51.第十三章 三奏山脈の朝駆け
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南東王国ドールドーラと、央南王国シャラーム両国との国境付近。
聖王国ジュワユーズの南端。それがモルドバル城塞の所在地になる。
だがモルドバル城塞が国境を隔てているかと言えば否だ。
シャラーム王国との国境は中央部を横断する三奏山脈によって、緩やかに左斜めに隔てられており。
二つの溝の平原が央南部を聖王国から切り離している。
下の溝は央西クラウゼン騎士王国から南東ドールドーラ王国を繋ぎ、上の溝は聖王国とドールドーラを繋ぐ。
この聖王国の入り口にあり真南に位置する町こそが、城塞都市モルドバルだ。
三奏山脈は山脈にしては低めで、クラウゼンからは南経由でも峠や裾野の細道を進む事でドールドーラまで行かずに聖王国入りは可能だ。
だが同時にクラウゼンからは、陸路でドールドーラより先に聖王国入りするのも不可能となっている。
最短時間で情報が届くとしたら、空路か海路。
アレス王子が義勇軍東部諸侯の暴走を知ったのは、彼らの上陸から数日遅れての話だった。
この時点でアレスは最悪の事態が起こる事を覚悟した。何故ならクラウゼン王国を攻略に向かった〔中央先発〕部隊が進軍して来たのも、敗走し撤退したのも。
どちらもこの三奏山脈の二平原を経由しての話だからだ。
例え東部諸侯軍がモルドバル城塞の制圧に成功したとしても、先日敗走した帝国軍先発隊の約一万八千が今撤退中なのだ。
そう。先日奇襲で撤退に追い込んだ帝国軍だが、実の所彼らに兵力的な損失は殆ど与えてない。あくまで退路からの奇襲で進軍の意気を挫いただけ。
もし彼らが攻め手を選んでたら、あのキャスパリーグ祭りの後に攻城戦をやった義勇軍に、疲労が蓄積していないとか絶対信じない。
帝国軍は、当時十分に勝利の目があったのだ。
そもそも城塞都市モルドバルは帝国にとって重要な進軍拠点。常駐している兵団だけで五千は居た筈で、万単位で駐屯していてもおかしくは無い。
クラウゼン攻略のために再編成されている筈の帝国〔中央方面軍〕本隊の現状は未だ不明。
「いや無理だわ。全滅したわ東部諸侯軍。」
東部諸侯軍が揃えられた兵は、恐らく大部分が基礎クラスの一万~一万五千。
どんなに高く見積もってもそれが限界だろう。
つまり撤退中の軍がモルドバル城塞の援護に回れば、物量と質の両方で負けた軍にぶつかり合う事になる。
もし城塞陥落に成功していたとしても、今度は自分達が破った城塞の傷跡が東部諸侯を追い詰めるだろう。
むしろ平原に陣取っていた方が、撤退し易い分勝算が高いくらいだ。
『か、海路は?南回りでドールドーラ側に回り込めば!』
『無理だな。今からなら天候の影響が低い分、陸路の方が早いくらいだ。』
アレスは先日の一件を思い出す。
率直に言ってもう、モルドバル城塞で東部諸侯が敗北している可能性は考えない事にした。打つ手が無いのでどうにもならない。
そして見捨てるという選択肢も残念ながら無い。
義勇軍は同盟連合のため、彼らの行動もあちらが聖王国と合流していない以上、厳密には独走ではない。
彼らはあくまで、自国の別部隊を動かす権利を用いただけ。
単に合意に至れなかったから別行動を取っただけであり、作戦域を共にしていないのだから公的には自己責任だ。
けれど第三者視点では完全に「義勇軍別動隊の敗北」だ。
そして総大将であるアレスに、自軍の敗北を放置する権利など無い。
「それじゃ本隊の指揮はお任せします、リシャール殿下。」
「ああ、君こそ御武運を。無理はするなよ。」
ここからは正式に、義勇軍本隊の指揮権をリシャール殿下に任せる形となる。
義勇軍最大の利点は、補給路の選択肢が豊富な点にある。
元より聖王国への進軍準備を進めていた義勇軍は、直接対面こそしていないものの実質同盟関係にあるドールドーラだ。物の手配は伝令で事足りる。
三奏山脈の下方平原の進軍に、足の遅い補給隊は率いる必要が無い。
尤も、ドールドーラ国境に辿り着くまでに帝国軍に追い付く可能性はほぼ無いに等しいと思っている。
帝国軍とて馬鹿じゃない。撤退中にドールドーラと事を構える意味は無い。
国境を超えずに三奏山脈を迂回し、聖王国を目指す筈だ。
山越えをするかどうかはモルドバル城塞からの救援要請次第だろうが、普通なら彼らより本隊に救援を恃む筈。恐らくは無駄な疲労の無い平原を進むだろう。
突ける隙があるとすればココ。リシャール殿下率いる義勇軍本隊は、山越え部隊と平原迂回部隊の双方によって帝国先行部隊に襲撃を仕掛けて貰う。
「義勇軍天馬隊、翼人隊!出陣する!
