36.三十年前の聖都の街並み
奥様は既に一階サロンにて、来賓の方々との懇親会真っ最中とのことで、私は大奥様に事の次第を報告した。
大奥様は私の判断をご理解くださったが、一人で聖都内を走り回ることはお許しにならなかった。
「お前は身体が不自由なのです。そのような身の上で、万が一のことがあっては公爵家の名折れ。主治医をつけて向かいなさい」
そう仰せになられた。
そのうえで、
「頼みましたよ、ヴィクター。それからいつもすみませんね」
「いえ、これが私めの務めですので――では行ってまいります」
労を労ってくださる大奥様に深々と頭を下げ、私は四階から一階へと向かった。
その足で、西兵舎へと続く回廊をひたすら歩き、途中医療棟に立ち寄ると、看護師のスカーレット女史に事情を説明した。
最近では身体も随分動けるようになっていたから、週に一度ほどしか顔を合わせていない。
そのためか、彼女は私の来訪に、随分と驚かれたようだ。
そのうえで納得してくれ、外出着に着替えると、ともをしてくれた。
兵舎へと続く渡り廊下にある扉から外に出た私たちは、魔導馬車をとめてある車庫へと向かったのだが、なぜかそこに、魔導士のミカエラ様がおられた。
彼女は何やら御者を務める男と話し込んでおり、既に馬車の準備まですませているようだった。
これはいったい?
「あら? お早いご到着のようですわね、ヴィクター様?」
「これはミカエラ様、どうしてこのようなところへ?」
「それはもちろん決まっておりますわ。あなた様の補佐をするためですよ?」
「補佐? どういういことにございますか?」
「先程、大奥様から魔法で連絡がございまして、此度の件でヴィクター様の補佐をするように申し使ったのですわ」
「なるほど、そういうことでしたか」
現在の貴族のお屋敷には、大抵どこにでも遠距離通話できる魔導具などが備わっている。
ただの業務連絡程度であれば、それですますことも多いが、余程のことでもない限り、使用人が使うことはほとんどない。
直接足で赴き、各部署、あるいは上の方々に用向きを伝えることが美徳とされているからだ。
それ以前に魔導カートリッジを使用するため、無駄な費用がかさむからともいう。
対して、魔法が使える者たちは通信魔法でやりとりすることが多い。
大奥様も希代の魔法使いだったという噂を伺ったことがある。
おそらく、それで、私の身体を治療していたうちの一人でもあるミカエラ様に、ご指示を出されたのだろう。
いいのか悪いのかわかりませんね。
どこか面白そうに、それでいて妖艶に微笑んでおられる上級貴族のご令嬢。
宮廷勤めする男爵家のご令嬢であらせられる、この茶色の髪をした美しいお嬢さんには、相変わらず慣れそうになかった。
◇
ミカエラ様を加えて三人となった私たちは、彼女が先行して準備してくださった魔導馬車に乗り、街中を走っていた。
巨大な聖都内の移動には馬車や魔導車が欠かせない。
魔導車は文字どおり、馬を必要としない魔導機関を搭載した車だが、その分莫大なエネルギー量が必要となってくるため、維持費も含めてかなりの高級品となる。
そのため、宮廷貴族でも一部の家でしか使用されず、普通に所持しているのはおそらくシュレイザー公爵家を含めた三公五侯ぐらいだろう。
その分、格段に乗り心地がよく、スピードも速いのがメリットではある。
対して、一般市民の乗合馬車としても使われる魔導馬車は、従来の馬引きに加えて魔導カートリッジの補助機能がついているため、本来であれば馬二頭いないと引けない車でも、一頭で引けるようになるなど、利便性が増している。
あるいは、車を大型化することもできるため、いろいろな用途に使える。
そういったメリットから、貴族の家では大抵普通に所有している。
「なんだか街中を散策するのは随分と久しぶりのような気がしますね」
窓から眺める聖都の街並みはとても美しく、活気に満ちていた。
