3.ヴィクター・ヴァンドール
私は窓の外に広がる前庭を眺めながら、状況を整理するためにまずは一つ一つ情報を紐解いていくことにした。
私は、前世でも裕福ではなかったが、残念ながら今生でも裕福とはいえなかった。
貧しい平民の家に生まれ、家計はいつも火の車。
食事も毎日腹一杯食すことはできず、空腹を紛らわせるために水で誤魔化していた。
それでも、懸命に努力し、魔法の腕は皆無だったが、剣一本だけで食っていけるまでには成長した。
十八歳の頃にはA級冒険者と呼ばれるまでに至った。
その上には更に、S級や化け物クラスの連中が大勢いた。
A級は上級冒険者と呼ばれる立ち位置にいるが、永遠に最強クラスの冒険者にはなれない中途半端な能力者の集まりでもあったことから、『永久に最強になれないA級モブ』と陰口叩かれることも多かった。
だから私個人としても、とても口惜しい毎日を過ごすことになった。
実家は貧乏だし、その日暮らしの冒険者など、やはり裕福とは程遠い生活だ。
数十年ほど前から盛んになった魔導産業のお陰で、魔法が使えない一般人でも比較的簡単に魔法の恩恵を受けられるようにはなっている。
しかし、魔導具は高価だ。
そのようなものを気安く使えるのは富裕層と相場が決まっている。
そして、私は剣の腕も中途半端。
貧乏で魔法も使えず、剣術もままならない。
まさしくモブと呼ばれるに相応しい人間となってしまった。
それでも、そんな私であったにもかかわらず、ひょんなことから知り合ったシュレイザー公爵家が、なぜか私を必要とおっしゃってくださった。
当時、もうじきお生まれになるお嬢様のために、お抱えの護衛を増やしたいとの仰せだった。
貴族社会にはあまりいい感情を持っていなかったから、正直躊躇した。
それでも何度も私のもとまで、当時の公爵家ご嫡男様自らが足を運んでくださり、熱弁してくださった。
だから根負けした私は、公爵家にお仕えすることにしたのだ。
そしてそれから半年が経過し、私が生涯お仕えすることになるアーデンヒルデお嬢様がお生まれになった。
私はそれを機に、彼女の護衛兼専属執事として、正式にお嬢様にお仕えすることになった。
しかし、それなのにである。
彼女が五歳の頃、お嬢様は少し目を離した隙に勝手にお屋敷を抜け出してしまわれ、賊に拉致されてしまったのである。
幸い、なんとか救出することには成功したものの、賊は捕まらず、黒幕すらわからずじまいの未解決事件となってしまった。
一抹の不安やら釈然としないもやもやとしたものが残ったが、それでもお嬢様が無傷であってくれて、皆一様に喜んだ。
しかし――
その一件を境に、すべての歯車が狂い始めてしまったのである。
元々お嬢様はお転婆なところはあったが、それに拍車をかけるように、お人が変わったように傍若無人となられ、誰のいうことも聞かなくなってしまわれたのだ。
十五歳となり、学園に入学して以降は更にエスカレートし、「乙女ゲーの悪役令嬢かよっ」とツッコミを入れたくなるようなお人へと変わってしまわれた。
『お~っほっほっほっ。さぁっ、私の前に跪くがいいわ、下賎で下等なる愚民どもよ! さすれば、私の靴に口付けする栄誉を与えてさしあげますわよ!』
そう高笑いされながら、王太子殿下を始めとした貴族令嬢やご子息などをかしずかせ、悪逆な限りを尽くすようになってしまわれたのだ。
はぁ……。
今思い出しただけでも胃が痛くなってくる。
なぜにあそこまでお人が変わってしまわれたのか。
あれでは本当にただの悪役令嬢ではありませんか――て。
……ん?
待てよ?
悪役令嬢だと!?
まさかここは、乙女ゲーの中なのか?
