10.間章 宿営地の夜
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剣を振るう音がする。
繰り返して、繰り返して。音を忍ばせる様に踏み込んで。
垂直に唐竹割り。真横に飛び退きながらの横薙ぎに胴。脚を返しての逆胴。
切っ先を自分の右肩に傾け、相手の左肩から右脇へと斬り払う袈裟斬りに。後ろ脚を下げて左脇腹から切り上げる逆袈裟斬り。
斜めに斬り下げるから袈裟斬りで、左から斬るから左袈裟。下から切り上げれば左だろうと逆袈裟だ。
横に斬り払えば足払いだろうと一文字斬りで。首狙いだろうと横薙ぎだ。
水平斬りは胴狙いに限ったり、膝が付いたら座斬りと呼んだり。この辺は流派によっても微妙に違うのだっただろうか。
どちらにせよこの世界には袈裟も、確認する手段も在りはしない。
自分だけ分かれば良いのだと開き直ったのはいつか、もっとちゃんと覚えておけばと悩んだのは長かったのか。既に仔細は忘却の彼方だ。
股下から垂直に切り上げれば逆風で。心臓は左寄りで拳ぐらいを一突きに。
そのまま肩や頭を半歩の前進と後退を駆使して続け様に多段突き。
踏み込みと重心移動は特に大事だ。『連撃』は勘とセンスだけでもタイミングが分かるが、振るえる筋力が足りて無ければスキルとして発動しない。
動きに慣れれば癖が出来るが、慣れる程に振るえるなら筋力は足りている。
数を振るい、慣れを増やす。半歩進み出て振り、更に半分に刻んで切り抜く。
角度は大事だ。斬れる角度を意識し続ければ敵を切れる範囲が分かる。
斬り払い、振り抜けるなら大振りだが、間合いが狭くとも振り抜ければ力負けを防げる。半構えで斬れるなら、鍔迫り合いからも斬り払える。
風切り音を最小に、無駄のない剣閃を意識して。
何度も、何度も振るい続ける。
宿営地の死角の、天幕の裏手。
柵を築くと行軍が遅くなるので証明用の松明が境界代わりだ。
その松明から直接光が当たらず、月明かりの方が鮮明な森の中で。
木々に当たらぬ様に動きを止めず、形無き敵を狙う様に。斬る。切る、斬る。
アレス王子の周りには常に護衛が居る。
表向きの護衛は騎士二人、時々交代しながら戦う時は常に付き従う。
一方でこうして戦わない時、休息中も。影の護衛が常に二人。
彼らの全てはアレスの旗下だが、全員と面識がある訳では無い。
情報収集のために各地に散らしているため全てと事前に対面するのは難しい。
例え百名程度の密偵網であっても、グレイズ伯爵しか把握していない部下はそれなりに居るのだ。
そして。その程度の人数ですら、ダモクレスという小国が抱えるには余りに多過ぎる。彼らは実質的な常備兵、生産に関わらない分生活費は全て国負担。
当然だ。更に彼らは現地人の口を軽くするために、様々な交渉を成功させるための諸経費が居る。密偵という集団はとにかく金がかかるのだ。
情報は鮮度が命だ。そして現地では当然の風習が他国での情報に誤差を生む。
これらを解消するには現地人の協力が必要で、皆が密偵に好意的でも無い。密偵は戦地の情報を集めるので、時に現地人に敵対する存在にもなり得る。
下手な密偵と親しくすれば、身内を敵に差し出す様なものだ。
当然接触者が密偵だと知らない現地協力者達もおり、現地で証拠を確認し合って初めて相手の素性を知る様な関係者もいる。
アレスは彼等と不自然無く接触出来るよう、行商人という身分を利用した。
だがこれは諸刃の剣だ。商品の元手こそ国持ちだが、自前で生活費を稼がせればその分国家への帰属意識が薄れる。協力者にも情が移る。
彼らを繋ぎとめるための報酬は、決して無くならない。
これもゲームでは有り得ない苦労であり。
アレスはこれらを解決するために船を手に入れた。
簡単に言えば、無人島に戦火から逃れた難民を住まわせたのだ。
ダモクレスには今、他国の者が知らない無数の無人島を領有している。
開拓は大変だったが、その甲斐はあったと言える。生活は楽ではないが、何より戦火が届かない安住の地だ。
税収は多少割高になったが、強欲な領主の場合はそれでも減税に等しかった。
