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シュレイザーとグレイアルス

 数日後の昼過ぎ。


 一人の男がシュレイザー公爵邸二階の謁見室を訪れていた。

 ゲバルク・クワィエット・グレイアルス侯爵。

 御年五十三を数える白銀の髪をした現財務大臣を務める御仁だ。


 グレイアルス侯はシュレイザー派閥筆頭貴族であり、先祖代々より強い繋がりを持っている大貴族でもある。

 何より、現シュレイザー公ロードリッヒの妻であるアナマリアはこの男の娘だった。


 つまりは、


義父上(ちちうえ)、よくぞお越しくださいました」


 表向きは満面の笑みで迎えたロードリッヒに、「忙しいところすまんな」と、凄みのある顔で応じるグレイアルス侯。

 正直、ロードリッヒは「なんでこんなときに来るかな」と、今すぐ逃げ出したいところだった。


 赤髪の獅子公(レオンハルト)と恐れられる彼ではあるが、実はこの男が大の苦手だったのだ。

 グレイアルス侯は先代――つまりロードリッヒの父親とよく似た雰囲気を持っている。


 まったく冗談が通じず、融通も利かない恐ろしいほどの堅物だった。

 ある意味、母親ともよく似ている。

 つまりは、彼にとっての義理の父親は間違いなく「クソ爺」なのである。


(たくっ。ただでさえいろんなことが立て続けに起こって頭を悩ませていたというのに、このタイミングで来るのか。さすが親父殿は鋭いな。大方、先日の魔物騒動のことか何かだろうが)


 謁見室とは名ばかりの貴賓(きひん)をもてなす応接室でもあるこの部屋には、執務室にあるようなデスクは置かれていない。

 部屋中央に長方形のテーブル挟んでソファーが二つ置かれているだけの簡素な部屋だ。

 グレイアルス侯とロードリッヒは互いに向かい合うように座った。


「それで、お話があるとのことでしたが、いかようなことで?」

「あぁ、そのことだが、おそらくお前も察していよう。例のケツァールカトラスのことだ」


 背もたれに寄りかかり、ギロリと鋭い視線を飛ばしてくる御仁に、「やはりか」と、ロードリッヒは溜息を吐く。


「おそらくそうだろうとは思っておりました。それで義父上は何をお知りになりたいので?」

「すべてだ」

「はい?」


「事の顛末のすべてを話せ。一応私も先日の議会でこの一件についての報告は受けている。突如襲来した謎の生命体が、本来この地域に生息していないケツァールカトラス三体だったとな。そして、そいつらがなぜか、お前のところの屋敷を襲撃した」


「えぇ、そうですね。そのときお越しになっていた殿下らも目撃しておりますし、先日議会で報告したとおりです」


 事件があってすぐ、緊急議会が開催され事情のすべてを説明させられた。


 もっとも、あのお茶会には殿下ら以外にも国王やその警護の近衛も何人かいたが、表向き、ロイ陛下は屋敷に来て()()()()()ということになっている。


 本来、陛下は来訪する予定がなかったからだ。

 あくまでもお忍びで遊びに来ただけ。


 そのため、もしそれが公式発表されてしまうといろいろ面倒なことになる。


 おそらくあのとき宮廷にいた者たちは皆気付いていただろうから、今更隠したところでなんの意味もないのだが、公式発表となると話は別だ。


 この手のことが大嫌いな聖王国宰相バルトロメウ・クワィエット・エッフェンベルガー公爵が大騒ぎするのは目に見えている。


『一国の主が何をしておられるのか。あなたは国をしょって立つべきお人なのですぞ?』


 と。

 そして、それを口実に、ロードリッヒにも嫌みを連発するに決まっている。


『貴公が職務をしっかりまっとうしていないから、こういうことになるのではないのかね?』


 と。


(だから陛下には勝手なことをして欲しくないんだがな?)


 ロードリッヒ以上に豪放なあの御仁に自粛しろという方が無理があるが、それでも敢えて言いたくなる。


「いい加減にしろ」と。


 ついでに、「ヴィクターにもちょっかいを出すな」と。


「はぁ……」


 いろいろなことを思い出してしまい、思わず溜息を吐くロードリッヒだったが、そこへ追い打ちをかけるように、


「お前が国のため、あるいは我らが派閥や陛下の御為にいろいろ陰で動いていることは知っているし、そのことについて口を挟むつもりはない。だが、今回の件だけは別だ。お前、何を隠している?」


「はい? 隠すとは?」


「とぼけるな。私の家はここのすぐ北側に位置しているのだぞ? そしてあのとき、私も屋敷にいたから騒動を直接目撃しているのだ。ここまで申せばわかるであろう?」


(ちっ……本当にタイミングが悪いな、このクソ爺。おそらくヴィクターが仕掛けたあのガーディアンとやらも、当然のように目撃しているのだろう)


