第五話 「狼獣人と盲目奴隷、 見る(前編)」
屋敷が経ってからあっという間に半年が過ぎようとしていた。
思えばリフィと出会ってから一年になる。
いつの間にか季節は一周し、 アイツが凍えていた洞穴も今では懐かしい。
まぁ屋敷の目の前にあるのだが。
しかしそう思えてしまう程に、 屋敷から仕事への行き帰りの際に見る洞穴はなんだが遠く見える。
「今戻ったぞ」
こんな挨拶ももう慣れてしまった。
魔王様から与えられた屋敷に住んでいた頃は当たり前だったが......まさかそこを追われた後もこの挨拶が習慣になるとはな。
「おかえりなさい、 ウル様」
最初に出迎えてくれるのはメイドだ。
まぁ使用人として当たり前の行いだろうが、 昔と違って今は使用人はコイツ一人。
家事やアイツの世話で忙しいだろうに、 こうして毎度出迎えてくれるのは有難い話でもある。
「今日もアタシ、 頑張った。 褒めて褒めて」
まぁこうして生意気な面もあるが故に腹も立つのだが。
褒めるもどうもそれが貴様の仕事だろうに。
ましてや主人である俺に褒めて貰おうとはいい度胸よ。
しかしよくやってくれているのは事実。
だからその気持ちを込めて一言、
「ご苦労。 今日の仕事も完璧なようだな」
と言って頭を撫でてやった。
フッ、 まさか俺がこんな気遣いが出来るようになるとはな。
まぁ実際にその通りなのだが、 そうだとしても以前の俺ならこんな事は言わなかっただろう。
ほら見ろ、 その証拠にメイドは驚いて目を丸くしているではないか。
褒めろと言ったのは自分のクセして何なのだ。
......それはいいとして。
いいのか悪いのか知らんが、 俺がこんな風になったのもアイツの影響だ。
事ある毎に「メイド様に感謝をしてください」だの「テンシュ様にお礼を」だのと口煩くて敵わんし、
言う通りにしなければずっと喚いているしで、
俺はそれを避けるように、 次第に無意識のうちに助言を聞くようになってしまった訳で。
全く、 これではどちらが主人か分からんな。
前の主人はこれが嫌で許可の無い発言を禁じていたのかもしれんな。
まぁ主張が強くなったのも、 「自分の力で希望を勝ち取る」という事の一環なのだろう。
言いつけを守っているのはいいのだが、 融通という物を利かせてほしい物である。
しかしもしかするとああいうお喋りでお節介焼きがアイツの素なのかもしれん。
くくく、 いい傾向だ。 人間らしくなってきたではないか。
このまま成長させ続け幸福の絶頂に至って貰おう。
幸せとは己の成長の先にあるのだからな。
しかし問題は、 自分が食われる立場だという事を忘れてはいないかという事だが......。
「おかえりさいませ、 ウルフォン様。 今夜もリフィは食べられる準備万端ですので......」
......どうやら大丈夫なようだな。
俺は両手を広げて出迎えているリフィを無視して奥に進む。
何故ならどうせ、
「ウルフォン様! 食事がこうして食べられる事を望んでいるのに! なんて仕打ちですか!! 」
と縋りついてくるからだ。
時折コイツの目が見えない事を忘れるな。
まぁそれだけメイドの教育が生きているのだろう。
目が見えなくても普通の生活を送れるように指導してもらっているしな。
更にはテンシュからもリハビリを受けている。
最早コイツの目を治さなくてもいいのではないか?
「ウルフォン様! 無視はいけませんよ! わたくしの話を聞いてくださいまし! 」
構わずに歩く俺に引き摺られるリフィ。
全くもって鬱陶しいものだ。
......しかし、 くくく。
本当に人間らしい反応をするようになったものだ。
これなら充分に幸福になったと言えるのではないか?
