103.本気の仕合、魔法の神髄
「素晴らしい……素晴らしいぞ、ヴィクターよっ。これだっ。この身体のうちから震えが来るこの感覚! 俺はこれを求めておったのだっ。本気で貴様とやり合えるこの瞬間を待っていたぞ! さぁ、遠慮はいらん! かかってくるがよいわ!」
陛下はそうおっしゃると、素手で身構えられた。
それだけではない、全身から魔力の光が漏れ始めている。
「……陛下……そこまでしますか」
「当たり前だ! このような機会、二度とないかもしれんのだからな!」
そうおっしゃると短く詠唱を切られ、雄叫びを上げられる。
一気に力が解放された。
どうやら身体強化魔法をかけたようだ。
「俺はあの日――フィリップたちを襲った賊どもをお前が返り討ちにしたという知らせを耳にしたとき、どれほど興奮したかお前は知らんだろう。元はA級冒険者とはいえ、一介の執事に身をやつし、更に満身創痍となったあのお前が近衛すら太刀打ちできなかった賊をどうやって打ち倒したのか、ずっと気になっておったのだ。だからこそ、昔みたいに立ち合いの相手として指名したのに貴様という奴は! すっかり犬になりおって。なぜ全力でかかってこん!」
「陛下……ご冗談はおやめくだされ。私はただの使用人にございます。それ以上でも以下でもございません。宮廷のルールに従うが道理にございます」
「ほざけっ。そんなもの、クソ喰らえだっ。俺はな、ヴィクターよ。震えが来るほどに全身を燃え上がらせてくれる、そんな奴と戦いたいだけなのだっ」
「まったく……本当に旦那様とそっくりにございますね」
私は観戦しておられる旦那様を一瞥した。
お嬢様とご一緒にこちらを見ておられるあの方は、腕を組んで難しいお顔をされている。
何をお考えなのかはまったく読めませんでしたが、
「……性格だけでなく、微妙に戦闘狂なところもそっくりとは。本当に残念にございます」
「何か申したか!?」
聞こえないようにぼそっと呟いたはずでしたが、どうやら旦那様は地獄耳らしい。
「いえ別に」
私は短く返し、陛下に倣う形で身構えた。
「陛下、一つお約束いただけませんか?」
「何をだ?」
「万が一私が本気を出し、宮廷作法を思い切り破ることになったとしても、いっさいの責を取らないと」
私が何を言いたいのかご理解くださったようだ。
「世迷い言を。そういう台詞は俺に勝ってから吐くのだなっ」
ニヤッとされる豪腕の王者。
私も同じように笑った。
「でしたら、すべてが終わってからもう一度、お願いに上がりましょう」
そう宣言するや否や、私の全身からも青白い粒子がこぼれ出し、辺り一帯に飛散した。
その光景はまるで、星々の煌めきのようだった。
至るところからクスクス笑う幼い声が聞こえる。
周囲のギャラリーからどよめきのような声が巻き起こった。
そんな中、
「それでは陛下、まいりますよ。魔力とはなんなのか。真の身体強化魔法とはいかほどのものなのか。その神髄を今からたっぷりとお見せいたしましょう」
目には目を、歯には歯を。
陛下が身体強化系魔法を使用して拳で向かってこられるなら、私もそれに応じなければならない。
もっとも、私が使用する強化魔法は現代で使われているものよりも、数倍の効力を発揮するものですけれどね。
「来い! ヴィクターよっ。ともに戦人の高みへと登ろうではないか!」
私が古代魔法言語による高速詠唱を唱え終えた瞬間、陛下のお姿が練武場から消えた。
しかし、私の目にはすべてが見えていた。
まっすぐ向かってくると見せかけて、すぐ目の前で軌道修正し左側面からの一撃を繰り出してこられる。
その速度たるや、先程までの比ではなかった。
まだこれほどまでに速力が上がるのかと、驚きを禁じ得ない。
いくら強化魔法を施しているとはいえ、限度というものがある。
どんなに高レベルの魔法を駆使しようとも、所詮は強化魔法。
元の身体能力が大きく左右される。
つまり、それだけ陛下のポテンシャルが常人を超えているということだ。
しかし、私はそれを上回る速度で一歩後退し、いともたやすくかわしていた。
