96.第二十三章 聖戦軍初動・聖王子の軍師
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聖戦軍本陣オアシス砦。
手元に届いたアレスからの報告書に、アストリアは相変わらずだなと苦笑して。
と同時に、一体どの様にリシャール殿下に報告しようかと頭を悩ませる。
全てを正直に話すなら周囲の目を気にする必要はあるが、その実内容は雑に報告内容をまとめても大体同じ。明確な違いは類似情報の有無だけだ。
今シャラーム国内では直系の粛清という未確認情報が起きており、シャイターン第一王子が此方に寝返ったという以外は何も書かれていない。
「そうか、その程度で十分なのか。」
どの道仔細は今後の状況次第だ。今は詳細は分からないと答えても、特に問題は無いのだと気付いてアストリアは心が軽くなる。
それに今は、それどころでは無いという側面もある。
今、軍議の場は荒れに荒れていた。
先ず。己が天才ではない自覚のあるリシャール(アレスに自覚があるとは言ってない)は軍議に於いても合議制を選んでいる。
だが今回緒戦だけは、強引に進軍してしまう必要があった。
『そもそも砂漠での進軍は著しく機動力が落ちると聞き及んでます。
諸侯の方々は主軸がガルム部隊。ガルムは膨大な魔力を持ち持久力こそ優れていますが、本来は寒冷地向きの乗騎です。
まあ実体験しないと、皆さん納得して戴けないと思いますよ?』
実際シャラームの守備兵程度なら上陸した五万前後の部隊があれば圧勝出来るというのが諸侯の目算で、最短距離の砦には五千と居なかった。
だが実際に進軍してみると、先陣部隊は遅々として進まず痺れを切らした他の諸侯が回り込んでの追い越しを図るもやはり砂地に足を取られ。
先陣に配置していた騎兵が一方的に削られ、右往左往し足止めされてしまい。
結局全軍が包囲する形になって、漸く陥落せしめることが出来た。
『先日聖都で皆さんが鹵獲し挙ってダモクレスに売却した走り鶏こそが、最も砂漠向きの乗騎なのですが。
皆さん誰も砂漠での準備をご確認に参られなかったので。』
荒れた。
一斉に我を忘れて抗議の声を上げた。
何故黙っていた、値を釣り上げる心算だったのかと。
『買い取りの際に今売却して良いのか、全て事前確認させた筈です。
それに我が国は辺境の小国ですよ?私が即位予定のハーネルも精々が中堅国。
私から聞かれない事を準備不足扱いし、口に出せる程の国では有りません。
そもそも数万の走り鶏を一斉に買い取る額が、簡単に出せるとでも?』
流石にちょっと冷静になった。自国だったらとても無理。
『一部だけ断ったとして。その国は何処の国で、恨まれるのは何処の国ですか?
早い者勝ちで抗議が殺到するのは何処ですか?選択の余地はありますか?
そもそも今から全羽返すから全額返金をと言われて、今支払えますか?』
とても冷静になった。今回の進軍経費に大分使った。
『す、済まない。君の意見を聞かせてくれ。
君はこの後どうすべきだと思う?』
おずおずとイストリア王が代表して質問した。
『ガルムを全て売却されても流石に無理です。
貸し出しも遠征期間を考えれば逆に高く付くでしょう。
ならガルム以外の部隊を中心に編成し、予備隊を返す序でにガルム部隊の乗騎を自国内の分と交換するしかないのでは有りませんか?