そこまで考え、私は一瞬、思考が停止した。
慌てて頭を振り、前世の記憶をほじくり回すようにする。
しかし、結局は詮無きことだった。
私は前世、乙女ゲーなどというものをプレイしたことがないし、ここがゲームの世界といわれても意味がわからないからだ。
だからもし本当に、その手のゲーム内に転生したのだとしても判断する材料がない。
うむ。
やはり、考えるのは止めにしよう。
余計に混乱してしまう。
――ともかくだ。
お嬢様は学園時代以降、何度お諫めしても、「うるさい! 黙りなさい!」と、聞く耳持ってくださらなくなってしまった。
そうして、あの日。
王太子殿下とのご婚約が決まり、更には王宮へと輿入れし、王太子妃から王妃へと上り詰められてからはもはや、あの方をお止めできる者は誰もいなくなってしまった。
そう、結婚相手であらせられる国王陛下でさえも腰巾着と成り果ててしまったのだ。
お嬢様は少しでも反意あると判断なされたら、誰彼構わず即刻処刑台送りにしてしまわれた。
信用ならないと判断なされたら、即、自身より遠ざけ、相手の反意を煽り、それを口実に一族郎党皆殺しになされた。
私は行く末を案じ、何度も何度もお諫めしたが、聞き入れてはいただけなかった。
けれど、あの方は、ある日を境に私に弱音を吐かれるようになられた。
毎日のように悪夢を見て、震え、怖いと訴えられ、抱き付かれるようになっていかれた。
私はできる限りお力になれるよう努力した。
その甲斐あってか、お嬢様は教えてくださった。
幼き日に経験したあの拉致事件。
あれを夢に見るのだと。
私はそれを聞き、すべてを察した。
お嬢様は誰も信じられなくなってしまわれたのだと。
信じられないからこそ、常に恐怖に怯え続け、マウントを取り続けるしかなかったのだと。
以来、お嬢様はかつてのように、私に対してだけは気高くも慈愛に満ちた、そんな眼差しで応対してくださるようになった。
諫言も聞き入れてくださるようになられた。
しかし、すべては遅過ぎたのだ。
お嬢様を生涯お守りすると誓ったにもかかわらず、年老いた我が身では、敵対派閥が画策した民衆巻き込んでのクーデターを抑えることができなかった。
お嬢様はもはやこれまでと、逃げも隠れもせず、大人しく敵に捕まった。
それに追従する形で私も捕まり、火あぶりとなった。
私の方が先に意識が飛んだから、あのあと、お嬢様がどうなったのかはわからない。
ですが、
「何度も申しますが、もしこれが本物の記憶であり、理由はわかりませんが、本当に時間が巻き戻ったのだとしたら」
壁にかかっていた魔導具製の時計を見た。
そこには現在の時間とともに、クーデターが起こった年より三十年も前の年月日が刻まれていた。
神暦一七五三年六月二十日――あと五日で夏至となる。
「神はこの私に同じ轍を踏むなと、そう申しておられるに違いない。二度と同じ過ちは繰り返すなと」
私は一人、自虐的に笑った。
しかし、そこで大事なことに気が付きはっとなった。
「バカな! 三十年前だと!? つまり今、私は二十四で、お嬢様は五歳――ハ!? いかんっ。いつだ!? いつだった!? お嬢様が拉致されたのは何月何日だった!?」
くっ。
まったく思い出せん。
お嬢様は確か五歳の頃に賊に拉致され、それが原因で破滅へと一直線となったのだ。
既に事件が起こったあとなのか。
それともこれから先、どこかのタイミングで起こるのか。
それとも、私の頭の中にあるこの明確な未来の記憶は、ただの世迷い言なのか。
今すぐそれを確かめなければならない!
「こうしてはおれん! ――お嬢様ぁっ」
私は黒のタキシード姿の上に、長剣を帯剣していることだけを確認すると、すぐさま部屋の外へと飛び出していった。
そして、お嬢様の無事を確認しようとお部屋へと向かったのだが、
「きゃぁぁぁ~~!」
お屋敷の裏庭辺りから、微かな悲鳴が鳴り響くのが聞こえてきた。
「お嬢様っ」
大慌てで一階へと降り、裏手口から外に飛び出していった私は、目をかっと見開いた。
忘れもしないあの日。
知らない間に連れ去られてしまったお嬢様。
それが今、現実のものになろうとしていたのである。
「やはり……あれは本当に起こった未来での出来事ということですか! そして今後起こりうる確定された未来! だが神よ。感謝いたしますぞ! 今一度、このときよりやり直す機会を与えてくださったことを!」
私は抜剣し様にそこへと駆け出していった。