97.狂わせの略奪者
エルフリーデが元々愛用していた得物は短剣である。
刃渡りが三十セトラル(三十センチ)ほどもある、刃が湾曲したものを使用していた。
両刃のダガーもあれば、片刃のナイフも両方うまく使いこなす。
しかし、以前の立ち合いの折、彼女はあまりにも身軽過ぎて本来の持ち味を十分出し切れていないのではないかと思った。
軽いがゆえに、敵に短剣が突き刺さったとしてもそれほど致命傷にはならない。
刃に毒を塗り戦うアサシンであればまだよいが、今後の組織運営のことを考えるとそれでは不十分だ。
お嬢様をお守りしながら盾となって戦う必要も出てくる。
その場合はもっと攻撃力に特化した戦術方法も身に付けなければならない。
軽過ぎる攻撃では力不足なのだ。
運が悪ければ私がやったように弾き飛ばされてしまう可能性だってある。
そのため、私は彼女の武器を流体魔法金属製の長剣二刀流へと無理やり変更させたのである。
彼女たちは元々魔法適性能力も高いうえ、流体魔法金属は軽さと強度が売りだ。
エルフリーデの持ち味である俊敏さを殺すことなく、純粋に攻撃力だけを高められる。
おまけに刃に魔法を付与すれば、これ以上ないほどの戦闘能力向上にも繋がるだろう。
当然、彼女だけでなく、現在お屋敷の至るところで警備の任についている他の陰七名全員にも新兵装を配布してある。
使い方の指導やらなんやらを行った折、彼ら全員、訓練の厳しさに堪えかね悲鳴を上げながら逃げ出そうとしておりましたが、それでも今は普通に使いこなしてくれているようです。
使用人としても武人としても全員まだまだではありますが、今後に期待といったところでしょうか。
私は、賑やかにご歓談なさっているお嬢様方の満ち足りた笑顔を一人ずつ確認していった。
どのお客人方も皆、満足そうになさっている。
これでしたら今回も大成功を収めたといっても過言ではないでしょう。
今後、お嬢様が社交界でご立派に立ち回るためのよき糧となってくれたのではないか。
そう一人安堵していたのだが――
何やら、ご婦人方が頬を赤らめつつ、時折私をチラ見してクスクス笑っている姿が目に留まった。
はて?
少し戸惑っていると、
「あ、あの……! いつも遠くから拝見いたしておりましたわ。私、イングリットの母で、ケンプフェルト子爵家嫡男の妻セリーンにございます。どうぞ、お見知りおきくださいませ!」
私に近寄ってきて耳元で囁くようにそう声をかけてこられたご婦人。
自己紹介にもあったように、どうやらケンプフェルト家ご息女の母君らしい。
確か参加者名簿には二十六歳とありましたか。
「お初にお目にかかります。私はヴィクター・ヴァンドールと申します。本日はお嬢様のお茶会にご出席くださり、誠にありがとうございます」
慇懃に腰を折る私に、彼女は頬を赤く染め、どこかうっとりされながらも「まぁ」とおっしゃった。
「お初だなんて嫌ですわ。何度もお会いいたしておりますのに。それとも黒公子様にとって私はその程度ということですの?」
艶然と微笑まれるセリーン様は、右手で頬を押さえながらも赤い唇を尖らせた。
はて?
私はなぜこの方がこのような反応を示されたのかいまいちよくわからず、少々混乱してしまった。
確かに時折お屋敷内にて開催される夜会などには、現ケンプフェルト子爵家当主であらせられる彼女の義理のお父君や、そのご嫡男様とご一緒に出席されているのは何度も拝見いたしておりますが。
ですが、直接こうして相対したり、お話ししたりする機会は一度もありませんでした。
ですからそのつもりで受け答えさせていただいたというのに、これはいったいどういうことでしょうかね。
しかも、私のことを黒公子と。
そういえば、以前ミカエラ様が私のことをおかしなあだ名で呼ばれていたような気がしますね。
確か、『黒公子様』だの『狂わせの略奪者』だのおっしゃっていたような……。
もしかして、セリーン様がおっしゃる黒公子とはこれのことでしょうか?
私は異様なまでの色香を漂わせる水色髪のケンプフェルト夫人の艶っぽい瞳から逃げるように、視線を他へと移した。
見ると、お子様方はそれぞれ同世代の皆様方と楽しそうにご歓談なさりながらお菓子を口に運ばれておりましたが、彼らの付き添いとしてご参加なされたご婦人方はどれもこれも、浮き足だっておられるご様子。
私と視線が合うと、「きゃっ」と短く声を上げられるご婦人までおられた。
なんだか各お家の侍女たちまでもがそわそわしているような気がする。
私は意味不明な言動を見せる彼女たちに、嫌な汗をかいてしまった。
そうこうするうちに、ケンプフェルト夫人セリーン様以外のご婦人方まで立ち上がられ、私ににじり寄ってこられた。
「セリーン様、ずるいですわ。抜け駆けはしないって約束したではありませんか」
「そうですわ。不戦協定を結んで遠くから見つめているだけと、随分前に約束したはずです!」
ふ、不戦協定ですと?
なんですかそれは?
しかし、面食らって思わず一歩後退ってしまう私を余所に、更に乱痴気騒ぎがエスカレートしていく。
「あぁ、黒公子様……! なんとお美しい。ぜひ……是非、当家に……! 当家――いえ、私の専属執事――私のものになってくださいませんか!?」
「ちょっとっ……! ダメですわ、それだけはっ」
「そうですわよっ」
「ずるいですわ! 黒公子様は私にこそ相応しい殿方ですのに!」
…………。
あまりにも酷い有様に、私は開いた口が塞がらなくなってしまった。
周囲にいた私以外の執事に視線を送ると、「諦めてください」とでもいわんばかりに、肩をがっくりと落とされている。
「――というより、皆様方は素敵な旦那様がおられるではありませんか。私はまだ独り身。是非、黒公子様に私の身も心も略奪していただきたいですわ! ――きゃっ……」
どのご息女の関係者かわかりませんが、そうおっしゃると、両手でお顔を隠されひたすらクネクネし始めた。
私は自身の頬が徐々に引きつっていくのを否が応にも感じていた。
いったいなぜにこのようなことになってしまったのか。
たかが一介の執事相手に――しかも、私は平民なのですよ?
それなのに私を召し抱えたいだのと、いったい何をおっしゃっておられるのか。
まったくもって理解できませんね。
ですが、このまま彼女らを放っておいたら、せっかくのお茶会が台無しとなってしまう。
記念すべきお嬢様初主催となる素晴らしい舞台が私のせいでメチャクチャになってしまう。
それだけは断じて阻止しなければならない!
なんとかしなければ。
そんなことを考えていたときだった。
「あらら~? これはさすがに看過できませんわね、皆様方」
そうおっしゃって優雅に微笑まれたのは、誰あろう第一王女ジュリエッテ殿下だった。




