支配人殿。どうやらあなたの曇った目には、あの紋章が見えないようですね」
「あぁ? 紋章だと……?」
私は慇懃に腰を折ると、店の外に止めていた魔導馬車を見るよう促した。
始めは胡乱げな様子で目を凝らしながら外を眺めていた支配人でしたが、見る見るうちに驚愕に青ざめていった。
「あ、あ、あの紋章は……!」
「ふふ。どうやらご理解いただけたようで何よりです」
貴族所有の馬車には大抵家紋や官位を現す紋章が刻まれている。
一目で誰が乗っているのかわかるようにするために。
その所有物に無礼を働けば、どうなるか示すために。
私はにっこり笑顔のまま、懐から静かに掌大の小箱を取り出し、前に突き出した。
「私の名はヴィクター・ヴァンドール。シュレイザー公爵家の名代として参上つかまつった。改めて伺います。今すぐ、商談は可能ですね?」
「は、ははぁ~~~!」
印璽が入った魔導具製の箱が静かに青色の輝きを周囲へと放つ中、声を裏返しながらコッポラー商会支配人を始め、店内にいたすべての人間があわ食って片膝つくのだった。