なんなら、 望み通り今夜食ってやっても......。
......。
いや、 まだだな。
ここまできたのならば、 やはり目を治して万全な状態にしてから絶望に落とさんと気が済まん。
その瞳に俺という恐怖を映し絶望させねばな。
「......それで? 今夜の食事はどうされるんです? ま、 わたくしには関係のない話でしょうが」
「ふっ。 いつも通りに決まっているだろう」
いよいよ拗ね始めたリフィを見て思わず笑ってしまう。
ついでに貴様は食わんとハッキリ告げてやったわ。
俺はそのまま、 リフィを引き摺って食堂へと向かった。
◇◆◇
食堂には大きな長机と椅子が並べられていた。
人間の貴族がよく食事に使う、 無駄に長く無駄に椅子の多いあれだ。
魔王様から頂いた屋敷にもあったが......どうしてこんなに無駄に大きいのだろうか。
いや決して魔王様の考えに文句を言っている訳では無いが。
「ふふふ。 すっかりお腹が空いてしまいました」
席についたリフィの機嫌がいつの間にか良くなっている。
全く現金なやつよ。
だがまぁ、 食う事は生きるという事だ。
今のコイツからは死にたいなどという意思は微塵も感じられん。
普通に食事をして普通に肉付きが良くなっている。
いい傾向だ。
環境も、 コイツの考えも、 変わって良かったというものだな。
......勿論全てはリフィを食う為の下準備だが。
......それにしても。
「今日はわたくしも大いに頑張ったのです。 ウルフォン様、 美味しかったら沢山褒めてくださいね? 」
「それを教えたのはアタシ。 ウル様、 アタシも褒める」
この自己主張の強い奴隷とメイドはどうにかならんものか。
オマケに、
「そんな事はいいから早く食べようよぉ! 」
いつの間にか当然のように座っているテンシュ。
「テンシュ様! 今日こそは貴女様に『美味しい』と言わせてみせますからね! 」
「えー? 一生無理だと思うけどなぁ」
「そんな事、 無い。 だってアタシが教えてる。 だから大丈夫。 そしてウル様に褒めてもらえるのはアタシ」
それはいつもの光景だった。
毎夜、 こうして騒がしい夕食が始まるのである。
全く、 どうしてこうなった。
運ばれてくる料理を遠慮なく食べるテンシュ。
配膳が終わると当然のように席について主人と同じテーブルで食事を摂るメイド。
そして、
目が見えないながらも、
教わった方法を懸命に使い、
その苦労を忘れさせる程に楽しそうなリフィ。
......なんと言うのか。
俺には鬱陶しくて敵わんが......穏やかな光景、 とでも言うのだろうか。
家族というものがあればこのようなものなのかもしれん。
まぁ俺には関係ないがな。
......そう、 関係ないのだ。
なのに何故、 こうも懐かしく......。
「っ!? 」
その時、 急激に頭に痛みが走った。
ほんの一瞬だ。
しかし何か、 頭の奥を刺激するような痛みに襲われなのだ。
一体なんだったのだろう。
「ウルフォン様? 大丈夫ですか? 」
その刹那の変化に気づくリフィ。
コイツ、 目が見えないくせに一体どうやって分かったというのか。
オマケにその痛みは一瞬だった。
表情がそのせいで歪んだとしても数秒にも満たないだろう。
その証拠にテンシュたちは気づいていない。
コイツ、 最近こういった勘が冴えているようだが。
「大丈夫だ、 気にするな。 それよりもリフィ、 もっと食え。 俺が食う時にたっぷり肉がついているようにな! ハハハッ! 」
俺は何事もなかったように笑い飛ばした。
それで安心したのか、 リフィはそれ以上追求はしてこなかった。
全く、 さっきのは一体なんだったと言うのだ。
その後、
暫くその事について考えていたが、
三人の喧しさに掻き消され、
俺はすっかり頭痛の事を忘れ、
食事を終えたのだった。
◇◆◇
夜も更けた。
後は寝るだけだ。
俺は獣人用の大きなベッドの上に寝転がっていた。
明日も早い、 寝坊すればオヤカタにこっ酷く叱られる事だろう。
さっさと寝なければ。
そう思って目を瞑る。
......しかしだ。
毎夜の事だが、 ここで邪魔が入るのだ。
「失礼致します」
ガチャリと、 声と共に部屋の扉が開いた。
こういった事を想定して鍵はかけているのだが......ソイツはメイドから合鍵を貰っているので何ら意味を成さない。
俺は屋敷の主人で、 ここは俺の個室の筈なのだがな。
「今夜も夜のお供をさせて頂きます。 よろしくお願いします」
粛々とした所作と態度で中に入ってくるのは、 リフィだった。
もう毎日の事なので驚きもしない。
ただ腹が立つのは、
誰も入室を許可していないのに勝手に入ってくる事と、
まるで俺が望んでそうさせているような口ぶりである。
ええい! 貴様が添い寝したいだけだろうに!!
