11.ナイチンゲールなお嬢様
「い、いけません、お嬢様! 尊きお方がそのようなことをされてはなりません!」
お嬢様が私の包帯を外そうと手を差し伸べられたため、窓辺――私の右側で作業していた看護師が大慌てとなった。
けれど、お嬢様は一歩も引かれるご様子は見られない。
「いいえっ。こればかりは譲れませんわ! スカーレットがダメとおっしゃっても、私、絶対にやり遂げてみせますわ!」
私の左側にいたお嬢様は叫び、さっさと包帯を外しにかかる。
「いけません! お手が汚れてしまいます!」
「そのようなことを気にしていては、看病なんかできません! 私は一向に汚れても構わないのです!」
「で、ですがっ……」
どうやらスカーレットという名前らしい新顔の看護師は、どうしていいかわからないといった感じで、オロオロし始めてしまった。
いやはや。
随分とお淑やかになったと思いましたが、お嬢様は相変わらずのようですね。
このままでは看護師の女性がかわいそうです。
つい最近このお屋敷に就職が決まり、私の専属看護師となってくださったお嬢さんがあまりにも気の毒。
「お嬢様」
私はにこりともせず、ただ静かに声をかける。
「何かしら?」
そんな私に、お嬢様はぱっと華やいだ笑顔をお見せになった。
――ああ……これはいかん。
この笑顔、きっと、私の役に立てていると感じ、喜んでおられるのだろう。
もしかしたら、自分のせいで私を怪我させてしまったと責任を感じ、結果的にこういう言動に走っておられるだけなのかもしれませんが。
「お嬢様、看護師の女性も申しておりましたが、包帯には私の血が付いております。そのような汚らわしいものがお嬢様のお手を汚そうものなら、このヴィクター、いくら償っても償いきれません」
「何をおっしゃるのですか。あなたの身体から出たものが、汚いはずがないではありませんか。むしろ私、光栄にございます」
「しかし……」
なおも説得しようとする私に見向きもされず、お嬢様は両手を合わせると、恍惚と空を見上げるようになさった。
「それにです。私、生まれて初めてですの。こんなにも誰かのために尽くしたいと思ったのは」
「え……?」
お嬢様が何を言い出されたのか理解できず、私はスカーレット女史と思わず顔を見合わせてしまった。
「ヴィクター様――いえ、ヴィクター。私、今とっても幸せですの。私のために命をかけてくださった殿方のお世話ができることがっ。私にできる唯一のことといえば、それぐらい! ですから、ヴィクター!」
「は、はいっ……」
「どうか、私にすべてをお任せくださいませ。今後、あなたがすっかり元どおりよくなるまで、ずっと、私があなたの看病をしてさしあげますわっ――さぁ、そうと決まりましたら、善は急げですわ! 今すぐ、あなたの包帯すべてを、この私が取り替えさせていただきます!」
そう宣言され、お嬢様は目をキラキラ輝かせながら私に飛びかかってくるのだった。
そのお姿を拝見し、私は思った。
あぁ、これは……ただ猫を被っておられただけなのではないかと。
そう簡単にあのじゃじゃ馬振りが治るはずがないのだと。
そう。
お嬢様は相変わらずのお転婆なままだった。
――まぁ……よく考えてみたら、この時代に戻ってきてまだ一ヶ月とかそのぐらいしか経っていませんしね。直るはずもなく――て、そんなことを考えている場合ではない。
「お、お嬢様っ。お待ちくださいっ。せっかくのお洋服まで汚れてしまわれますっ」
「そんなこと気にしてられませんわっ。さぁ早く! すべてを私に委ねるのですわっ」
「な、なりませんっ――わっ、お嬢様っ、いけませんっ――ぃつっ」
私やスカーレット女史が止めるのも聞かず、嬉々として包帯を引っぺがしにかかるお嬢様。
そのあまりの勢いに、糜爛した皮膚に張り付いていた包帯がメリッと剥がれ、猛烈な痛みを伝えてきた。
溜まらず声を発してしまったが、なんとか堪え、もう一度、お嬢様の蛮行をお止めしようと行動に移したときだった。
「アーデンヒルデっ」
「ひゃぃぃ~~~!」
突然、医務室の扉が蹴倒される勢いで内側に開けられると、全身から負のオーラを立ち上らせた奥様が駆け込んでこられた。
お嬢様はその一声で我に返ると、その場で飛び跳ねられた。
このお屋敷の中で二番目に恐ろしいお人が誰なのか存分にご存じのお嬢様であれば、このあとに起こる展開など容易に想像できたことでしょう。
「勉強部屋にいないと思いましたら、またここに入り浸っていたのですかっ」
「ご、ごめんなさいなのですわっ。で、ですが、私はヴィクターの――」
「言い訳など聞く耳持ちませんわっ。覚悟なさい!」
「ひぃ~~~~!」
なまじお美しいお姿をされているせいか、奥様が怒り出すとその場の雰囲気が一変する。
厳しい冬の寒さをしのばせる凍て付いた空気に室内が支配されていく中、お嬢様は、
「ヴィクターっ、あとでまた、お伺いいたしますわっ」
そう叫びながら、奥様の包囲網をお破りになって、外へと飛び出していかれた。
「待ちなさぁぁぁいっ」
慌てて追いかけていかれる奥様。
その場に残された私とスカーレット女史は、互いに顔を見合わせ、ぽかんとするしかなかった。