交換を終えた部隊を中心に進軍するしかないと思います。
一部は諦めましょう。進軍を止めるのも無理です。』
勿論走り鶏の購入なら適正価格で応じますがと返され。
(((何というか……。凄く、常識的……。)))
何だろうこのモヤモヤ感。
という訳で再編成中だったのだが。船に乗せる順序でも進軍する部隊でも帰国させる数でも、思いつく問題は全部揉めた。
数日経っても進まなかった。
そして今に至る。
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「それで、何処まで予定通りだったのだ?アストリア王子。」
「お戯れを。」
「責めているのではない。合議を当てにし過ぎた自分の未熟さを実感出来た。
その上で見れば、貴殿は沈黙によって評判と発言権を増した。そなたの発言を弟の腰巾着と罵り、安易に遮ろうとする者は減るだろう。
貴殿は弟の報告が届くタイミングが分かっていて、今迄沈黙したのだろう?」
リシャールは用意された私室に戻り、事の顛末を問う。
アレス王子からの伝言を聞いた諸侯は焦り、全部隊が半数を下がらせて残りでの進軍を決めた。船舶については経済的な負担を全員で折半しつつ、近場の国から順次帰国させていく事となった。
多少強引でも、明日には進軍出来るだろう。
リシャールの言葉に王子は困った様な微笑で返し、そこまで万能では有りませんと渋々種明かしをする。
「何を言って説得するかにはずっと迷いました。
ですが弟の報告が案外些細なものだったので、危機感を煽る伝文だけで十分だと気付かされたのです。」
「つまり計画通りだったのはアレス王子の方だと言うのか。」
意図も書かれていない伝言から正確に裏を読み取れる。如何に兄弟といえど共にあのアレス王子の薫陶を受け、彼が推薦した青年だ。
決して凡庸な若者では有り得ないのだ。
「アストリア王子、敢えて聞こう。アレス王子ならどうしてた。」
「既に幾つかの砦を制圧し終わっていたでしょう。」
「それは、軍議を開く前に次の作戦が決まっていたという意味か?」
それは諸侯に意見を問うたのが失敗だったかという、殿下の迷いの表れだろう。
だがアストリア王子の返答は更に輪をかけて予想の上だった。
「作戦なら、恐らくダモクレス出陣前にでしょう。」
「うん?それは、一年以上前にという意味か?」
いやいやと言いつつ最もアレスと付き合いの長い義兄の言葉だ。ましてアレスという超人ならもしやという疑惑が惑わせる。
「そもそもアレスは大体五~六年程前から大陸全土を自ら巡り、現地の調査と現地勢力、戦場に優位な地形を測量しています。
ある意味今の密偵網も長期軍略の一つであり、海軍や輸送隊も聖戦を想定した下準備です。聖王家の皆様の救出に関われたのも事前準備の賜物です。
当然シャラームの制圧計画もこの地図を用意した段階で立てたでしょう。」
戸惑う。否定する根拠がない、どころか。
聞けば聞く程に納得する理由が増えていく。
「アレス王子は、ずっと帝国と戦う準備をしていた、のだったな……。」
「ええ。アレスが率いるなら、計画にどの程度修正が必要か。
船上どころか聖王国に居た段階で立てたからこそ、殿下に任せるという選択肢を取れたのだと愚考します。
故に、最悪殿下が敗走しても立て直せる想定で動いているかと。」
「では。つまり私も、事前に方針を立てて動くべきだったという事か。」
「それは違います。未だ結果は出ていません。
殿下は、敵が全軍揃えたところで全てを一戦で片付けてしまうお積りですか?
それとも各個撃破するお積りですか?」
「む。」
「先手を打つ優位を諦め、総軍の真っ向勝負で勝つ心算なら何も問題ありません。
問題になるとしたら、各個撃破する心算で軍略を立てる場合です。敵が軍を集めてしまえば各個撃破は成立しない。
彼らの意見をどうまとめるか、又は意見は出揃ったと殿下が決断するか。
そちらの選択の方が今は重要でしょう。
殿下に問題があるとするなら、流されて場当たり的に応じてしまった時です。
殿下は待てる限界や方針を、どの程度彼らに求めていますか?」
(そうか。私はまとめようとしたのではなく、決めさせようとしたのか。)
勘違いをしていた。不満は減らせるが無くならない。それは決めても同じだ。
自分は諸侯達を納得させるためには動いていなかったのだと、リシャールは己の思慮不足に気付かされる。
(成程。正しく軍師なのだなアストリア王子は。)
今のアストリア王子は、《始まりの紋章》全てをその身に宿している。
そして自分達三兄妹、更に協力者としてヴェルーゼ皇女にも協力を頼み、全員が《紋章》を一つ増やす事に成功した。
リシャールはアレス王子が提案したあの日の事を、まざまざと思い出す。
『今の内、早急に〔聖王の盾〕の効果を試すべきと存じます。
特殊クラスの転職と《紋章》の増加は今後の戦況を左右する力です。
何より儀式の場所はあの〔地下聖堂〕、何度も行って良い場所ではない。』
白月城にある〔沈黙の部屋〕。
〔防諜術式〕という魔法による監視や干渉を防げる特別な部屋の機能を、機密のために早い段階で確認しておいた方が良いと促されたアレス王子に。
確認後早々に切り出された話が、この一件だった。
アレス王子にしては珍しく焦りが見られ、最初は不躾過ぎると少し不快に感じたくらいだ。
「斯様な一大事、気軽に使用して良い代物ではあるまいよ。
性急に運んで良い事柄ではあるまい。」
その場にいたのはアレス王子の他は兄弟二人にアストリア王子とヴェルーゼ皇女にイザベラ大司教であり、全員が寝耳に水の話だった。
「最初に試されるのは、御兄弟の心算ですか?