この時俺は寝たフリを決め込む事にしている。
どうせ結果は変わらないが、 そうしていた方が煩わしいコイツの相手をしなくて済むからだ。
抵抗したり、 起きて説得しようなどとは時間の無駄なのである。
リフィは毎度の如く、 当然のようにベッドの中に潜り込んで来る。
そして俺の毛並みを確かめた後に抱きついてきた。
本当に鬱陶しい奴だ。
でも、 まぁいい。
こうなったらコイツはとっとと寝てしまう。
安心しきった表情と匂いを無防備にさらけ出しては安眠するのだ。
俺はせめてもの抵抗で、 その寝言を見て食う時の事を妄想しながら眠りにつくのである。
これが俺たち二人の日課だった。
当然、 今日もそうなるものなのかと思ったが......その日は何かが違っていた。
先ず最初にメイドが居ない。
いつもなら俺たちの様子を伺う為に、 部屋の隅で立ったまま寝る筈だ。
しかし今夜はやって来てすらいないようなのである。
まぁ別に居ないからと言ってなんて事はないのだが。
寧ろ部屋に居る人数が減って喜ばしい事なのだが。
そして今夜は、 更に変化があった。
「ウルフォン様。 一つお聞きしてもよろしいでしょうか? 」
いつもとっとと寝る筈のリフィが話しかけてきたのである。
何なのだ今夜は!
ええい! こうなったら完全に無視だ!
寝たフリを貫いてやる!
そうこうしているうちにどちらかは寝るだろうよ!
こうして俺は狸寝入りを決め込んだ。
「起きているのでしょう? 見えますよ」
しかしリフィは執拗い。
オマケに自虐なのかと疑いたくなるような嘘まで言ってくる始末。
「食事の時に頭痛がしていたようですが、 大丈夫ですか? あの時もしっかり見えていました」
俺は貴様の頭の方が大丈夫かどうか疑いたくなるがな。
何故見えるなどと嘘をつくのか。
更にそれだけでは終わらず。
「ですから教えてください」
とんでもない事を口にしたのだった。
「何故、 あの時泣いておられたのですか? 」
「......はあっ!? 」
あまりの事に寝たフリをしていたのを忘れてしまう。
だってそうだろう。
何を言っているんだ。
俺は、 俺は......。
「俺は泣いてなどおらんわ! 何をデタラメを並べ立てているんだ貴様! そもそもなんなのだ! 『見えた』などと嘘をつきおって!! 」
「嘘ではありません! ちゃんと見えるのです! 」
いつにもなく強気に口答えしてくるリフィ。
ええいなんなのだ! 今日に限って!
