24.審判が下る
私のタキシードの裾を離してくださらないお嬢様をお連れして、サロンへと移動した私は、大奥様に促されるままに豪奢な刺繍が施されたソファーへと腰かけた。
室内はいわゆる応接間のような作りとなっており、広大な室内入って真正面と左手側に大きな窓がある。
壁には棚や書棚が置かれ、高価な調度品が所狭しと並んでいた。
天井も壁も、大奥様のお好きなバラの模様が至るところに描かれている。
床には毛足の長い絨毯が敷かれ、扉から離れた位置にある大きな木製のテーブルを挟んで、ソファーが設置されていた。
まさしく、このお屋敷の長と呼ぶべきお方の居室だった。
大奥様は年老いた侍女にお茶やお茶菓子の準備を促されたあと、一番奥の一人がけソファーに腰を下ろされた。
対して私は大奥様から見て左手の三人がけソファーに腰を据えていた。
そしてその横には、私から離れようとなさらないお嬢様が座られ、結局入室を許された旦那様が、大奥様の対面に腰を下ろされる形となっていた。
「――なるほど。大体の事情は理解いたしました」
紅茶が運ばれてきた頃には、今回の騒動のあらましすべてが説明され、私は心の中で溜息を吐いた。
どうも、朝食前に旦那様のもとを専属執事のエヴァルト様や近習のフランツ殿が訪れたようで、そのときに昨日話し合った内容の一部をご説明なさったのだそうな。
しかし、会話されていた場所が、誰でも耳にできる四階書斎前の回廊だったからさぁ大変。
どうやら、たまたま近くを通りがかった侍女に話を聞かれてしまったようで、それが原因であっという間に尾ひれの付いた噂話となって侍女たちの間を飛び交い、私が解雇されるというありもしない話となって広まってしまったのだそうだ。
そして更によくなかったのが旦那様と大奥様の会話。
昨日の話にあったように、大奥様に事の成り行きをご説明し、納得していただこうと赴かれたらしいのだが、お二方がいらした場所が、またしてもサロンの前。
そこへ、マーガレットからおかしなことを吹き込まれたお嬢様が猪突猛進に駆け付け、話されていた内容を曲解し、先程のような大事となってしまった、とのことだ。
「申し訳ございませんでした、お父様。それからお婆さま。私の早とちりでしたわ」
「わかればよいのですよ、アーデ。ですが今後は二度と、このような騒ぎを起こしてはなりません。よろしいですね?」
「はい……」
ご自身が派手な勘違いをしていたことにお気付きになったお嬢様は、どこか恥じらうように反省の色を浮かべられていた。
「あ~~~……。一時はどうなるかと思ったが、これで万事解決だな」
心底お疲れのご様子の旦那様が両手をお広げになって、ソファーの背もたれにどかっと、寄りかかられた。しかし、
「お黙りなさい!」
「は、はいっ……」
「大体がです。あなたはシュレイザー公爵家当主であるという自覚がおありなのですか!?」
「い、いきなりなんの話ですか?」
「何ではありませんっ。普段のあなたの腑抜け面を見ている限り、とてもではありませんがこの家を引っ張っていけるとは到底思えません。本当に王宮ではちゃんとやれているのでしょうね!?」
「そ、それはもう、真面目にこなしているに決まっているではありませんか」
頬を引きつらせながら、ひたすら苦笑なさる旦那様。
大奥様は相変わらず眉間に皺を寄せられ、五十を過ぎているとは思えないほどの鋭い眼光を浴びせられていた。
私の隣にお座りになっていたお嬢様も、どこか緊張気味に縮こまっておられる。
やはり、隠居なされたといえども、大奥様はいまだに公爵家の長ということでしょうね。
やや心苦しい時間はその後もしばらく続いた。
ひたすら説教し続ける大奥様と、ひたすらタジタジとならざるを得ない旦那様。
そんな風景もどこか懐かしく感じてしまうのは気のせいか。
今はまだ年若く、政敵や部下たちの前では敬愛する偉大なる人物を貫いてはおられるが、家族の前ではまだまだ形無し。
将来的にはお屋敷の中でも外向きの顔同様、威厳に満ちた人格者となられるが……。
私の脳裏に浮かんでいるのは、旦那様が見せられた最後のお姿だった。
クーデターが起こってからしばらく内戦状態が続いた聖都は、そこら中で血みどろの争いが繰り広げられていた。
近衛騎士団を率いて戦う騎士団長と肩を並べて先陣を切られる旦那様。
ですが――
その背後から迫る凶刃が、私は今でも忘れることができなかった。
お嬢様もそうですが、私の大切な人たちすべてが悪意の前に倒される光景だけはなんとしても阻止しなければならない。
旦那様。
あなた様もお強くなられよ。
すべての悪意を退けられるだけの力を手に入れられよ。
さもなければ、大奥様の心配事が現実となってしまわれるのですから。
「さて、ヴィクターよ。待たせたな」
「いえ」
ひととおりお説教タイムも終わり、いよいよ本題に入ることになった。
既に私の意向は旦那様から大奥様へと伝えられているそうで、昨日の見解どおり、大奥様は快諾なさってくださっているらしい。
ただ、せっかくこうして、こういう場を設けたのだからと、改めて私本人の口から答えが聞きたいとの仰せだった。
「昨日、旦那様にも申し上げましたが、大奥様のお心、大変嬉しく存じますが、もしご迷惑でなければ今しばらく、お仕えしとう存じます」
「私としてはそれで一向に構いませんが、本当によいのですか? お前には息子のせいで随分と苦労をかけたと反省しています。せめてもの詫びのつもりで、たんまりと慰安金を下賜し、一生遊んで暮らせるよう手配してもよいのですよ?」
「ありがとうございます。そのお心遣いだけで十分にございます。平民出身である私を過分に扱ってくださり、本当に感謝してもしきれません。このご恩は一生かけて返しとう存じます」
「つまり、どれほど身体がボロボロになろうとも、生涯かけて我が公爵家に忠義を尽くすと、そういうことですか?」
「はい。そしてわがまま承知でお願い申し上げます。足手まといの通達がなされるそのときまで、どうか、シュレイザー公爵家――ひいてはお嬢様にお仕えさせていただきたく存じます。それが今、私が一番に望んでいることにございますれば」
ひたすら低頭する私に、
「はぁ……本当に息子が申したとおりですね。忠義バカというかなんというべきか――いいでしょう。その申し出、しかと承りましょう」
「ありがとうございます」
「――ロードリッヒよ」
「はっ」
「あとのことはあなたに任せます。よきように計らいなさい」
「畏まりました」
ソファーから立ち上がり、旦那様ともども腰を折る私に、お嬢様まで立ち上がって優雅にスカートの裾を広げられるのだった。