あの〔神威の祭壇〕は何百年以上も整備されておらず、〔聖王の盾〕も破損状態にあったのですよ?」
「む……。」
言われてみれば確かに万全とは言い難い。不具合があったからこそ使えなかった〔盾〕をいきなり兄弟で試してみろというのは確かに憚られる。
「だが他に候補がおるまい。これは聖王家の義務だ。」
「お兄様、もう少し話を聞いてみては。」
それはミレイユに限らず全員の総意だった様で、少し意固地になっていたかと気を取り直し、先に話を聞く事にした。
「問題は適切に使えるかだけでは有りません。正確な情報が不足し過ぎています。
継承出来る紋章は本当に《始まりの紋章》だけなのか、一つに限るのか。
〔聖王家の紋章〕は特殊クラスへの転職を可能としますが、【神威の紋章】には同様の効果、或いはそれ以上の効果があるのか。
一人で全てを試すには検証すべき事柄が多過ぎます。」
「む、ま。た、確かに。」
「そもそも《紋章》を増やせる事を公表すべきかも、邪龍討伐後になってしまえば疑問が残ります。紋章数の減退はどの王家にとっても窮状ですから。」
「そ、そうか。アレス王子とミレイユとの結婚にも口を挟まれかねないのか。」
迂闊に口を開いたパトリックだが、指摘されると有り得ると断言出来る。
アレス王子は既に《覇者の紋章》を完成させている。ヴェルーゼ皇女が居るのに更にミレイユまで独占するのかと抗議する者は絶対に現れるだろう。
「で、では。試さぬというのは……。流石に、慢心が過ぎるな。」
全員が頷く。《紋章》の力は絶大だ、特に《始まりの紋章》三種は例え一人だけでも戦況に影響を与える。だが、使ってしまえば、今迄は何故と。
ここまで来れば、事の深刻さは理解出来る。検証には人数が必要で、誰でも良いとは絶対に言えない。秘密を守れる者に限られる。
「……私からも希望を申し上げれば、アークビショップへの転職を一人はお願いしたいと思います。
ミレイユ様とヴェルーゼ様、御両人にも挑戦して戴きたいですね。」
実際今は戦いに不慣れなイザベラ大司教の双肩に【ラグナロク】の全てが託されている状態だ。邪龍復活が確実視される状況下ではこれも放置出来ない問題だ。
「……だが、何故今なのだ?もう少し色々調べてからにすべきではないか?」
「敢えて言わせて頂きます。兄アストリアに試させて下さい。
私の紋章数は五つで特殊クラス。挑戦出来ません。ですが褒美という形なら聖都を奪還した今こそ、口実としても最適なのです。
それに失われた秘伝を発見するタイミングも、今なら偶然で押し通せる。遺跡を使用する以上、目立つ何かが起こらないとも限らない。
使用した後なら〔神威の祭壇〕は秘伝を理由に立ち入らせぬ事も、無関係と押し通す事も可能です。」
「そもそも我々は聖王家の秘伝を知りません。当然何が失われたかも。
邪龍復活を理由に秘伝の一部を解放したという事にしても、我々諸侯には確かめ様が無いと思われます。」
ヴェルーゼ皇女の補足に推され、リシャールは腹を括る。
『……そうだな。先延ばしにした方が、危険が増す恐れがあるのだ。
試せるうちに、試しておくべきか。』
あの後色々検証した結果、増やせる《紋章》は間違いなく《始まりの紋章》一つに限られると判明した。それも適性のあるものしか選べない。
逆に言えば適性のある者は選択出来るという事も分かった。
〔聖王家の紋章〕は【ラグナロク】に影響を与えないが、適性のある特殊クラスへの転職を可能とする。
