89.王家管轄の巨大マーケット
最後に運ばれてきたデザートは、ホイップクリームが載せられたリンゴのコンポートだった。
当然、貴族御用達であるこのレストランのこと。
一般に出回っているような安価な食材が使われているはずがない。
簡素だが、リンゴも砂糖もホイップクリームの材料もすべて、市場には滅多に出回らない希少価値の高いものが使われていることでしょう。
お嬢様もクラリス嬢も幸せそうに破顔されながら、ペロリと平らげていた。
その後、私たちは支配人の案内のもと、敵対派閥の貴族と鉢合わせしないよう細心の注意を払い、馬車へと乗り込んだ。
料理の代金は前払いとなっているため、途中で足を止める必要もない。
「またのご来店をお待ちいたしております」
支配人や給仕の者らが深々と頭を下げる中、馬車は貴族街へと戻っていった。
目的の市場というのはいわゆるいろいろな商会が一挙に集まる集合型店舗のことで、本来であればそれぞれの品目に応じて宮廷貴族が既得権益のもと管理しているのだが、その巨大市場だけは建物から何から何まですべてが王家によって管理運営されている。
既得権益も元を正せば王家が各宮廷貴族に割り振ったもの。
そのため、このような例外的な設備が作られていてもなんらおかしくないのである。
一応名目上は、どの家の権益にも左右されない、公平な店舗の集まりということらしく、儲けの何割かが貴族街の維持費に使われているのだとか。
そういった施設である。
「ではお嬢様、まいりましょうか」
シュレイザー公爵家と同じぐらいの敷地面積を有する巨大な商会前で馬車が止まった。
一足先に下車した私は、クラリス嬢とお嬢様をエスコートして降ろさせていただいた。
「えぇ、よろしくお願いしますね」
にっこりと微笑まれたあと、お嬢様は目の前の巨大建築物を見上げるようになさり、感嘆の吐息を漏らされた。
「これが噂の……本当に素晴らしいですね。さすが陛下がお作りになっただけのことはあります」
建物すべてが大理石作りの壁でできており、一見すると宮殿のような作りとなっている。
敷地面積の三分の一ほどは車止めスペースや庭園となっているため、さすがに土地すべてが建物というわけではないものの、それでもその偉容は大したものである。
お嬢様がおっしゃったとおり、さすが陛下指揮のもと建設されただけのことはある、といったところでしょうか。
「それではお嬢様方、私は馬車を馬車留めまで誘導してまいりますので、どうぞごゆるりとなさってくださいませ」
御者は一礼すると、そのまま走り去っていった。
基本、御者は馬車留めで待機することになるため、他の貴族の御者たちと同じときを過ごすことになる。
おそらく顔見知りもいることでしょう。
いい暇つぶしになることを祈るばかりです。
「ヴィクター様、コンラートはやはり今回も馬車で待機でしょうか?」
ガブリエラ女史ら護衛の者たちとともに、交代で馬留めに馬を留めて戻ってきたエルフリーデが、去っていく馬車を眺めながらそう聞いてきた。
「そうですね。ゆくゆくは、コンラートにも御者として務められるよう、経験を積んでもらいたいですからね」
「そうですか。ではこれを機に、先達に付かせていろいろ習わせると、そういうことでしょうか」
「えぇ。そういうことです。そんなわけですから、我々は――」
私はお嬢様を中へとご案内するため、先頭を歩いて店内へと入っていった。
商会内は文字通り、『これぞまさしく大宮殿』といった様相を呈していた。
建物中央は広々とした大ホールとなっており、天井まですべてが吹き抜け。
前方奥まった場所に上階へと続く巨大階段があり、建物左右に様々な店舗の販売ブースが設けられている。
中央の吹き抜け上方からは、これでもかといわんばかりに贅を凝らしたいくつものシャンデリアが煌びやかな光を周囲へと振りまいていた。
「凄いですわ……」
「うん。すっごい……」
私のあとに続くお嬢様とクラリス嬢は、手を繋がれながら店内の光り輝く光景に目を奪われているご様子だった。
