29.未来を切り開くための力1
いまだに雪が少し残っている大庭園。
春の到来を告げるかのように、カラフルな小鳥たちが集まり、綺麗なさえずりを奏でていた。
私が禁書庫で禁書を読みあさるようになってから約半年が経過していた。
暦のうえでは既に春も終わりを迎えようかという時分だが、この国の冬は長い。
まだ朝晩は大分肌寒かった。
現在四月の半ばだが、私の日常生活は何も変わってはいない。
朝のお勤めを終えてから禁書庫に入り、あたりをつけた古文書やら禁書などを暗記するほどに読みふける。
そうして午後三時のお茶の時間にいったん外へ出ては、お嬢様のお茶にお付き合いする。
そのあとは再び禁書庫。
夕時になったら本日の読書は終了し、お嬢様のもとへ赴き侍女や護衛騎士たちからその日にあったことを伝え聞き、翌日に備えて就寝。
その流れが半年ほど毎日のように行われていった。
幸い、お嬢様の身辺や公爵家周辺で不穏な動きは見られないとのこと。
それどころか、宮廷内でもこれといった騒動は起こらず、至って平和そのものだった。
敵対派閥と目される宰相派閥とは相変わらず犬猿の仲らしいが、かといって関係が目に見えてどんどん悪化しているということでもないようだ。
というより、旦那様から伺った話によると、どうやら内輪もめばかりしている状況でもないらしい。
どうも近隣諸国できな臭い動きが出始めているらしく、近々、諸外国で大きな戦争が起こりそうな気運があるとか。
確かに。
私の記憶の中にも、確かそのような話があったような気がする。
そう長くは続かなかったが、海を渡った西の大陸で覇を唱える神聖ロードゼファルギア帝国と、同じく、大陸南方を支配するカレスティア共和国との間で小競り合いが勃発していたような気がする。
三十年後の未来ではこの両国は既に、互いに国家として認め合い、戦争へと舵を切ることはなくなっていたから、再び平和な日々を取り戻してはいたが。
それゆえもし、大きく歴史が変わっていなければ、おそらくこちら側はさして問題にはならないだろう。
けれど、厄介なのはもう一つの方。
それが、この国の南東に位置する隣国ランヴァルシア帝国だ。
両大国は東大陸を二分するほどに巨大な領土を有し、今も昔も未来も、あまり関係がよろしくなかった。
私の知る限り、一度も戦争は起こっていないが、いつ戦火を交えてもおかしくないような、そんな雰囲気がある。
旦那様や王宮は、そのランヴァルシア帝国をどうも警戒なさっているようだ。
「私がお嬢様をお救いしたことで、既に歴史も変わってしまっている。何が起こってもいいように、万全の準備を整えておかねば」
大賢者エスメラルダが残していった禁書は他の古文書同様、既に読破しており、一文字一句逃さないように何度も読み返してある。
そして、私はそこに書かれていた本当に世に出るとまずい技術まで、知識として頭に詰め込んであった。
『流体魔法金属の基礎と応用』
『魔力造生と可視化による操作』
『無機生命体の創造と人体への応用』
古の時代、危険と判断されて禁術や禁呪に指定された魔法の類いもすべて頭に叩き込んである。
あとは実際にこれを実現するための工房を作り、自身へと転嫁さえできたら。
「私は……もしかしたら、すべてを超越した存在へと進化できるかもしれない」
いつものように禁書庫内で書物を読みあさっていた私は、すべての禁書を元あった場所へと戻しながら一人笑った。
◇
その日の夜だった。
私は旦那様に書斎へと呼び出されていた。
「来たか。とりあえず座れ――あ~、先に言っておくが、これは命令だからな?」
冗談めかしておっしゃる旦那様に、私の方も苦笑した。
「相変わらずですね」
「抜かせ。それはお前の方だろう。こうでも言わない限り、お前は意地でも座らんからな」
私が椅子に座ったのを確認されたあと、手にしたグラスを差し出された。