しかしこのままではラチがあかん。
俺は仕方なくリフィと話す事にした。
泣いているなどど変な誤解を解かねばならんからな。
「この屋敷に住み始めた頃からでしょうか。 見えない目に、 何か映るようになったのです。 それが『感情』だという事はすぐに分かりました」
だがどうにも聞く気を削がれる事を言われる。
そんなオカルトじみた話を信じられる訳があるまい。
鍛錬を重ねた歴戦の戦士でもないくせに相手の感情が見えるなどど。
そういうものはそういった積み重ねで得られる奇跡。
たかが目が見えないだけの小娘に出来る筈があるものか。
しかし何故だかどうしてだろうか。
俺はリフィの言葉に妙な説得力を感じていた。
どうしてだかは全く分からないが。
まぁいずれにせよそれを前提にしなければ話が進まんのなら、 一先ず信じるしかあるまい。
リフィは、 「ウルフォン様が匂いで感情を測れるのと同じようなもの」と言っていたのでそれで無理矢理納得する事にした。
だとしても精度はポンコツのようだがな。
俺は泣いてなどいないし、 あの時悲しんですらいなかった。
そこから考えられるに、 リフィの見たものは勘違いか気の所為なのだろう。
「それは、 ウルフォン様の無意識の部分にあるものだからだと、 わたくしは思うのです」
ここまで言っても引かないリフィ。
デタラメな事をつらつらと並べおって。
あまり俺の機嫌を損ねると今すぐ食ってしまうぞ!
......ダメだ、 それではコイツが喜ぶたけではないか。
それに何故だろう。
やはりコイツの言葉から耳が離せない。
次第に口数が減っていく俺に対し、 リフィはどんどん饒舌になっていく。
「わたくしの見えるもの、 それは『無意識の中にある自分でも気づいていない感情』だと考えております」
また訳の分からない事を言い出す。
そもそも何故そんなものが見えるようになったと言うのか。
「きっと、 わたくしが今まで『見ない事』にしていた事を、 『見る』ようにしたからでしょう」
リフィは語る。
己が今まで、 どれだけこの世界を見ていなかったかを。
自分に、 世界に絶望しどれだけ逃げていたかを。
コイツは俺との生活の中で、 それを受け入れ『見る』ようになったのだと言う。
「わたくしは、 『生きたい』『目を治したい』『幸せになりたい』そういった感情を見ないようにていました。 見れば期待し希望を持ち、 そしてまた絶望してしまうから」
だが俺はそれを許さなかった。
ただ食われ死ぬ事を良しとせず、 希望を持ってから食われるようにと強要したのだ。
「それはわたくしにとって、 辛いものでした。 見れば見る程に自分の置かれた現状に絶望するのみでした。 けどウルフォン様は、 そこからわたくしを引き上げてくれた。 人間らしい生活を、 感情与えてくださった。 だからこそ、 貴方様になら食べられていいと本気で思っているのです」
そしてそう自覚するようになってから、 『見えない筈の目』が『見える筈のない物を見れる』ようになったのだと言う。
......やはり信じられん。
コイツの言葉から分かったのは、 俺の計画が順調に進んでいるという事だけだ。
それ自体は喜ばしい事だが素直には喜べなくなってくる。
それがオカルトじみた力の覚醒に繋がるとは到底思えんし、 そんな事で完璧計画に何か影響があっても困るからな。
しかしやはり、 どこかでコイツの言葉を信じている自分がいる。
まぁいい。 もう少し話を聞いてやるとするか。
「それが本当に見えていると仮定しよう。 だがだからなんだと言うのだ。 何故その不確かなもので俺の安眠を邪魔する」
そもそも本題はそこだ。
リフィの言っている事が本当だとして、 見えているものが本物だとして、 だから何なのだ。
俺とて感情のある生き物だ。
複雑な心を持つヒトの端くれの獣人だ。
己でも気付いていない感情くらいあるだろう。
それが悲しみだったりもするだろう。
しかし誰でもそんなものぐらい持っている筈だ。
ましてや自分で気付いていない感情について問われたところで答えられる訳のなかろう。
そんな事、 『見えている』本人が分かっているだろうに。
「ええ。 ですからさっきの質問自体にあまり意味はありません」
「......は? 」
俺の考えに対し、 予想もしていなかった返答をしてくるリフィ。
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ただわたくしは、 ウルフォン様に知って欲しかったのです。 貴方様の中に、 貴方様自身が知らない感情があると。 そして苦しんでいるのだと」
あまりの事に頭が追いついてこない。
「その為に、 聞かれたくないだろうと今夜はメイド様にも入室を御遠慮してもらいました」
まさかそれだけの為に人払いまでしたと?
