2.時の逆行と異世界転生
業火に焼かれる苦痛に気が狂いそうになり、意識を失ったと思った次の瞬間だった。
「……ん?」
それらすべての不快な感覚が一瞬にして消滅し、私はおかしな場所に現出していた。
いや、おかしなではない。
ここは、どこかで見たことがある場所だった。
「そうだ……間違いない。確かここは、私が公爵家にお仕えしていた頃に与えられていた自室ではありませんか」
辺りを見渡してみると、確かに見覚えがある。
使用人の部屋だから決して広くもなく、家具調度品も揃っているわけでもない。
しかし、慣れ親しんだその部屋は、とても居心地がいい場所だった。
「ですが、これはいったいどういうことですか? 何が起こったというのですか? なぜ私はこのような場所に立っている?」
私が公爵家にお仕えしていたのは、王妃様となられたシュレイザー公爵家のご令嬢アーデンヒルデお嬢様が王立学園へと通われる十五歳までの間だったはず。
それ以降はあの方とともに学園へと居室を移し、更にその後、王太子殿下とご婚約、ご成婚なされてからは、王太子妃付き執事として、王宮へと上がったはずだった。
それなのにどうしてこんなところにいるのか。
それ以前に、私は火刑に処されて死んだはずではなかったのか?
「まさかアレは白昼夢だったとでもいうのですか? 私はそこまでもうろく爺になってしまったということなのでしょうか?」
それとも、理由はわかりませんが、何かしらの言付けで、こちらに戻ってきただけということなのでしょうか?
「さっぱりわかりません」
私は狐につままれたような気分だった。
心を落ち着けようと、顎髭をさすろうとして、そこに本来あるべきはずの白髭がなくなっていることに気が付きビクッとした。
慌てて部屋の隅に置かれていた姿見を覗き込み――愕然とした。
「バカなっ……若返っているですと!? 何が起こったというのですか!?」
鏡に映っていたのは紛れもなく、若かりし頃の自分自身だった。
おそらく、二十代半ばとかそのぐらいだろうか。
白髪交じりの黒髪は漆黒の装いとなっているし、顔に刻まれた皺もまったくみられない。
やや濁り始めていた瞳も、艶のある黒一色。
当然髭もない。
本当にいったい何がどうなっている。
意味がわからん。
私はいったいどうしてしまったのか。
驚きのあまり、思わず営業口調が吹っ飛び、粗野だった十代の頃の自分へとなりかけていた。
「いや、待てよ……?」
そういえば、処刑場にいたあの魔女が、おかしな魔法を使っていなかっただろうか?
その能力を脅威と判断されクーデター派に魔法封じを施されていたにもかかわらず、確かに魔法を使用していたような気がする。
もしかして、アレがこのようなおかしな現象を引き起こす要因となったのだろうか?
いやしかし、アレが現実なのか、それともこれが現実なのかすら、今の私には判断がつかなかった。
「いったい――」
そこまで考えたときだった。
急に目の前に閃光が走り、立ち眩みを覚えた。
「ぐ……」
酷く記憶が混乱していた。
意識まで朦朧としてくる。
頭痛にも苛まれ、激流に飲み込まれてしまったかのように、一瞬、記憶が飛んだ。
そう思ったときだった。
「なんだ……これは……」
おぞましいほどの不快な感覚が全身を突き抜けていった。
よくわからない記憶の渦が視界を奪い去り、完全に意識が飲み込まれてしまった。
遙かなる遠い記憶の物語。
霞がかったおかしな光景。
天を貫かんばかりのビル群が無数に建ち並ぶ大通り、そこを私は歩いていた。
――あぁ、そうだ。私は暑い夏の日差しの中、外回りの仕事に出ていたのだった。そして、突然、誰かが叫んだような声を聞いたのだ。
私は釣られて上を見上げた。
工事現場の隣を歩いていた私の上に、大量の鉄筋が降ってくるのが確認できた。そして――
「くっ……なんだ……今のは。なんの映像だ……映像? いや記憶だ。誰の? 私……いや、俺の記憶だ……! ついさっき起こった俺の……!」
そう認識した瞬間、霧に包まれていた意識が一気にクリアになっていくような気がした。
腑に落ちなかったすべての現象が、たった一つの心理へと導かれていくような感覚にも襲われる。
そして――
……清々しい。
それが、前世の記憶が蘇って初めて感じた私の想念だった。
◇
「まさか……これがあの有名な異世界転生という奴か……?」
私の頭の中には二つの記憶があった。
いや、正確にいうと、二つではない。
簡単にいえば、二本の映画を一本に繋ぎ合わせたかのような感じ。
最初の映画が終わったあとに、もう一つの映画が始まったような。
よくわからないが、前世、工事現場の横を通っていたときに事故に巻き込まれ、そこで私は死んだらしい。
そして、そこから今の私という人間が始まった。
前世での私は社会人となったばかりの新人で、毎日のように上司に怒鳴られていたような気がする。
特に問題行動もなかったというのに、八つ当たりのように叱られた。
デスクワーク志望で入社し、優秀な成績を収めていたにもかかわらず、なぜか営業へと左遷されてしまった。
そこから私の人生は大きく狂ってしまった。
上司にも取引先にも毎日頭をペコペコ下げ、暑い日も寒い日もひたすら社外を練り歩いた。
このまま権力すべてに押し潰されて死んでいくのではないか。
そんな、どうしようもない徒労感に押し潰されながら、あの日も外回りに出ていたのだが――
くく。
笑える。
どうやら事故に巻き込まれて本当に死んでしまったらしい。
笑うしかなかった。
現在の人格がどちらのものなのか、それとも、一つに融合した新しい自分なのか。
私自身としてはよくわからない。
しかし、確かに自分というものを明確に感じ、今ここに存在している。
「そうか。そういうことか。私は転生したのだな……」
そう自分に言い聞かせるように、何度も何度も呟いた。
す~っと、気分が落ち着いていく。
依然、状況はよく掴めていなかったが、私がヴィクター・ヴァンドールという人間となって、この世界でずっと生き続けてきたことだけは確かだった。
それだけわかれば十分だ。
あとは先程見た、凄惨な光景。
私がこの部屋で目を覚ます前に見たあの光景が白昼夢なのではなく、実際に起こった未来での出来事なのかどうかはよくわからない。
しかし、もしアレが本当のことであり、なんらかの理由でこの時代へと時間が巻き戻ってしまったのだとしたら――
「神は私に、やり直しの機会を与えてくださったということなのですか?」
私は窓際へと歩み寄り、外の風景を眺めた。
自室のある四階の窓から見える昼日中の大庭園は、一段と青みを増していた。