10.変化の兆し
私が目を覚ましてからは、すっかり毎日の恒例行事と化している朝のご訪問。
お嬢様はあの日以来、欠かさず毎日お顔を出されるようになっていた。
何があの方をそこまでさせておられるのか私にはわかりませんが、まるで何かに突き動かされているかのようだった。
お嬢様は笑顔で室内へと入ってこられると、すぐに真顔となって私に質問される。
「おはようございます、ヴィクター様。お加減はいかがかしら?」
「えぇ。お陰様で大分楽になりました。ありがとうございます」
看護師に身体を起こしてもらい、クッションにもたれる形で応じる。
本来であればこのような姿で相対するのは無礼千万に当たるのだが、残念ながら今はまだ、ベッドから立ち上がることもままならない。
なんとかして毎回起きようとするのだが、それを見て、皆血相を変えて私の行動を止めてしまわれるのだ。
一使用人にとってはなんとも過分な計らいであったが、ただただ恐縮するしかない。
「お食事はもうおすみになって?」
「えぇ。先程頂きました。大変おいしゅうございました」
「そうですか。それは大変結構ですわ。本当は私、ヴィクター様のお食事のお手伝いをしてさしあげようと、朝早くに起きて準備しておりましたのに、お母様になりませんと止められてしまいましたの」
「それはそうでしょう。お嬢様は主なのです。そのような尊きお方が、たかだか使用人に対して、そのような振る舞いをなさってはなりません」
私の言葉に、お嬢様はとても残念そうにされる。
本日のお召し物はおそらく、私の同僚であり、また、このお屋敷に上がったとき、私に宮廷作法を教えてくださった師匠でもある侍女頭がお選びになったものでしょう。
お嬢様の豪奢なプラチナブロンドによくお似合いの、愛らしい水色のフリルドレスをお召しになっておられる。
本当に可愛らしい女性だ。
――が、しかし。
それはそれ、これはこれである。
「それはそうとお嬢様。何度も申し上げますが、使用人を様付け呼びされてはなりません。私のことは以前と同じく、ヴィクターと呼び捨てでお呼びください」
私はベッドの上に座ったまま、胸に手を当て頭を下げた。けれど、
「ですが――私も何度も申し上げますわ。あなたは私にとっては英雄ですの。普段からお転婆をして、お屋敷を抜け出そうとしていた私を何度もお諫めしてくださったにもかかわらず、禁を破った私をあなたは危険も顧みず、命がけでお救いくださった。それだけでも私……もう二度と、ヴィクター様に足を向けて寝られませんわ……!」
お嬢様は胸の前で両手を組んで、どこか熱っぽく訴えてこられる。
私はそのお姿を拝見し、軽い目眩を覚えてしまった。
あの事件が起こる前は、本当にわがまま言いたい放題のお転婆姫で、私のことをよく、
『あなたのお名前なんて、黒い虫で十分ですわ! おほほほ!』
などと、高笑いされていたというのに、今ではすっかり別人のように。
あれだけ私のことを『黒い虫』とおっしゃっていたにもかかわらず、私が意識を取り戻してからはずっと、『英雄扱い』ですからね……。
本当に意味がわかりません。
しかも、わがまま振りは多少残っておられるものの、以前とは比べものにならないぐらい、お淑やかになっている。
知恵も随分とお付けになったようだ。
もちろん、それら変化はとても喜ばしいことではある。
本来の歴史では、あの傍若無人が原因で破滅一直線になったのだから。
だから本当にいい傾向ではあるのですが――
なんかこう、大切なネジが一本抜け落ちてしまったような、そんな気がするのは私だけでしょうか?
「ともかくです。いいですか、お嬢様。お嬢様の護衛であり、執事でもある私が命を賭してあなた様をお救いするのは当たり前の責務なのでございます。たとえそれが元で、命を落とすことになろうとも、それは召し使いとしての本懐にございます。ですから、お嬢様は何も気にされる必要はございません」
「ですがっ……」
「ですがではありません。いいですか? 何度も申し上げます。私はあなた様の使用人以外の何物でもありません。そして、貴族社会において、召し使いを過分に扱うことは非常識と捉えられ、品位の欠如を招くことに繋がってしまうのです。ですので今後とも、そのように様付けしてはなりません。わかりましたね?」
じっと見つめる私にお嬢様はなおも納得がいかないといったお顔をされ、反論なさろうと何度も口を開きかけましたが、結局最後にはしょんぼりと、
「……はい。そのようにいたしますわ」
俯きながらも納得してくださった。
「ありがとうございます。これで私もお嬢様の専属執事として、胸を張って仕事をこなせます」
私はにっこり微笑み、この話はこれでおしまいと、安堵の吐息を吐いた。
そのうえで、すっかり作業の手を止めて困ったようにしていた看護師に会釈する。
「お待たせして申し訳ありませんね。では、続きをお願いいたします」
「は、はいっ……」
お嬢様がいるからか、それとも他の理由からか、看護師の女性は若干ビクッと身体を震わせたあと、少し頬を赤らめながらも私の包帯を取り外そうとしたのだが、
「あ……! そうでしたわっ。本日はお食事のお手伝いができませんでしたので、せめて、私も看病のお手伝いをさせてくださいませ!」
そうおっしゃって、お嬢様が椅子から立ち上がられた。