我々の役目は先行して帝国軍の進軍を鈍らせる事にある!総員、遅れるな!!」
アレスは声を張り上げて愛馬、ペガサスのマハラジャを飛翔させながら旗付きの槍を突き上げる。
ダモクレス虎の子の別動隊〔天壌騎士団〕のお目見えだ。
実の所〔天壌騎士団〕はアレスが普段率いている〔韋駄天騎士団〕と基本兵員は共有している。というより休息中の予備部隊に先行して、育成に成功したペガサスへの騎乗訓練を積ませていただけだ。
最終的には全ての韋駄天騎士団に、飛翔兵種の騎乗訓練を済ませる予定だ。
その予備隊を動員して。最短距離で山越えをして少数部隊による奇襲で帝国軍のの出鼻を挫き、モルドバル城塞合流を阻止する。
それが今立てられる、唯一可能性のある作戦だ。
撤退判断と希少兵種という二つの理由から、アレス以外に直接指揮を取れる者は居なかった。
「いやぁ、まさか転向直後にこんな精鋭を預けて貰えるとは思わなかったよ。」
魔法部隊を率いるジルロックが天馬に乗りながら軽口を叩く。
クラウゼン王国に所属していた筈の彼は、自国に呼び戻されこそしたものの元々下位貴族であり実は一兵卒の立場だった。
そんな彼が偶然クラウゼン第二子チャイルド王子の救出という大功を立てた上、彼の後ろ盾な筈の本家貴族は先日帝国に寝返った際に討ち取られていた。
連座対象の大手柄というあらゆる意味で扱いに困ったクラウゼンに対し、じゃあ引き抜いて良いですかとのアレス王子の発言は満場一致で歓迎された。
一方立場上義勇軍のトップに立つべきリシャール殿下は今、アレス王子を副将として実質総大将の侭に据え置いており、実際義勇軍の流儀も殆ど把握していない。
そんな状態でアレスが別動隊として出陣するためには、アレスに次いで義勇軍の顔となりつつあるヴェルーゼ皇女の助力が不可欠だ。
別の意味で頼りになる兄アストリアは、クラウゼンに居残った上に呼び寄せる筈だった予備隊の現戦力の確認に忙殺されている。
魔法部隊の指揮官が出来る人材は今、ジルロック一人しかいないのだ。
つまり軽口を叩いてこそいるが、ジルロックは今アレスの心労の一端が心底から共感出来ていた。仮眠だけはギリ取れた。
視線が重なる。
(毎回これ?)(そうそういつも。)
乾いた笑いが空に響く。
「……指揮官の仲が良いのは結構な事だな、うん。」
バードマン傭兵を率いるネルガルが、微妙な空気に気付かなかった振りをする。
アレス、ジルロック天馬隊がそれぞれ三百の計六百、ネルガル翼人隊が五百の総計千百。敵軍は間に合えば最小戦力の約一万八千。一万八千だけで済む。
攻撃タイミングは朝駆けの奇襲一択だ。
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三奏山脈には主に二ヶ所の細い峠道がある。
アレス達が通る北西とドールドーラに程近い南東。三つの山が連なって、南東山の裾野に平原の迂回路がある形だ。
帝国軍が進軍したのは迂回路であり、南東の峠を通った兵は無いと偵察隊所属の天馬隊が伝令を届けに来た。
どうやら帝国側にモルドバル城塞の現状は伝わってないらしい。予定では彼らは今もクラウゼン攻略に取りかかっている頃合いなので、当然といえば当然だ。
今はクラウゼン攻略失敗の伝令が、モルドバルを経由するかどうかの頃合いか。
山肌を一気に上昇し、峠の峰付近に到着した頃には既に夕暮れが近かった。
