87.貴族御用達最高級レストラン
グラディエール商会に到着した衛兵に事の顛末をもう一度説明し、接収した禁書以外の証拠物件――支配人や裏帳簿などを引き渡したあと、現場検証にも立ち会った。
そうしてあとのことは彼らにお任せし、ようやく解放された私たちは予定どおり次なる視察へと向かおうとしたのだが、既に大幅に時間が押してしまっていた。
「仕方がありませんね」
本日の視察は一件だけに留めることにし、予約してあったレストランへと向かうことになった。
道中、やはり慣れないことの連続でお嬢様は随分とお疲れのようだった。
ですが、すっかりお嬢様に懐いてしまった様子のクラリス嬢が、終始屈託のない笑顔を見せていたお陰ですかね。
きゃっきゃ楽しそうに笑っている彼女に釣られ、お嬢様も年相応の子供らしい言動を見せておられた。
「一時はどうなることかと思いましたが、連れてきてよかったということでしょうかね」
「そうですね。お嬢様もクラリスさんも本当にお幸せそうです」
私の呟きの意図が理解できたのだろう。
リセルが相槌を打つようにクスッと笑った。
「ですが疲れましたぁ……まさか、お店中を練り歩くことになるとは思いませんでしたよぉ」
マーガレットが肩を落とすように、うへぇといった感じの、使用人にあるまじきだらしない言動を見せた。
私は自然とこぼれていた笑みを瞬間消すと、ギロリと、無言の圧力を加える。
「はわわわわ……!」
視線の合った彼女が、大慌てとなって背筋を伸ばす。
その姿を視界に入れられたお嬢様が、更に微笑まれる。
本当にいいのか悪いのかわかりませんね。
そんな、視察中とは打って変わって平和な一時を過ごしてから、馬車は王宮前の大通りに面する場所に建てられた最高級レストラン前で停車した。
すぐさま中へと入っていく。
「これはシュレイザー公爵家の御方々。ようこそおいでくださいました。歓迎いたします」
さすが貴族御用達なだけはある。
店内入ってすぐのところまで出迎えに来られた支配人を始め、通路左右を固めるように立っている給仕の男女らも、皆一様にしつけが行き届いていた。
提供される料理の値段も最高額だが、所作も一流といったところか。
「では早速で申し訳ありませんが、案内していただけますかな?」
「畏まりました。どうぞ、こちらへ」
にっこり笑顔の男性老支配人のあとに続くように、私が先頭に立ってお嬢様を護衛兼先導する形となり、そのあとに手を繋がれたお嬢様とクラリス嬢、その背後に侍女二人と続いた。
この店はすべてが個室となっているVIP専用の完全予約制のレストランである。
値段もかなり高額となることから、上級貴族の中でもほんの一握りの権力者しか立ち入ることは許されない。
おそらく伯爵位以上の爵位を持っていなければ、まったく支払えないような金額になるのではないかと思われる。
そういったわけで、店が独自に雇っている私兵もそれなりにいるため、無頼漢が店に乱入してくるようなこともない。
それを踏まえたうえで、護衛もコンラートだけを御者につけ、ガブリエラ女史とシファー女史は店の入口ではなく、個室の出入口扉外で警備を任せることにした。
「こちらのお部屋にございます」
支配人によって案内された個室は、二階席の一番東側に位置する部屋だった。
おそらく最も格式高い部屋なのでしょう。
個室を守るように、そこへと至る通路の途中で黒服の男たちが周囲を固めていた。
「ヴァンドール殿」
個室に入る際、支配人がもの言いたげに耳打ちしてきた。
「実は本日、少々訳ありのお方がご来店なさっておりまして、こちらより一番遠い、反対の個室へとご案内さしあげました」
なるほど。
こちらに対して訳ありとお茶を濁したということは、おそらく敵対派閥の誰かがご来店なさっているということなのでしょう。
このレストランは基本、中立に位置する店でもある。
それゆえ、どちらか一方に肩入れすることはできない。
相手方の名を伏せたのもそのためでしょう。
そしてこの警備。
どおりで物々しいと思いましたよ。
「英断でしたね、支配人殿。ご配慮、痛み入ります」
「いえ、滅相もございません。どうぞごゆるりとご堪能してください」
そう言って腰を折り、元来た道を引き返していかれた。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう」
左右合わせて十人ほどは座れる、豪奢な一枚板で作られた長テーブルの上座へとお嬢様をエスコートさしあげた。
「さぁ、クラリス。あなたもお座りになって」
「うん~~!」
お嬢様が隣の椅子を指し示されると、クラリス嬢が満面に笑みを浮かべて小さな身体を滑り込ませようとする。
本来であれば、使用人の身で不敬であるぞと、叱るところでございましたが、さすがにそのような気にはなれなかった。
あの幼子の生い立ちを聞いているせいもあるのでしょう。
元々私も貧民の出ですし、彼らのような子供たちの苦しみは、痛いほどよくわかっている。
『日々の糧にすらありつけず、幼い瞳からは等しく光が奪われ、生きる気力すらない』
それが、貧民や親を持たない子供たちに共通している特徴だ。
そういった事情を知り尽くしているからこそ、あのように楽しそうにしている彼女から再度、笑顔を奪うようなことは断じてできなかった。
――もっとも、それ以前に、おそらくそのようなことをすれば、お嬢様が駄々をこねられるでしょうがね。
私としては、そちらの方が非常に厄介だった。
「どうぞ、クラリス嬢」
幼子用ではない椅子のため、座るのに苦労していた彼女のために、軽く抱き上げ座らせてあげた。
「ありがとう! ござい、ますっ、ヴィクターさま?」
なぜ最後に疑問形なのですか?
まぁ付き合いも浅いゆえ、名を覚えておられないのでしょう。
「いえ」
私はクラリス嬢とお嬢様に低頭してから、出入口扉の左右で控えていたリセルやマーガレットに倣う形で壁の人となる。
しかし、
「ヴィクター? そのようなところで何をなさっているのですか?」
「はい?」
「リセルとマーガレットもです。そのようなところに立っていないで、こちらに座ってください」
そうおっしゃると、しきりにご自身の前の椅子を指で指し示される。
「お嬢様。本日の昼食はお嬢様のためのものであり、私ども使用人が同席して食事をする予定はございません。それはクラリス嬢に関してもそうでございます。ですので、料理の注文に関しましても、お一人分しか予約してないのでございます」
「予約していないとはどういうことでしょうか? それではあなた方はどうされるおつもりなのですか?」
「もちろん、私どもが食事を取ることはございません。可能であれば、お屋敷に戻ってから取らせていただきますが、基本、私どもは職務優先にございます。食事を抜くこともよくあることですのでお嬢様はご心配なさらず、どうぞ、ご堪能くださいませ」
私はにっこり笑いながら、
「あぁですが、クラリス嬢の分だけでしたら追加で用意できるとのことにございましたので、どうかご安心くださいませ」
そう付け加え、腰を折ったのですが。
「なりませんわ!」
「はい?」
「私だけ食事をし、あなた方に『待て』をするだなんて、それでは私が飼っているジョンに対するのと同じではありませんか! 断じてなりませんわ!」
そうおっしゃると席を立たれ、テーブルに両手をつかれるのだった。




