27.禁書庫に入り浸る日々1
あれからどれほどの月日が過ぎ去っていったのか。
私の居室は今もなお、使用人棟の四階一番南に存在している。
一日の流れに変化は訪れたが、やることは変わらない。
朝五時に起床し、身支度を整え、公爵家の方々が朝食をすまされるまでにひととおりの細かい業務や打ち合わせなどを終わらせておく。
その際に、お嬢様付きの侍女であるリセルやマーガレットなどとも情報交換し、交代で護衛の任についているガブリエラ女史とシファー女史とも打ち合わせを完了させておく。
魔導士のミカエラ様は護衛というよりお嬢様や護衛騎士のサポート、魔導の授業が主な任であり、別段話をする必要はないが、魔導治療においてもう一人の魔導士ともども私の主治医でもある。
そのため、私個人の健康状態のことで話をすることが多かった。
そうした時間を素早くこなしてから、七時頃、朝食をすまされた旦那様や、旦那様付き執事であらせられるエヴァルト様と本日の打ち合わせを行ったうえで、他の執事たちを集めて業務連絡。
九時頃にお嬢様のもとへ馳せ参じ、本日のご予定の確認を行う。
それがすみ次第、私は自由行動となる。
そういった日々が長い間行われてきたから、今はもう、お嬢様も私がお側にいない時間が長く続いても、別段駄々をこねられたりはしないものの、やはり時折寂しそうになさる。
私も本来の歴史では、三十五年以上もの間、毎日ずっとお側にお仕えしていた身ゆえ寂しくもあったが、今は我慢のときと自分を律し、旦那様から与えられた任務を着実にこなしていた。
「それではあとのことはよろしくお願いしますよ」
「畏まりました」
「いってらっしゃいませ」
お嬢様との業務連絡を終えた私は、リセルたち侍女や護衛騎士らにあとのことを託し、いつものように、あの部屋へと向かう。
旦那様より貸し与えられたスペア魔導キーを使って、地下奥深くに存在する一室へと入る。
そこは今や、私の書斎となっていた。
長年にわたって手入れされていなかったそこは、最初は埃にまみれていた。
しかし、場所が場所だけに清掃係の侍女を招じ入れるわけにもいかず、私自らの手で塵や埃を除去し、小綺麗に整えた。
お陰で見違えるほど綺麗な地下禁書庫となっている。
書棚の中を入れ替えるだとか、模様替えなどは行っていない。
ただ掃除をしただけだ。
それでも、新たに持ち込んだ研究用魔導具などが部屋中央の巨大なテーブルの上に並んでいるだけで、ちょっとした研究室みたいになっている。
もしこの部屋を、魔導士のミカエラ様やもう一人の男性魔導士ジゼル・ド・オリハルド殿が見たら、おそらく狂喜乱舞することだろう。
――私のように。
「昨日はどこまで閲覧したかな?」
公爵家の禁書庫は本当に宝の山だった。
書棚にあるほとんどの本は世界共通語や聖王国語で書かれたものばかりだったが、それでも世間一般には出回っていない貴重な歴史的資料なども数多く見受けられた。
動物学、薬学、錬金術、薬草図鑑、聖王国の歴史などなど。
中には、今はもう絶滅してしまっている伝説の魔獣や幻獣といった生物の情報が載せられた図鑑なども収蔵されている。
それだけでも黄金の価値ある産物だったが、残念ながら私が求めているものはその中には載っていなかった。
貴重な魔導書の類いも数多く存在したが、いずれも私には無用の長物だ。
魔法適性がない人間には意味がない。
逆にいえば、禁書庫にあるような品であるから、ミカエラ様だったら涎を垂らすことだろう。
それほど価値あるものが眠っているということだ。
「しかし、私にはやはり価値なきもの。私が求めているものはただ一つ。古代語で書かれているような秘匿された禁じ手」
――このボロボロとなってしまった身体を元に戻す秘術。
ただそれのみだ。
そして、もしかしたらそれが書かれているかもしれない禁書が、目の前に何冊も積まれていた。
ここに出入りするようになってから既に二ヶ月ぐらいは経っているだろうか。
今はもう十一月も終わりに差しかかろうかという時分まで月日が流れている。
まもなく厳しい冬がやってくる。
そんな季節に、ようやくの思いで探し出したのが、目の前にある古代文字で書かれた禁書の数々だった。
最初に旦那様がお見せくださった、豪華な宝飾の施された分厚い本を始め、羊皮紙に書かれたただの巻物や、植物紙に書かれた比較的新しめの本、それから表紙のない研究資料のようなものまで存在する。
書庫の中の物量が多過ぎて、まだ中身を確認するまでには至っていないので、何が書かれているのかはわからない。
ざっと書庫内をあさった限りだと、発見できた文献も十冊程度。
現時点では、これがすべてだった。
他の一般の文字で書かれた本をすべて読んだわけではないからなんともいえないが、もしこの中に目的のものがなかった場合、おそらく私の命運は尽きることになる。
私は一つ一つ表紙や目次だけをまず読み解き、解読し始めた。
魔導研究室から借りてきた古文書解読の魔導具を動かす。
古代文字とは暗号文字のことだ。
普通に単語を拾い、そこに現代語の意味を当てはめていっても、まるで意味が通らない文章となる。
しかし、解読に必要な数百万通りあるといわれるコードを解読魔導具に入力することで初めて、意味の通る単語へと変換される。
解読用魔導具は言わば翻訳機のようなものだ。
単語二つ程度であれば手動でもなんとか解読できるが、本を丸ごと一冊ともなると膨大な時間がかかり過ぎてしまう。
そのため通常は魔導具を使って一気に読み進めていく。
私は言語学者ではないので何がどうなっているのかその仕組みはわからない。
ただ、噂に聞いた限りだと、暗号化されていない本来の古代語に対して、一定の法則に則った暗号化処理が施されているとかで、そのコードを突き止めない限り解読できないのだそうだ。
私は顕微鏡のような形をした魔導具に、記憶の中にあったコードを入力してから、双眼鏡を覗き込む要領で古文書に目を通した。
「これは……素晴らしいですね。本当にすべての文字が解読されている。いやはや、魔導テクノロジー様々です」
私は未来でこの解読コードを突き止めてくださった方々に改めて感謝の意を表した。
何しろ、現在この国の魔導研究機構に所属されているあの方々の尽力がなければ、今こうして、禁書を読み漁ることなどできなかったのだから。
「本当であれば、この時代で古代語を解読できたのは、あの人たちだけだったでしょうしね」
未来で私に妖しげな術を施したあの大賢者にしてエルフの魔女であるエスメラルダ。
そして、それに近しいエルフ族。
おそらく、彼らだけが、この時代でも普通に解読できたと思われる。
なぜなら、我々人類が古代文字と呼んでいるものすべては、今は使われなくなったとされる古エルフ文字だったからだ。
なぜ現在はもう使われなくなってしまったのかは、推察することしかできないが、おそらく、その言語のルールが難解過ぎて廃れてしまったのだろう。
「む……? これは……」
私は五つ目の文献の表題を目にして、我が目を疑った。
「魔力錬成の理……?」
それは、旦那様がお見せくださった『禁忌魔法』の書物と同じく、王宮の宝物殿にあってもおかしくないようなかなり分厚い豪奢な一冊だった。