「既に半年以上経過している。そろそろ大丈夫だろう?」
「どうでしょうかね。身体の痛みは大分楽になりましたが、あれからお酒の方は断っておりますゆえ」
「そうか。つまらんな」
そうおっしゃったあと、差し出されたグラスの中に注がれたブランデーを一気に仰がれた。
「それで、最近はどうだ?」
旦那様も半年前とさほど見た目も中身も変わっておられない。
「そうですね。先程も申しましたが、痛みの方は大分落ち着いておりますが、体力の方までは」
「そうか……。まぁそうであろうな。毎日のように禁書庫ばかり入り浸っておるようだからな」
「申し訳ございません」
意味深に隠し扉がある書棚を一瞥なさる旦那様に、私は軽く頭を下げる。
「気にするな。だが、たまには自由時間の合間に、筋力や体力を回復させる努力もした方がよいのではないか?」
「と、おっしゃいますと?」
「決まっておる。地下の練武場や庭で体力トレーニングをせよと申しておる」
「ご冗談を。ようやく身体の痛みが緩和されてきたばかりのこの私に、軍と同じ稽古をせよと仰せですか?」
「そうは申しておらん。ただ、一時間ほどでもよいのだ。ぐる~りと歩くなり、竹やその辺に転がっておる枝で素振りでもすれば、ちっとは回復するのではないか?」
……相変わらず無茶ばかりおっしゃる。
政治に関しては知恵も回られる旦那様ではありますが、やはり根っからの脳筋体質のようだ。
「大変ありがたい申し出なれど、今の私にはそれすらも荷が重すぎます。まだまだ不可能にございます」
「そうかぁ……」
旦那様は派手に溜息を吐かれると、手足をだらんとされ、思い切り背もたれに寄りかかられた。
「まぁ最悪、護衛の任に関しては騎士どもに任せておるゆえ、お前がやる必要はないんだが、なんかつまらんのよな」
「旦那様……つまるつまらないで私の回復を推し量らないでいただけますか?」
本当に相変わらずです。
「大方、私と手合わせできなくなってしまったことで思い切り暴れられず、退屈しておられるのでしょうが」
私がそう、ぼそっと溜息交じりに呟くと、
「わかっておるなら、さっさとなんとかしてくれ。配下の騎士どもと手合わせしてもよいのだが、奴ら、死んでも本気を出さんからな。本気出したところで、豪将といわれたこの俺が敗れるはずがないのにもかかわらずだ――たくっ。俺に真っ向勝負を挑んできてくれたのはお前しかいなかったというのに……はぁ」
「確かに、かつてはそのように私も相対しましたが、あれは中途半端な剣の腕しかないと、自分のことをよくわかっていたがゆえに、絶対に勝てるはずがないからと遠慮せず、お相手さしあげただけのこと。友として」
「だからだ。だから残念でならんのだ。お前という大切な友をこのような境遇におとしめてしまったことがな。ホンに無念で仕方がない」
どこかうんざりしたような、それでいて本当に残念そうに溜息を吐かれる旦那様。
やはりこの方にお仕えできたことは私にとって、この上ない幸せだったということなのでしょうね。
士は己を知る者のために死すという。
私が持つ古い記憶には、上司に恵まれず、何かというと当たり散らされ、空しさだけが日々の友だったという惨憺たる記憶がありますが、今生では違う。
私自身が立派かどうかはともかくとして。
このお方――いえ、お嬢様を始めとしたこのお家のためならば、命をかけても構わない。
そう思えるほどに、私はよき上司に恵まれたということなのでしょう。
「旦那様」
「うん? なんだ?」
「そう思ってくださるのでしたら、一つお願いしたき議がございます」
「あ? なんだ改まって。遠慮なく申してみよ」
「はっ。実は工房を増設してはいただけないでしょうか?」
「工房だと? どういうことだ?」
「はっ。実は――」
私は現在の状況をかいつまんで、余すことなくご説明させていただいた。
危険極まりない禁書の内容を除いたすべてを。