本来であれば過剰な食糧生産は値崩れを起こすが、乱世が続く今は販売先に困る事は無い。むしろ現在ですら不足気味になる時がある。
北部の治安回復は、今後の進軍には必須条件だった。
ただでさえ必須の補給線、治安の悪い地域を進んで略奪などされたら目も当てられない。各国を味方に付けずにも進めない。
原作ゲームでは正真正銘の敗残兵による着の身着のままの逃走劇で、馬車数台があれば移動出来る様な最小規模軍隊とは違うのだ。
道中での施しが現実でもあって当然と見込んで進軍する等、指揮官として無計画にも程がある。そもそもゲームと現実との相違も、辻褄合わせだって有った筈。
現実になった今、無計画に進めない理由など山程あった。
神様から貰った力は勿論役に立つが、それだけで全てを解決出来る程、この世界は決して甘くは無かった。
アレスは人目に付かぬところで、しかし決して誰かの視界から完全に消え失せる事も無く、人知れず剣を振るい続ける。
自分が誰にも知られず殺されでもしたら、義勇軍が瓦解する事くらいアレスにもちゃんと理解している。むしろ他人任せに出来る仕事が少な過ぎる。
進軍に必要な全ての人材をダモクレス単独で用意するのは無理があると、アレス自身が一番実感している。問題は如何にして周りに納得させるかだ。
「さてと、型の確認はこんな所か。
別に見られて困る物ではありませんよ、ルーゼ様。」
木々の影から出て来たのは、先程から死角でこちらを見ていた帝国の姫君こと、ヴェルーゼ皇女その人だ。様子を伺っていた、というのが正しいのか。
「お邪魔になるかと思いましたが、いつもこの様な所で?」
後ろには離れた所に彼女の護衛騎士マノンを伴っている。両者とも鎧は着たままだが、マントの類は外している所から私的なタイミングではあったのだろう。
となれば男であるもう一人の護衛、ジェスタンを伴っていないのも当然か。
「ええ。見える所で鍛錬をすると何かと気を使われるもので。
ですが腕が未熟な自覚はありますので。」
「そうですか。……中央へは行った事がお有りで?」
「ええ。実は行商人として帝国に訪れた事もありますよ。」
「……王子ですよね?」
「養子の第二王子ですよ。兄は健在ですし、王にも相応しい。
なら自由が利く内に色々と見聞を広めておきたいでしょう?」
「側近として、ですか。」
「そういう事です。」
正しく王位を争いたくないと伝わったのだろう。そしてアレスを王位に据えたい者達が居る事も。……特に兄だが。
沈黙が降り立ち、改めて剣を構える。
何も言う事が無くて来た訳では無いだろうが、無理に促す必要も無い。
アレスの意図を察したか、木に背を預けたまま見物する気の様だ。
基礎鍛錬は余計な癖を付けず、無駄な動きを減らすために行っている。
これから行うのは逆。癖の強い初期戦士職、ファイターの職業技能【必殺剣】の使用鍛錬だ。
基礎クラスとは、神官達で行える簡易版の昇格を指している。
この世界では成人の儀として行われ、大抵の者が獲得している。獲得していない者はマナ(経験値)吸収効率が特に悪い。
クラス数は5つ。戦士職ファイター、魔法職ソーサラ、神官職クレリック、探求職シーカー、万能職ワイズマン。
ワイズマンはステータスを満たせば全てのハイクラスへ昇格出来るが、初期状態では全ての特技を使えない。はっきり言えばイベントキャラ専用職だった。
シーカーは別名密偵職と呼び、盗賊にも多いため偏見が多いが本来は猟師などが該当。『探索技能』を扱える調査全般を得意とするクラスだ。
前半3クラスは読んで字の如く、ゲームの定番職業だろう。
ソーサラが【攻撃魔法】を使え、クレリックが【回復魔法】を覚える。
アレスが選択したファイターは、奥義【必殺剣】を習得するクラスだ。
MPを消費するこれらは全て3LVまであり、一定以上の習熟度を獲得する事でLVが上昇しより上位の奥義を使える様になる。
端的に云えば【必殺剣】は魔力を用いて攻撃を強化する奥義だ。
ただ肉体強化等もあるので、攻撃そのものに魔力が宿っているとは限らない。