如何に飛行兵種とは言え、近代の飛行機には及びも付かない。
この辺は当然予想された事なので、アレスは地図に従い近場の洞窟に降り立って日の出前までの休息を命じた。
「それ〔太陽時計〕?珍しい物を持ってるね~。」
ジルロックが視線を向けたのは、アレスが腕に付けた透明な針の入った水晶だ。
一見して腕時計に似ているが、実際は〔太陽時計〕の名前通り単なる日時計の魔導具でしかない。
この世界の時間割は日時計に水時計が基準の二十時間割で、分の様な気の利いた単位はない。そもそも時計自体、村の中心広場に大きな日時計一つが殆どなのだ。
アレスの様に時刻を知るための魔導具を所有する者は、魔道具の中では格安の類にも関わらず少数派。この世界の時刻に関する関心はつまりその程度だ。
「ああ。だがこれがあると日の出前に行軍が出来る。」
大事だろ?と笑いかけるとジルロックが興味深げに成る程ね~と頷いた。
食事の焚き火の元へ現れたネルガルが、近隣の偵察を終えて戻ってくる。
「では先に休んでも宜しいか?朝方の火の番は我々で引き受けよう。」
「バードマンは朝の方が辛いんじゃないの?薄着だし。」
翼人達はその兵種の都合上、重武装が出来ない。毛皮こそ厚く比較的寒冷地向きだが山頂付近でも大丈夫とは限らない。
薄着限定種族には堪えるかも知れない、初夏でも雪が残る中々の寒さなのだ。
「ああ。だから朝方は早めに起きて焚き火で暖まっておいた方が動き易い。
その時計があれば日の出のタイミングも分かるのだろう?」
「正しくは日の出近くの時刻が、だな。
何時頃に日の出が出るかを知ってれば、後どれくらいあるか分かる程度さ。」
取り敢えず朝食の準備ごと任せて、起こして欲しい時間を伝えて時計を渡す。
「けどアレス、こんな洞窟が良く都合良く見つかったよね。」
「ああ、見つけたんじゃなくて探しておいたんだよ。
俺が聖王国陥落前に世界中を旅していたのは知っているだろ?
その時に大体の世界地図を作って、ここみたいな要衝で軍が休息取れそうな場所を粗方チェックしておいたのさ。」
アレスが天幕に戻った後、ネルガルはあれホント?とジルロックに訪ねる。
ジルロックは笑顔で心当たりあるわと頷いた。
警鐘が鳴る。
鎧を着たまま寝られる様に手を尽くしたベッドは、慌てて跳ね起きても殆ど体に筋肉痛を残さない。
アレスは軽く枕元の水を飲み干して喉を潤しつつ、室内の様子を確認して天幕を《王家の紋章》に収納する。室内全てが一体化しているからこそ出来る裏技だ。
外の様子は既に多数のバードマン隊が飛翔して敵に備えており、未だ日の出には早く夜が深い。前世で言えば新聞配達かパン屋が起き始める時分だろうか。
「狼狽えるな!騎乗準備を進めろ、空なら同士討ちも無い!」
声を張り上げたアレスの元へ護衛騎士のアランとエミールも脇に控えて、事情を確認しようと口を開きかけ。
地響きの様な雄叫びが山肌に響いた。
太鼓の様な音が、否。巨大な太鼓が打ち鳴らされて雄叫びが呼応し合う。
雄叫びを上げているのは、十人前後の巨人達だ。
皮の鎧に長い髪と顎髭を伸ばし、その巨体に見合う武器として金属量の少ない長柄の槍や斧を好む人食い種族。
最も大きな巨人は白髪交じりの金髪を、赤い染料で雑に染めている。
「奮い立て戦士達よ!奴らは我々の糧となるために此処に来た!
