96.お預け喰らう王太子殿下
こうして、特に何事もなく、無事お茶会の方は始まった。
お屋敷にあるテラスの中で最も大きなこの場所は、二十人ぐらいは同時に着席できる広さを有している。
大きな屋根自体は正方形で、それぞれの角を大理石の柱で支えるような形となっているが、テラステーブル自体は楕円形に作られている。
白い木製の椅子も均等に配され、広々と座れるようになっていた。
「ちょっと、フィリップ。はしたないですわよ」
「いたっ……何するんですか、姉上っ……」
所狭しとテーブルの上に並べられていたお茶菓子は、どれもこれもお嬢様が苦心して選び抜かれたものばかりだ。
どうやら殿下は皿の一つに盛られていたラングドシャを無造作に手づかみされ、そのままペロリと口にしようとなさったらしい。
すかさず隣の席に座られていたジュリエッテ殿下に手の甲を引っ叩かれていた。
「いいですこと? まずはこれら素晴らしいお茶菓子の数々をご用意くださったアーデに、労を労うのが筋というもの。それをいきなり口に入れるだなんて、言語道断です!」
「そ、そんなこと言われても、私はこのような席に出席するのは初めてで……」
「言い訳など見苦しいですわよ。だから来るなと申しましたのに……」
溜息を吐かれるジュリエッテ殿下に、
「まぁまぁ、そのぐらいになさってくださいまし、ジュリエッテ殿下。今日のお茶会は親交を深めるための場として用意させていただいたもの。作法など気にされなくても結構ですわ」
対面に座り、ニコニコされているお嬢様がそうおっしゃると、
「ほらっ。アーデだってああ言ってるじゃありませんか」
「お黙りなさい!」
「は、はいっ……」
頬を膨らませぶそ~とされていたフィリップ殿下は、ジュリエッテ殿下に軽く一蹴されてびしぃっと、背筋を伸ばす羽目に陥った。
なんともはや、このお二方は相変わらずですな。
昔はジュリエッテ殿下ももう少しおっとりとした性格をしておりましたが、いつの間にやら勇ましくなられて。
そういえば、正史――本来の歴史でも、どちらかといえば大人になられてからも深窓のご令嬢といった感じの、おとなしさが目立つ女性だったような気がする。
勇ましさよりも優美さの方が勝っている、そんな感じだった。
それなのにこのお変わりよう。
何がこの方をそこまで変えられたのか存じませんが――ともかくも。
おそらく、殿下方の中で一番陛下に似ておられるのは間違いなくこの方でしょうね。
「まぁいいでしょう――おほんっ。作法云々はこの際置いておきまして――それよりも本当に素晴らしいの一語に尽きますわね、アーデ。これはいったいなんですの?」
そうおっしゃって、ジュリエッテ殿下が指し示されたのはテーブル中央に飾られていた飴細工の数々だった。
「これは飴で作られた鳳凰やバラにございますわ」
「なんとっ。これが飴ですの!?」
王女殿下の驚かれようは目を見張るものがあった。
それほどに、お嬢様がご用意なさったテーブル飾り用の飴細工が見事だということなのだろう。
どれもこれも芸術の域に達している。
中央の鳳凰を囲むように咲いた色とりどりのバラや緑色の葉が、まるで本物と見紛うほどに躍動感をたたえている。
それほどのものを、お嬢様たっての願いを受けた料理人全員はもとより、高名な画家まで招いて創作したのだ。
当然、本日用意したお茶菓子もまた、これでもかといわんばかりに創意工夫が施されている。
普段からこのような場で食される焼き菓子を始め、小ぶりな一口サイズのケーキ類だけでなく、先日のお買い物から着想を得て考案された菓子類もいくつかある。
先程フィリップ殿下が食されようとしていたラングドシャもその一つだ。
通常のものだとただ楕円形なだけで、間に何も挟まれていないのが普通だが、今回ご用意さしあげたものはすべて二枚重ねとなっており、その中にカラメルやチョコレートが塗られている。