魔法と違って習熟度とLVが上がれば、後は感覚だけで修得出来る。
勿論知らない技を零から習得は出来ないが、基本的には見た事があれば何となく何をやっているかが感覚で理解出来る様になる。
ゲームで成長すれば即使えたのは、全キャラが一度は見たという扱いなのか。
どちらにせよアレスは全て把握しているので何の問題も無いのだが。
【パワー】LV1、攻撃力弱上昇。腕や全身に魔力を漲らせて筋力を高める。
アレスは腕に負担が集中しないよう、全身に漲らせて効率の良い強化を心掛けて剣を振るう。一撃必殺なので、振り抜くと同時に魔力が抜け疲労感が残る。
そのまま『連撃』へと繋げるが、当然ながら強化分は残っていない。
【ショット】LV1、剣戟飛ばし。一撃の威力を衝撃波として飛ばす。
鎌鼬と言うより衝撃の固まりで鈍器に近く、突きでも同じだ。射程の維持もそうだが威力の保持も慣れないと難しい。魔力を用いても物理衝撃しか伝わらない。
【ラッシュ】LV1、ゲームでは1~3回のランダム連撃。武器威力半減。
有名な某三段突きを、強化した速さで強引に再現する様な感覚だと思っている。
違うのは剣戟でも可能だという点で、大振りが出来ない分威力が軽くなる。
更に言えば、【パワー】の倍近い疲労感がある。【ショット】は両者の中間か。
【マジカル】LV2、魔力化攻撃、一撃単体。
剣戟を魔力で包み込み、通常攻撃を魔力攻撃にする必殺剣。
元々幽霊などの魔法でしか対処出来ない相手を切るための必殺剣だ。
そう。元々幽霊などの魔法でしか対処出来ない相手を切るための必殺剣だ。
なお、何故かゲームでは精霊は出てくるが幽霊は出てこない。
【スラッシュ】LV2、魔力化攻撃。威力減、周囲への薙払い。
【ショット】を武器に維持し続ける感覚に近いが、実際には【マジカル】を棒の様に伸ばしながら振るうのが正しい。一撃振り抜く間形状を維持出来れば上等だ。
一撃で周囲の敵をまとめて薙払えるが、スキルとの併用は出来ない。
【バスター】LV3、魔力化、衝撃波放出攻撃。消耗中の下。
所謂ビーム斬撃、もとい物理衝撃波砲だ。直線状の敵をまとめて薙払う、スキル以前に物理の魔法攻撃。いや実質魔法扱いなのか。
一撃の威力は高いが、ラッシュの倍消耗するので複数人巻き込まないと採算取れないレベルで消耗する。まあ高レベルになれば誤差だが。
如何なアレスとて、所詮は低レベル帯の戦士。若干魔法使い寄りのクラス構成とはいえ、全てを順番に使えば普通はMPが尽きる。
だが実際はもう二周繰り返しても足りる程のMPがアレスには満ちている。
「やはり既に3LVに達していましたか。
恐らく北部ではあなたより強い方はいないのでしょうね。」
頃合いと見たヴェルーゼ皇女が騎士マノンに頷き、距離を取らせて口を開く。
アレスも影で見張っている密偵達に、声が聞こえない範囲まで下がる様に指示を出した。如何に密偵と言えど、全てを信じる訳では無い。
密偵達も心得たもので、警戒を外向け、密談の邪魔になる者中心に意識を切り替える。もし誰かが近付いたら、彼らは隠れたままこちらに知らせる手筈だ。
「ルーゼ様は北部では有名な噂を御存じ無いのですね。
北部では一人各地を放浪し雇えれば勝利が確定すると語られる、北部最強と名高い天才剣士の噂がありますよ。」
皇女の固い口調に対し、アレスは軽口で返す。だが本当に噂を聞いた事が無かったらしいヴェルーゼ皇女は素直に疑問の表情で首を捻る。
「それは単に東部の傭兵が流れて来ただけでは?」
「どうやらその東部からの傭兵団相手に中央突破で敵将の首を上げたのが噂の出所だった様ですね。」
可能であれば雇いたかったが、何故かどこを探しても出て来なかった。
ゲームでは山賊団の中にやる気なさげに紛れていた。なので即金で支払うならと即座に裏切ってくれる、終盤までレギュラーになる最強戦力の一人だ。
「そうですか。ではあなたが剣を交えたという、ベルファレウス皇子となら?」
「確実に王子でしょう。そもそも30LV間近の時点で勝負になりません。」