我らの縄張りに入った愚かさを、奴らを食卓に添える事で思い知らせよ!」
雄叫びを上げ、山肌を駆ける巨人達が向かって来る。
首領の巨人は先陣を切っているように見えて、激励の度に後方を振り向き後ろを駆り立てるため、実際には集団の中央に陣取り続けている。
「……ぷ、プラルトンだ。プラルトンの人食い巨人達だ……。」
「し、知っているのかアレス殿?!」
――サブクエスト・プラルトンの人食い巨人達。
それはクラウゼン北の山岳に住まう、十人の巨人一族の悪名だ。
山岳地を放浪する彼らは日頃、山の獣や紛れ込む盗賊達を食べて暮らしていた。
悪食の彼らが人家を襲い出したのは、偏に義勇軍が戦火を鎮め盗賊達を駆逐していったからだ。彼らは人を警戒し、しかし人を見下していた。
故にこれは必然だ。平和を告げる義勇軍と、乱世を謡う巨人達。
一度人里を荒らし始めた以上、彼らは決して人を襲う事を止めないだろう……。
~~~クエスト前情報より~~~
――いやお前らこの辺りの出身じゃないだろう?!
アレスはよりによって今かよと内心で叫ぶ。
要はこのサブクエスト。クラウゼンでダーチャの海賊との戦闘中に受けられる、只の経験値稼ぎシナリオの一つだ。
一応彼らの集落を発見すると、必ず〔金銀財宝〕が手に入る。
(いや!そう言えば山岳地を放浪してるって設定があった!
という事は時期がズレたから、これからクラウゼンに向かう筈だったのか?!)
LVでいえば30前後と決して勝てない相手では無いのだが、今は流石に状況が悪過ぎる。此処で戦えば治療の手間も含めて一日は潰れるだろう。
何よりこちらは今重武装隊の居ない機動力重視の少数精鋭。
敵は一撃必殺の重量級中心。率直に言ってこの部隊、かなり相性が悪い。
「総員、防戦準備用意!」
「っ、いや違う!総員進軍準備だ!
我々はこのまま山肌を上昇し、山を越えるっ!!」
ネルガルの号令で我に返り、アレスは慌てて指示を出す。
自分も即座に騎乗して上昇し、隊列を整えさせる。慌てて他の指揮官達も天馬に乗り込み、或いはネルガルと共に急いで上空で整列する。
「出陣ッ!私の後に続け~~~っ!!」
だがその高さは斜面であるが故に、駆け上った巨人の手が届きかねない。
上昇角度はまるで山肌に添う様で、長柄の巨人なら真下に届けば跳躍一つで叩き落される事確実だ。
事実同じ結論を出した巨人達は、怒りの声を上げて全力で走り始める。
義勇軍視点では単に上昇負荷の問題でも、巨人達にしてみれば挑発になる。
「どうする心算だアレス王子ィ!?」
「決まってる!このまま付かず離れず、帝国軍に朝駆けを噛ますんだよォッ!!」
「「……っ、あぁッ!そっかぁっ!!」」
意図を察したジルロックとネルガルが、アレスと同じ脂汗を流した引きつり笑顔を浮かべ、揃えた様に同意する。
義勇軍側が不利なのは巨人相手だけじゃない。
物量で死ぬほど負けてる、奇襲予定の帝国軍に対してもだ。
親指小指以外の三本指で左上から右下に引っ掻いて下さい。指で作った溝が大体三奏山脈で、溝の間が二平原です。
真ん中が若干短くなりますよね?短くなった山の裾野側がドールドーラ、上の平原先がモルドバル城塞、下の平原先がクラウゼン王国入口です。
山越え出来るなら真ん中の山脈を昇るのが最短ルートです。
大量の物資を運ぶ軍隊なら素直に迂回した方が疲労も所要時間も少ないけれど、飛行部隊なら山登りでも左程消耗しないよね、というお話。
「無理をするなよ」「仮眠は取った」(これセーフなんだ……)
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