他にも、定番となるフルーツタルトも今回新しい試みが施されている。
通常、フルーツタルトはコンポートされた季節の果物などを生地の上に敷き詰めてお出しするだけだが、今回はそれらをゼリーで固めてからご提供させていただいた。
ゼリー自体は昔からあったが、最近はゼラチンの高品位化に成功し気軽に作れるようになっている。
それが、レシピを見直すきっかけとなったのだ。
「本当に見事ですね……なんだか食べるのがもったいなくなってしまいます」
カトリーヌ殿下もうっとりとされながら溜息を吐いておられる。
他のご息女方も皆同じだ。
特に彼らの目を引いたのは今回初お披露目となるフルーツタルトに似た茶菓子だろう。
「アーデンヒルデ様。こちらはいったいなんでございましょうか?」
近衛騎士グラスナー殿の妹君のヘンリエッテ嬢が興味津々といった感じで、隣に座られているお嬢様に声をかけていた。
「よくぞ聞いてくださいましたわ。こちらはシャルロットと命名されたお菓子ですの」
そうおっしゃって、お嬢様が私に目配せしてこられる。
私は軽く腰を折ってそれに応じた。
シャルロットとは、底と側面をビスキュイ生地で固め、中にババロア、そのうえにリンゴのコンポートやマスカットなどを敷き詰め、最後に粉糖をまぶしたお菓子のことだ。
あと十年もすれば、どこかの菓子店が新レシピとして世に送り出すことになるが、今はまだその時期ではない。
お嬢様から何か目玉となる新しいお菓子はないものかと尋ねられたときに、未来の知識がある私がこっそりと、これをお教えさしあげたのだ。
そうして料理長殿らが苦心して作り上げたのが、このお茶菓子である。
憧れのような眼差しでシャルロットを見つめておられるお客人方を前に、お嬢様は本当に嬉しそうに、それでいてお幸せそうにされながら、皆様方へとご説明なさっている。
質問されたヘンリエッテ嬢だけでなく、シュレイザー公爵派閥にくみする家柄のご息女方やご婦人方も、皆一様に瞳の色を輝かせておられた。
この中で一人だけ男子として参加されている王太子殿下に至っては、もはや話そっちのけで、今しも涎を垂らしそうな表情をされながら、お茶菓子すべてを物色なさっている。
『まだか、まだか。もう待てないよ!』とでもおっしゃりたそうにしながら。
どうやらフィリップ殿下にとっては花より団子といったところですか。
「それでは皆様方、とくとご笑味あれ!」
他のお茶菓子などのご説明もすべて終えられたお嬢様が、満面の笑みを浮かべながらそう声をかけられた。
それぞれのお家に使える侍女たちが一斉に動き出す。
ティーカップにお茶を注ぎ、切り分けられた茶菓子などをお嬢様方のご要望どおり、小皿へと運んでいく。
今日この場に出席しているリセルもまた、お嬢様のお皿へと焼き菓子を載せていた。
参加されたお客人方はお茶を飲み、うまい茶菓子に頬を染めながらも、たわいない話に花を咲かせていった。
王太子殿下などはただ一心不乱に次から次へとお菓子を摘まみ、それらをお茶で流し込むといった有様。
もはや正真正銘の犬である。
「これっ、メチャクチャうまいぞ!」
そう叫ばれ、年相応の、少年らしい純朴そうなお顔に笑みを浮かべられていた。
そんな平和な風景を眺めながら、私は、他の執事や護衛騎士らとともにテラスの周囲で風景の一部と化していた侍女姿の陰――エルフリーデに目配せした。
周辺警備のためにこの場に配した彼女が、「特に異常なし」という意味合いの頷きを寄越してくる。
どうやらこのような表舞台での任務も滞りなく行えているようですね。
そんな彼女を見つめる私の視線の先には、彼女の腰に巻かれた他の侍女たちとは明らかに異なる異質な黒いベルトがあった。
『流体魔法金属製の可変ベルト』
私が彼女に与えた新しい武器である二刀流の長剣が変異した姿だった。




