23.わたくし、ぶち切れましたわ!2
「ヴィクター!」
私の存在に気付かれたお嬢様が怒ったような、悲しみに包まれたような、そんなお顔をされて、私のもとへと飛び付いてこられた。
さすがに受け止めないわけにはいかない。
私の腹にお顔を埋めるように抱き付いてこられたお嬢様。
腰までの長いプラチナブロンドの髪がふわりと舞う。
「ヴィクターっ……ヴィクター、ヴィクター、ヴィクター……! 私、イヤですわ! あなたがいなくなったら、誰が私のお世話をしてくださるというのですか? あなたなしでは私、お勉強もはかどりませんし、お洋服だって着られません! 夜、寝るときだって、誰にご本を読んでいただいたらよろしいのですか!?」
実際にお勉強を見てさしあげているのは専属教師ですし、身支度や就寝時のお世話なども、専属の侍女たちがすべて行っている。
夜中、何かあったときでも対処できるようにと、夜勤の侍女たちも控えの間に詰めている。
私が直接お嬢様にしてさしあげていることなど、ほとんどないはずでしたが、どうやら、酷く混乱しておられるようだ。
「お嬢様、落ち着いてくださいませ。このヴィクター、どこへもまいりません」
「嘘ですわっ。だって、お父様とお婆さまがヴィクターをクビになさると、そう風の噂で伺いましたもの!」
「いえ、ですからそれはすべて誤解なのでございます」
「誤解……?」
「左様にございます。すべては誤解から生じた見解の相違にございます。常日頃から私は申しておるはずです。どのようなことがあろうとも、噂話に惑わされてはなりませんと」
「で、ですが……!」
なおも納得しておられないご様子のお嬢様は、可愛らしいお顔を涙でくしゃくしゃにされていた。
なんと胸が痛くなるお姿か。
マーガレットめ。
これはもう、あとで折檻が必要なようですね――あ、いえ、既に母上であらせられるメアリー様が行っているやもしれませんね。
たびたび、きつく叱られている姿をこの目で拝見しておりますし。
仕方がありません。
あちらはすべてお任せするとして。
「やれやれ。たくっ、本当にまいったわ」
言葉どおり、旦那様は酷くお疲れのご様子だった。
左手を後頭部に当て、近寄ってこられる。
「まったく誰に似たのか知らないが、このじゃじゃ馬め。俺の言うことをまったく信用せず、まるで聞く耳持たんときた」
「旦那様……それは日頃の行いに問題がおありなのでは?」
「抜かせ」
旦那様は苦笑され、お嬢様の頭に大きくてゴツゴツとした右手を置こうとなさったのだが、
「近寄らないでくださいまし!」
「なっ……お、おい……アーデ……?」
「私のヴィクターを排除しようとなさるお父様など、もはやお父様でもなんでもありませんわっ。しっしっ……!」
「なっ……」
私の背後にお隠れになったあと、旦那様を思い切り睨み付けながら舌を出されたお嬢様に、旦那様が顔面蒼白となられた。
おそらくこれが止めとなったのだろう。
その場に両手両膝つくという、貴族にあるまじき格好となってしまわれた。
「あらあら、ざまぁないですわね」
「まったく……何をどうしたらこのような親バカに育ってしまったのかしら。もしかして私の教育が間違っていたのかしらねぇ?」
豪奢な白い扇子でご自身をあおがれながら、今しも高笑いを上げそうな奥様と、「あぁ……本当に嘆かわしいバカ息子だこと」と、小声で連呼なさる大奥様。
そんなお二方がこちらに近寄ってこられた。
「大奥様に奥様、此度は私めのことで、大変お心煩わしいご気分にさせてしまいました。なんとお詫び申し上げてよいやら」
慇懃に腰を折る私に、
「よい、その方が気にすることではなくってよ」
大奥様の若干低いお声が頭上から降ってきた。
「そうですよ。何もあなたが謝る必要などありません。元はといえば旦那様が不用意過ぎたのがいけないのですから」
「そうおっしゃっていただけると、私としても心安まる思いにございます」
許しが出たことで頭を上げる私に、下からちらちらと、旦那様が意味深に視線を送ってこられる。
どうやら、ご自分のことも、お嬢様や奥様方に申し開きして欲しいということなのでしょう。
なんともまぁ落差の激しいお方か。
あの剛毅な旦那様が、奥様や大奥様の前では形無しとは。
「それでその、此度の件、本当のところ実際に何があったのかよくわかっていないのですが、もしよろしければ――」
「そうですね。ロードリッヒと話し合いが付き次第、あなたを呼びにやる予定でしたから丁度いいでしょう。ついてきなさい」
大奥様はそうおっしゃって、すぐ近くのサロンへと入っていかれた。
奥様やリリアンローゼ様、それから公子様を抱かれた乳母の皆様方は、私の脇を通り過ぎ、去っていかれようとする。
「あ、あの、ところで旦那様はこのままでよろしいのでしょうか?」
慌てて声をかける私に、
「しばらくそのまま反省しているといいですわ」
どうやら怒ってらっしゃるようだ。
がっくりと項垂れる旦那様に、私は軽く溜息を吐いた。




