102.陛下の無茶振り
どうしてこうなった?
よくわからない魔鳥騒動のせいで、急遽お茶会がお開きとなってしまった。
それはまぁ、最悪仕方がないことですので、いいとしましょう。
お茶会自体は概ね成功を収めましたし、お嬢様にとってもいいご経験となったのは確かにございますからね。
ですが、今現在、私が置かれている状況は非常に納得できるものではなかった。
「おい、ヴィクター! 今日こそは本気でかかってこい! 手など抜こうものなら不敬罪で裁判にかけるからなっ」
そんなムチャクチャな。
説教と称して私たちが連れてこられた場所は、お屋敷地下にある練武場だった。
先程説教されるとおっしゃっていたにもかかわらず、なぜか急遽立ち合いをすることになってしまったのである。
「うう……酷いです……陛下……がくっ」
既に私の前にグラスナー殿が相手をさせられており、教育的指導という名目のもと、あっさりとボコボコにされてしまった。
現在、彼はスカーレット女史や公爵家お抱えの医師らによって、治癒を施されている真っ最中である。
「陛下、お戯れが過ぎるのではございませんか?」
「黙れ! あのような隠し球を持っておきながら、それを報告しなかったお前が悪いのであろうがっ」
「それはそうでございますが……」
だからといって、禁書の内容をおいそれとお教えするわけにはまいりませんからな。
差し障りのない古の叡智の一端程度であれば大丈夫でしょうと思い、武具類のことはお話ししましたが、さすがに禁呪は話せませんからね。
たとえそれが陛下であろうとも。
何しろ、陛下のお近くにはいろいろと不穏分子がおりますし。
その代表格が将来、古代文字の解読に成功する魔導士団団長や王立魔導研究機構の最高顧問のあの方々ですし。
そして宰相派閥。
「とにかくだっ。本気で俺と戦え! それで今回の不敬はチャラにしてやるっ。わかっておるのだぞ? お前が普段手を抜いていることぐらいな!」
「え……」
どうやら見抜かれていたらしい。
やれやれ、面倒なことになってしまいましたね。
お説教とは名ばかりで、真の目的は私との真剣勝負だったというわけですか。
本当に面倒な御仁だ。
陛下の頭の中からは既に、私が作ったガーディアンに対する興味など、欠片も残っておられないのでしょう。
――それはそれで好都合ではありますがね。
私は、十メトラル(十メートル)ほど距離を開けて対峙しておられる陛下をじっと見据える。
陛下は今、王者の衣を脱ぎ捨て、白いシャツとズボンだけという姿となっておられる。
かなりの筋肉質ゆえ、シャツが今しも弾け飛びそうだった。
そんなあの方の両手には、演習用の木刀が握られている。
大剣を模したものだ。
対する私は普段どおりのタキシード姿のまま、普通の木刀を握りしめている。
地下練武場の左手側の壁には、お嬢様や旦那様を始め、殿下方や彼らの警護のためについてこられた近衛騎士の面々がおられる。
他には伸びているグラスナー殿と、それを看病している医師団のみ。
お茶会のために来られたお客人方は既にお帰りいただいているので、ギャラリーはこれだけだ。
しかし、それでも非常にやりづらかった。
貴族社会には宮廷作法という絶対的な価値観が根付いている。
万が一本気で戦おうものなら、勝敗がどうなるかわかったものではない。
最悪、勝っても負けても極刑は免れないのではないか?
そんなことを考えていたら、
「来ぬならこちらから行くぞ、ヴィクターよっ」
そう叫ばれ、陛下が突進してこられた。
「な……!」
これまで見たことのないような速さだった。
宮廷業務のために王宮へと登城される旦那様に付き従い、定期的に城へと上がり、その都度、何度も陛下のお相手をさせられてきた。
そのたびに、やはりこの方はお強いと、どれほど感じてきたことか。
しかし、私が見たあれは陛下の全力ではなかったということか。
「くっ……」
「どうしたヴィクターよっ。いつもより、動きが鈍いのではないか!?」
瞬間移動に近い速度で肉薄してそのまま木刀を振り下ろしてこられた陛下のそれをギリギリでかわすと、左側面へと跳躍して距離を取った――はずだった。
しかし、着地したときには既に陛下が目の前におられた。
私は知らず知らずのうちに武者震いに打ち震えていた。
かつてこれほどの強敵に相対したことがあっただろうか。
――いや、幾度もありましたね。
何しろ私はA級モブでしたから。
旦那様の足下にも及ばず、同等の強さを誇る陛下にも当然太刀打ちできない。
世界的に英雄と呼ばれている方々など、常に雲の上に存在している。
だからこそ、私は強さを求めたのだ。
一度目の人生ですべてを失い、お嬢様をお守りすることができなかったからこそ、今生では同じ轍を踏まないよう、地獄の淵から蘇ってきたのだ――強大な力を手に入れて。
すべてはお嬢様の御為に。
――我が身が朽ちるそのときまで、あのお方をお守りすると誓った。だからこそ、私はモブを卒業したのです。
奥歯をぎりっと噛みしめたとき、ふと、心の中で何かが変化したような気がした。
血湧き肉躍る、狂気にも似た何かが沸き上がってくる。
明らかな喜び。
最強に名を連ねる武人たちの真の強さを前に、私の心はうずいていた。
手加減など無用だと。
宮廷作法などクソ喰らえだと。
手に入れた力のすべてを出し切り、打ち負かしてみたいと。
再び鋭く斬りかかってこられた陛下の大剣をかろうじて受け流すと、私は全速力に近いスピードで同時に背後へと回っていた。
そしてそのまま無造作に大上段から剣を振り下ろす。
しかし、信じられないものでも見たといわんばかりに、愕然と振り返られた陛下の大剣に防がれていた。
私は素早く距離を取り、すぐさま一気に距離を詰める。
陛下が再度驚愕に目を見開かれ、私が突き入れた木刀を大剣で払おうとなされたが、
「なんだと!?」
それらはすべて残像となってかき消えていた。
「こちらですよ、陛下」
本気を出した私の背後からの攻撃に、陛下は――血に飢えた狼のように獰猛な笑みを浮かべられた。
そして横薙ぎに一閃した私の木刀を間一髪で受け止められる。
しかし、バキンッという派手な音を立て、陛下が手にされていた大剣と私の長剣が、互いに木っ端微塵に弾け飛んでいた。