公爵家のある聖都北東の貴族街は閑静な住宅街で、貴族御用達の大型店舗も街中央にある大時計塔噴水広場に面して作られているが、貴族が住む街は品性を最も尊ぶ傾向にある。
そのため、静粛さを重要視することから、街中を歩く貴族たちの間に雑談などはいっさいない。
皆静まり返って優雅な足取りで散策している。
馬車で移動することも多いため、音が聞こえるとしたら石畳の上を転がる車輪と馬の蹄やいななき、息づかいぐらいだろう。
対して、街北西の政庁区や街中央から南に広がる平民街はまるっきり様相が異なってくる。
命の息吹や生きた街並みがそこら中を埋め尽くしている。
まさしく人の街。
そんな感じだった。
――未来ではあれほどまでに荒れ果て、見る影もないほどにおぞましかった街並みが、この時代にはまだまだ健在ということですか。
できればこの美しい風景をいつまでも残したいですね。
「ところで、どちらに行かれるのでしょうか?」
物思いに耽っていたら、私の正面に座っていたスカーレット女史が尋ねてこられた。
今の彼女は普通の貴族子女のように、華やかなワンピース姿となっている。
ちなみに、なぜか私の真横にぴったりと張り付くように座られている上級貴族のご令嬢は、こちらはいつもの魔導士姿ではなく、水色の艶やかな花柄イブニングドレス姿だった。
「そういえば言っておりませんでしたね。今から政庁区の南にある商業地区に向かうのですよ。そこに、公爵家と直接取引している酒問屋がありましてね。そこで商談を行ってくるのですよ」
「なるほど。そういうことでしたか」
「えぇ」
万事うまくいけばいいのですがね。
馬車はひたすら街路を走っていく。
ここから少し行ったところに、右から左へと流れる大通りがある。
右手側に進むと、やがては陛下がおわす王城へと突き当たるが、左手――南側に向かって突き進むと、未来で陰惨な光景が繰り広げられた噴水大広場へと出る。
そこには、この聖都を象徴するシンボルとなっている大時計塔を始め、大商会やホテル、商業ギルドなどが数多く軒を連ねている。
私たちが向かうのは残念ながらそちらではなく、大通りを突っ切った先にあるコロッセオ前の周辺道路を南へと向かった辺り。
そこが件の酒問屋がある大商業地区となっている。
「さて、そろそろでしょうかね」
「はい。まもなく到着の予定となっております」
ガタガタと揺られながら数十分ほど移動したところで、巨大な建造物が目に飛び込んできた。
コロッセオである。
ここでは文字どおり、日々剣闘大会が開催されており、貴族も平民も皆こぞって、剣闘士たちの戦いを見物し、遊興を楽しんでいる。
ここに面する街路を南へと行くと、聖都西城塞門と中央の大広場とを繋ぐ大通りへと出るが、そこに大陸間移動に使われる魔導列車の駅がある。
大広場の東側大通りにも同様に、駅がある。
そちらは貴族専用の駅舎であり、貴族街を囲む城壁南の城門と直結している。
列車の作りや内装も平民用のものとは雲泥の差があり、恐ろしく豪勢となっている。
その分、チケットも高いが。
「到着いたしました、ヴィクター殿」
「ご苦労様でした」
平民用の駅がある商業区の北側に整備された商業地区。
等間隔に区分けされた街路が無数に走り、どの建物も似たような作りとなっている綺麗な街の一角で馬車が止まった。
すぐさま御者が扉を開けてくれたので、私はスカーレット女史やミカエラ様を伴い街路に降り立った。
通りを行き交う大勢の国民が上げる威勢のいい声や笑い声が耳に入ってくる。
私たちのもの以外にも、路上の馬車留めには何台もの馬車が止められ、様々な店で商談が行われていた。
まさしく、華の都が潤いに満たされている証拠でしょう。
「健全で何よりです」
私はそれらを眺めながら軽く笑ったあと、上を見上げた。
『コッポラー商会』
三階建てのかなり大きな建物に掲げられた看板にはそう書かれており、ワイングラスの絵も載せられていた。