ブンッと、空気が震えるような衝撃波が遅れて生じる。
先程まで私がいた場所に、豪腕で知られる陛下の右拳が叩き付けられていた。
さすがにあんなものを喰らったら、古の叡智を手にした私とて無事ではすまない。
「ちぃっ」
かわされたとみて陛下が舌打ちされた。
私は間髪入れず、がら空きとなった右側面に十分手加減した一撃を打ち込んだが、避けられないと悟ったようで、陛下に両腕でガードされてしまった。
しかし、その程度のことで威力を相殺できるはずがない。
思い切り吹っ飛ばされていく陛下。
かの御仁は両足に力を入れ踏ん張りながらも、なんとか壁への激突を防がれたようだ。
「やはり、とんでもない男だなっ。おい、ヴィクター! 今すぐ俺の側近として宮廷勤めせよ! 好待遇も約束してやるぞ!」
ニヤリと笑われる陛下でしたが、
「ご冗談を。私はシュレイザー公爵家筆頭執事にして、お嬢様専属使用人にございます。とてもとても、陛下の側近など務まりますまい」
「ぬかせ! ならば、力尽くでいうことを聞かせるまでだ!」
そうおっしゃり、再び向かってこられる。
どうやら勝手に目的をすり替えられてしまったようです。
なんて強引な……。
などと思っているうちに、いきなり目の前に現れた陛下の右拳が顔面に炸裂しそうになった。
旦那様同様、恐ろしいほどの腕力を持っておられる陛下の拳など、まともに受けたらあっという間にぼろ切れ同然となってしまう。
間一髪かわした私はそのまま陛下の脇腹へと一撃をお見舞いする。
「ぐっ」
まともに入ったはずだが、まるっきり効いておられないご様子だった。
面倒ですね。
さすがに禁呪を使用している手前、相手を殺す気で立ち向かっていったらどうなるかわかったものではない。
それに、この強化魔法がなぜ禁呪指定されたのか。
『長時間使用による肉体損傷』
このまま続けていたら、毒に侵されよぼよぼのクソ爺みたいになっていたあの頃に逆戻りとなってしまう。
さすがにそうはなりたくなかった。
さっさと決めないと、まずいことになる。
「……本当は勝ってはいけないのだから、負けるに越したことはありませんが、どんな言いがかりを付けてこられるかわかったものではありませんからね」
「おい、どうしたっ、ヴィクターよ! 手が止まっておるぞ!」
再度、激しい攻防が繰り広げられる中、陛下は楽しくて楽しくて仕方がないといったお顔で叫ばれた。
真正面からかまいたちを伴う豪腕の連打が幾度となく繰り出されてくる。
私はそれをギリギリかわしながらも、
「本当に厄介ですよ、陛下も旦那様も」
「おい……! 何か申したかっ……?」
どうやらぼそっと漏らした声が聞こえてしまったようです。
距離の離れた場所におられるはずの旦那様から再びヤジが飛んできた。
やれやれ。
地獄耳にもほどがあります。
ですが――
このままではキリがないと覚悟を決め、私は全速力をもって素早く動いた。
「…………!」
瞬間、私の姿はおろか、気配すら見失ったらしい陛下が愕然とされ、一瞬の隙が生まれた。
それを見逃す私ではない。
「これで終わりです、陛下」
呟くと同時に打ち抜くような右の撃鉄を炸裂させる。
筋肉鎧の背中へとそれが着弾した瞬間、
「がはっ……」
もろにその一撃を食らった陛下が、もんどり打つように吹っ飛んでいかれた。
「のわぁぁ~~! おい、ばかっ。なぜこっちに飛んでくる!」
「うわぁ~~!」
弾き飛ばされた先におられた旦那様が悲鳴を上げられ、周囲にいた近衛騎士らもあたふたし始めた――まぁ、旦那様にぶつけようと思い、わざとそちらに殴り飛ばしたのですがね。
もっとも――唯一の誤算だったのは、旦那様の側におられたお嬢様まで、びっくりさせてしまったことでしょうか。
さすがにこのまま呑気に見物していたら我が主が危険だ。
私は陛下と併走するような形となって疾く駆けた。
そして、目を回しておられる尊きお方が旦那様へと激突する寸前、お嬢様だけをお姫様抱っこして救出すると、その場を優雅に離れた。