 凶悪な魔物として知られるケツァールカトラスを一撃で屠ってしまったとんでもない防衛兵器の謎。

 グレイアルス侯はおそらく、それを知りたがっているのだろう。


 だが、実のところ、ロードリッヒも詳しいことは何一つ理解していなかった。

 ヴィクターからは魔法造物生命体を設置したと説明を受けていたが、それ以外のことはいっさい知らされていなかった。


 どうせ聞いてもわからないと思って敢えて興味を持たなかったともいう。

 しかし、よもやあれほどの化け物級だとは思ってもみなかった。


 あれを実際に目撃した陛下が激怒したのもわかろうものだ。

 であれば、同じように、グレイアルス侯もその正体について知りたいと思っても不思議ではない。

 が――


「なんのことやらさっぱりですな、義父上」

「なに……?」


「実は俺も、あのとき何が起こったのかさっぱりでしてね。いきなり魔物が空から降ってきたかと思った次の瞬間には、粉微塵に消し飛んでいたのですよ。この辺は議会でもご説明したはずですが?」


「確かにそのように申しておったな。だが、何もわからんではすまされんだろう。実際に何が起こったのかは私も知らんが、確かにおかしな光がこの屋敷の上空で炸裂したのをこの目で確認しておるのだ。しかも、光が消えたときには魔物が木っ端微塵に砕けておった。あのような惨状を一撃で繰り出せる魔法など、私は知らんぞ?」


(まぁ……そうでしょうね。俺だって、自分の目を疑ったぐらいだからな)


 ヴィクターがこしらえたものだから、その辺に転がっているような低級な代物でないことはなんとなく察していたが、あれが魔法かどうかすらもよくわからない。


「義父上、確かなことは何も申せません。ですが以前、不覚にも、アーデを誘拐しようとした不届き者の侵入を許してしまったことがありましてね。そのときに、うちの優秀な執事が我が身を呈して救い出してくれたことがあったのですが、記憶されておいでですか?」


「……その件か。以前に報告を受けておる。まさか我が家のすぐ目の前でそのような事件が起こるとは思いもしなかったがな。しかも、アーデは私にとっても可愛い孫娘の一人だ」


「おっしゃるとおりです。ですので、俺は二度とそのようなことがないようにと、この屋敷のそこら中に強力な防衛体制を敷くようにしたのですよ」


「まさかその防衛網が今回作動し、敵を撃退したと?」

「詳しいことはわかりません。実際にそれを担当したのは我が公爵家が誇る魔導士たちや、例の執事にございますからな」


 ロードリッヒは暗に仄めかすようにじっと、グレイアルス侯を凝視した。

 白銀の髪の御仁も切れ者だ。

 その意図を明確にくんだのだろう。


「あの男か……確か名をヴィクター・ヴァンドールと申したか」

「えぇ。我が忠実なる家臣にして、無二の親友にございます」

「ふむ。なるほど。そういうことか」

「えぇ。そういうことにございます」


 グレイアルス侯は難しい顔となる。


「我が孫を窮地から救い、半死半生となったにもかかわらず恐ろしいほどの回復力を見せ、それだけに留まらず、近衛騎士らが束になっても叶わなかった賊を一瞬にして撃破してみせた男。公式には殿下をお救いしたのは公爵家の騎士たちということになっているが、私もあの場にはいたからな。大体の事情は承知している」


 考え込むように独り言を呟くグレイアルス侯は、最後に射貫くような視線をロードリッヒに向けた。


「いろいろ訳ありということか」

「察していただけるとこちらとしても助かりますが」


「……わかった。あの男が絡んでいるというのであれば、これ以上の詮索は無用ということか。お前があの男に異様なまでの肩入れをしているということも知っておるからな。風の噂では、陛下まで最近ご執心とか。まったく。本当に困ったものだ」


「えぇ。あの方にはご自重して欲しいところですがね」

「私に言わせればお前もだぞ?」

「はい?」


「おそらく、陛下も動いておられるということは、あの男絡みで外に漏れるとまずい何かがあるということなのだろう。そして今回の一件にもそれが絡んでいる。にもかかわらず、あの男を安易に重用しすぎなのではないか? もう少ししっかりと鎖に繋ぎ、外部に情報が漏れないよう細心の注意を図った方がよいと思うのだがな?」


「一応そうはしているのですがね」

「本当にそうか? 時折、彼の者が自由気ままに敷地内を闊歩(かっぽ)している姿が、我が屋敷内からも見えておるぞ? 特に、新設した新しい礼拝堂のような建物付近でな」


 グレイアルス侯が口にしている礼拝堂とはおそらく新設された魔導工房のことだろう。

 建てられている場所が彼の屋敷の真ん前ということもあり、よく目立つ。

 表向きは礼拝堂に偽装しているとはいえ、時折資材の搬入なども行っている。

 ただの礼拝堂に見えるはずがない。


「とにかく善処はしますよ」


 肩をすくめるロードリッヒに、


「十分用心することだ。私に言わせれば、アレは『放し飼いにされた危険極まりない凶悪な番犬』にしか見えんからな」


 意味深にそう口にするグレイアルス侯に、ロードリッヒはただ苦笑してみせるだけだった。

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