【神威の紋章】との違いは【ラグナロク】の制御を負担し、資格ある者に術式を修得させる点だけが違った。他は同じだ。
特殊クラス〔ロード〕と〔アークビショップ〕への転職は〔神威の祭壇〕でのみ可能だった。だが〔アークビショップ〕は大聖堂でも可能だ。〔ロード〕が同じという可能性は十分にある。
これ以上は、今は試せない。
〔聖王の盾〕はどうやら特殊クラス〔ロード〕と〔アークビショップ〕にのみ真の力を発揮出来る代物の様だった。〔ハイロード〕に関しては不明瞭だ。
《始まりの紋章》は両クラスにのみ継承出来ると判明した。
最も、子孫であればクラス関係無く継承出来るので、〔ロード〕は聖王家のみと制限した方が良いという結論に達した。
二つとも分かる範囲で性能に違いは無かった。
なので片方はリシャールが《王家の紋章》の中で管理する事になった。
リシャールはパラディンがロードに、紋章は《治世、鉄血、武神+王家》。
パトリックもパラディンがロードに、紋章は《鉄血、武神、魔王+治世》。
ミレイユはドルイドがアークビショップ、紋章は《鉄血、賢者、魔王+王家》。
ヴェルーゼ皇女はドルイドがアークビショップになり、紋章は《鉄血、賢者、魔王+王家》だ。
アストリア王子は魔騎士がロードに、紋章は《王家、治世+鉄血》となった。
ミレイユも無事『浄化』スキルを修得し、アークビショップ二人が共に【ラグナロク】を修得する事が出来た。
これほど劇的な結果が出せたのだから、まさにあの時のアレス王子の指摘はこれ以上無い適切な諫言だったと今では自信を以て肯定出来る。
当初心配されていた外部への影響も無かった。
思い返せば、自分の決断はいつも遅かった。
政治力に長けると言えば聞こえはいいが、即決即断で隅々に思慮を巡らすアレス王子に随分と頼り切っていたのだと今更ながらに思い知らされる。
アストリア王子とていずれ聖王国を離れる身、頼り切りになる訳にはいかない。
「殿下、勘違いしてはなりません。」
「何?」
「殿下は自身が天才である必要はありません。
ですが天才を懐に収める器量だけは今、絶対に必要なのです。それは万人を味方に付ける才能とは別種のものでしょう。
ですが聖王であるならば、その才を封じ、否定する事だけはあってはならない。
貴方にとって最大の試練は、如何に多くの異才を味方に付けるかにあります。」
「っ!」
アストリア王子は真っ向から、真剣な眼差しで断言する。
その言葉は、二人の王子に負けない事を決意しようとしていたリシャールの考えを否定するものだ。
「……そうだな。そうであろうな。」
不意に脳裏に、地響きの様な胃痛の音が蘇る。
冷静になれば、ああはなりたくないものだ。
「で、殿下。それはちょっと……言わぬが花なので。」
「…………なあ、私はそんなに考えてる事読み易いか?」
「普段はともかく、悩まれると凄く出ますね。」
「そうかー。」
???「ご、ゴメン……。走り鶏が大量に売られた時点で揉めそうな気したけど、人望チートに任せとけば何とでもなると思って脳容量放棄してました!」
盾の件は聖都奪還直後の回想。
『鑑定眼』で盾の効果を確認し、「やっべ」と焦ったのが真相w
つまり今《始まりの紋章》を継承している者達は全て、過去〔ロード〕〔アークビショップ〕になった者達の子孫です。
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