その数瞬後。
どか~んっという激しい音を立てて、二人の御仁が床の上に転がるのであった。
「くそっ……。おい、ヴィクターよっ。あとで覚えてろよ!」
「はい?」
どこか頬を赤く染められているお嬢様を床の上に下ろしたあと、お二方のもとへと近寄っていった私に、旦那様が怒ったように叫んでこられた。
よく見ると、陛下の下敷きとなって苦悶の表情を浮かべられている。
対して、肝心の陛下はというと。
「ぐっ……なんという重い一撃だっ……身体にまったく力が入らんぞ……!」
どうやら気を失っておられたのも一瞬だったようで、旦那様を押し潰すような格好で立ち上がろうとなされていたが、まったく動けないご様子だった。
仕方なく、私は手をお貸しし、なんとか上半身だけでも起こしてさしあげる。そのうえで、
「陛下。これにて勝敗は決しました。ご満足いただけましたか?」
慇懃に腰を折る私に、最初、旦那様ともどもぶそ~っとしておられた陛下でしたが、
「がははは……! ぃやぁ~、まいったまいった! 派手に負けおったわ、この俺がな! このように痛快なときを過ごしたのは本当に久方ぶりだ!」
あぐらをかいている膝を何度も叩かれる。
「まったくっ……お戯れが過ぎますぞ、陛下。俺までとばっちり喰らってしまったではありませんか」
「そう言うな。お前だって俺と同じく全力で相手できる奴とこうして戦ってみたいと思うだろう?」
「それはそうでございますが――しかし、お立場をお考えください」
身体中を痛そうにされている旦那様へと、医師団が治癒魔法をかける中、
「よし、決めたぞヴィクターよ!」
「はい?」
陛下がニヤニヤしながら私を見る。
「やはりお前は俺の部下にこそ相応しい! ロードリッヒのところなどにいないで、今すぐ俺のところへ来いっ」
そうおっしゃりながら、更に豪快な笑い声を上げられるのだった。しかし、
「陛下。ですからヴィクターはさしあげないと、何度も申したはずですぞ?」
呆れたようにおっしゃる旦那様がいたかと思えば、
「そうですわ、陛下! ヴィクターは私の、私だけのヴィクターですのよ? 断じてさしあげるわけにはまいりませんわ!」
ご機嫌斜めとなってしまわれたお嬢様が私へと近寄り、タキシードの裾をしっかりと握りしめられる。
しかしそれでも陛下の笑い声が収まることはなく、更に私たちへと近寄ってこられたフィリップ殿下が「やっぱ、かっけぇぇ! 師匠! 是非私に剣術をお教えください!」などと、勝手に私を師匠と決め込み、興奮のるつぼと化すのであった。
「やれやれ……」
こうして、陛下の無茶振りから始まった一連の騒動は一端幕を下ろしたものの、今後私を取り巻く人間関係が更にややこしくなってしまったことはいうまでもありません……。
みなさん、勝手過ぎませんか?
ここまで愛読くださり誠にありがとうございます。
本エピソードをもちまして第二部前半戦が終了となります。
本来であれば、このあと連続で第二部後半戦へと突入していく予定でいましたが、度重なる体調不良の末に、二度ほど魔女の一撃を食らってしまったため、一ヶ月以上、物理的に続きのお話が書けない状態となっておりました。
そのため、現在、ストックがほとんどありません。
そこで、誠に勝手ながら執筆完了するまでいったん連載を休止いたします。
ですが、閑話に当たるinterludeが三本ほど、現時点で公開しても問題ないかな? と思える状態になっていますので、とりあえず、一週間に一本の割合で続けて三エピソードほど公開していく予定でいます。
その後、第二部完全完結まで執筆推敲校正作業&アップロード&空行対応などを行い、すべて完了したところで再度、本編の続きを公開していく予定です。
一応本編再開のタイミングで『これまでのお話』という形で第一部と第二部前半戦のあらすじも載せますので、安心して続きからお読みくださればと思います。
そんなわけでして、誠に申し訳ございませんが、再開まで気長にお待ちくださればと思います。
ぺこり