原作で戦う時は30LV超えていたので、恐らくはこの後も何処かでLVが上がるのだろう。はっきり言って今戦ったら一撃凌ぐ事も出来ない筈だ。
「……なら御承知でしょう。
帝国東部軍は北部最大の要害国家、北壁砦ことカルヴァン王国を陥落させるのに凡そ一万の兵を費やしました。
ですが現義勇軍の総数は五千にも届かない。当然ですね、義勇軍は北部全土を味方に付けた訳じゃない。
あくまで一部別動隊が、言い訳の利く範囲で参戦しているだけ。」
淡々と現状を指摘するが、同時に微かに声に焦りを感じる。
恐らくは、信用し切れるかに対する迷い。
「勿論承知の上です。カルヴァンには既に密偵を進入させているので。
兵数に限って言えば、野戦であれば多少義勇軍の方が多いですね。」
それは要害に籠られたら正面突破は不可能という意味だ。
実の所LVだけなら既に大差はない。だが要害は破壊不可能な盾となる。
何より今帝国軍が北壁砦に配置している兵数は、当時一万と衝突したカルヴァン軍の総数よりも、気持ち多いくらい。
「そもそも帝国東部軍は北壁を閉鎖するために隊を分けただけで、他の侵攻も同時進行で行っていました。
その気になれば、北壁に増員を出しながら東部国家を侵略出来る。
東部方面軍には、その余力があります。」
「現状では約二万の兵を、小国中心に各個撃破しながら中央国家群の攻略を進めている所でしょうか。
とはいえ、来年には残る大国にも方面軍の総力が襲い掛かる事になる。」
アレスに焦りは無い。元より承知で既知の流れだ。
東部の完全制圧に、義勇軍は間に合わない。
「自信があると?片手間で複数国家を制圧し続ける、あの物量を前に?」
「東部の完全制圧は、今年中には敵いません。
今年中に北壁とその直下、ベガード城を攻略する頃には冬が訪れる。
両者の陥落が今年中に敵えば、帝国軍が援軍を送る前に冬を迎える事が出来る。
その状況さえ作れれば、まあ何とかなりますよ。【下位風刃】!」
アレスが唱えたのは下位魔法。北部でも入手可能な魔導書だ。
だがそもそも、【必殺剣】と【攻撃魔法】を両方修得出来る基礎クラスなど存在しない。それは最低でも。
「……ハイクラス。いえ、あなたの強みはそれだけじゃあありませんね。
ではまさか、特殊クラスなのですか?」
特殊クラス。通常では不可能な特殊なクラスチェンジにより可能な高位職。
クラスチェンジは王族紋章の持ち主が行える秘術儀式だ。故に一定以上の実力を持つ家臣に行う事で、ハイクラスへの転職を可能とする。
だが紋章を宿し秘術を知る者なら誰でも可能なのは、所謂ハイクラスまで。
特殊クラスは必ずしもハイクラスを経由する必要は無いが、条件が比較にならない程に厳しく、特殊な道具を必要とする術式も多い。
「詳細は秘密です。ですが、無策では無いと信じて頂けましたか?」
笑いかけるアレスに、硬くなり過ぎていたと気付いた皇女が思わず肩を落とす。
「どうやら気を使わせてしまったようですね。」
「お気になさらず。あなたには新設した魔法部隊の指揮官をお願いしたい。
我々にあなた以上の魔法使いは居ませんので、表向きの立場はダモクレス所属となって頂けると何かと都合を付け易いのですが。」
「構いませんが、宜しいので?」
「勿論。経費については目途が付いているので御心配無く。」
アレスが明日届ける筈だった封書を懐から取り出し、ヴェルーゼ皇女に渡す。
中身に目を通し、それが今日完成した書類だと気付いて苦笑する。
「分かりました。お引き受けします。」
空を見上げる彼女の視線の先には、綺麗に輝く満月があった。
「……そうですね。先ずは信用するところから始めさせて頂きましょう。」
軽く感謝を、と告げたアレスは、再び必殺剣の修練を再開した。
初期職や必殺剣の解説回。
間章は読み飛ばして頂いても問題無く話が繋がる様に意識してますが、間章が初登場の登場人物が本編で出る事もあります。
重要人物なら本編で初登場するので、その場合はゲームでは居なくても成立するキャラだと思っていただければOKです。尚、活躍しないとは言いませんw
要はサブイベントやサブマップ的な演出ですね。