口を大きく開けたまま、どこか憧れのような眼差しを周囲に向けられている。
「それではお嬢様、まずはあちらから見てまいりましょうか」
私はそう促し、左手の店舗へとお嬢様をお連れした。
◇
私たちはその後、あたりを付けたお店を一つずつ見て回った。
店内には他のお客人――そのすべては貴族の方々でしたが、彼らの中に混じってもそこまで違和感はみられなかった。
さすがにお嬢様方二人の他に侍女二人、執事一人、護衛騎士二人に侍女もどきの陰一人という大所帯でしたから、多少目立つ一団だったかもしれません。
更には既にお嬢様は名前だけは聖都内に知れ渡っている。
公爵家に近しい家柄の者たちであれば、正式な社交デビューをしていない今の段階でもお嬢様のお姿を拝見し、その存在に気付かれたことでしょう。
時折こちら側に会釈してくる者たちもおりましたので、おそらくそういうことかと。
このような人目のつく場所で堂々と悪さをするような愚かな貴族はそうはいませんが、存在を知られているからこそ、十分に気を付けなければならない。
そんなわけで、周囲に気を配りながらも当初の目的どおり、茶器を専門に扱っている店をまず拝見した。
いずれも高品位なものがいくつも取り扱われておりましたが、それほど目を引くものはなかった。
「どれも可愛らしいのですが、似たようなものはいくつもお屋敷にありますし」
お嬢様は大変悩ましげに首を傾げておられましたが、奥様のご教育の賜物なのでしょう。
『あれもこれもみ~んな欲しい!』
などという残念な発言はなされなかった。
無駄は徹底的に省き、良品だけを手元に置く。
高貴な家柄であればあるほど、そういった教育が施され、洗練されていく。
結果、華美ではあるが、下品にはならないし、無駄な出費もかさまず健全なお家経営が行われることになる。
――ご立派になられましたな、お嬢様……。
「ヴィクター……?」
……はっ!?
思わず正史――もはや黒歴史でしかない残念なお嬢様と見比べてしまい、精神がどこかへ飛んでいきかけていたようです。
軽く頭を振ってから、他のお店も拝見していった。
家具調度品を扱っている店や、洋服を扱っている店、魔導具店なんかも普通に出店されている。
そこで、せっかくここまできたのだからと、お嬢様をお誘いし、魔道具店も覗いてみた。
お屋敷でも使われている調理器具や医療器具、時計など、よく見慣れたものもございましたが、中には何に使うのかすらわからないものまであった。
魔導具店の支配人に問い質すと、どうやら最近開発されたばかりの本立てらしい。
そこに本を置いて読書に耽ると、自動でページ送りをしてくれる便利な機能が搭載されているとかなんとか。
最近はよく禁書や魔導書を読み耽っているせいか、非常に魅力的に感じられましたが、購入は控えた。
かなりの高額になるうえ、少しの努力を怠らなければこのような代物、まったくもって必要ないからです。
何より、お嬢様がおられる前でそのようなことはできない。
魔導具店をあとにした私たちは、更に錬金屋、武具屋、花屋、食料品店と、時間の許す限り、建物内を練り歩き、最後にお茶菓子などを取り扱っている高級菓子店へと足を運んだ。
「これはこれは。シュレイザー公のご息女様ではございませんか。ご高名はかねてよりお伺いいたしております。して、本日はどのような御用向きでございましょうか」
店に入るなり、入口近くに控えていた若い男が笑顔で声をかけてきた。
「えぇ。実はいくつか珍しいお茶菓子がないかどうか、拝見しにまいりましたの」
「左様でございましたか。でしたらどうぞこちらへお越しになってください。丁度つい先日、新しい商品の数々を入荷したところにございます」
「まぁ。そうでしたのね」
「はい。もしよろしければご試食などもご用意できますが、いかがなさいますか?」
終始和やかな雰囲気で応対してくださる店員の言葉を受け、お嬢様が私の方に視線を向けられる。
私は軽く頷き「ご随意に」と肯定の意味を示した。