「ですから......なんでもいいのです。 その感情に思い当たる節があれば、 わたくしを頼って欲しいのです。 それが少しでもご恩を返せる事になるのならば、 是非とも」
それだけを言う為に、 信じられるか分からない話をしたと言うのか?
それにしてもめちゃくちゃだ。
俺は貴様を助け最終的に食う立場であって、 頼るつもりなど......。
「ウルフォン様は、 わたくしに現実を『見る』事を強要しこんなわたくしにさせたのです。 その責任は取ってもらわないと。 ね? 」
「......」
気づけばリフィは俺の手を取っていた。
そして見えない目で俺を見ている。
さっきの話が本当なら、 俺の感情など見透かされているのだろう。
生意気な、 奴め。
......しかし、 しかしだ。
「ふふ、 フハハハハッ!! 」
面白い!!
実に面白いぞこの女は!!
主人である俺に、 食う立場の俺に、 その為に都合よく幸福を与え成長させた俺に!
その責任を取れと言うか!
自分がそうしたのだから俺もそうしろと!
同じところまで落ちてこいと!
そう言うのか!!
「ハハハハハハっ!! 」
「う、 ウルフォン様? 」
高笑いをするする俺を見て狼狽るリフィ。
感情は読めてもその中身までは見通せぬか。
そうでありながら俺に責任を取らせようなどと。
実に生意気! 実に不敬だ!
だが! だからこそ面白い!!
流石は俺が食い殺したいと思った女だ!
この目に狂いはなかったという事だな!
俺はいつの間にか上機嫌になっていた。
生意気も不敬もとんだ言いがかりもどうでも良くなっていた。
ただただ、 目の前の女の『強欲』さに感心していた感動していた。
何という人間らしい思考か!
いいぞ、 いい傾向だ。
俺はもっと貴様を食いたくなったぞ!
......だが。 この気持ちを素直に伝えてやるつもりはない。
俺はあくまで主人だ、 弱味など見せられぬものか。
しかしその行動は賛賞に値する。
だから、 せめて褒美ぐらいはややねばな!
「ほら、 これをくれてやる! 」
俺は懐から出した「ある物」をリフィに放り投げた。
さっきまで『見える』だとか言っていたからコイツが盲目である事を一瞬忘れて。
ソレはリフィの身体に当たりベッドの上に落ち、 手探りで見つけた彼女の手に収まった。
「いいか。 俺が貴様を頼る事など絶対にあり得ん。 俺はお前に与える立場の主人だ。 頼るのはそっちの立場の話だろう。 それでも責任を取れと言うのならば......俺が貴様を食うまで、 その命が無駄にならないよう守ってやる。 それはその為のアイテムだ」
「これは、 いったい......」
まくし立てる俺の言葉にオロオロし、 やっとの事で言葉を捻り出すリフィ。
その手は渡したアイテムを確認するように角度を変え触り続けている。
俺は親切にもその効果を教えてやった。
『虫の知らせ』。
それはそう呼ばれているアイテムだった。
二組で一つの効果をもたらす魔道具。
リフィに渡した方は甲虫のような虫の形をしたもので、 所持者に危険が及ぶととある魔術を発動させる。
そしてそれは、 俺が持っている虫かごの形をしたペンダントに届き知らせるのだ。
正に『虫の知らせ』。
俺はそういった物をリフィに渡した。
「ふんっ! 貴様はその傲慢さと強欲のせいで自ら危険に首を突っ込みそうだからな! ......俺が仕事で居ない時何かあれば、 ソイツが危機を知らせてくれるだろう」
別にさっさと渡すつもりでいた。
しかし機会がなかった。
だが、 変な話をされ、 メイドが居ないこの現状は渡すのには最適だった。
コイツと出会って一年。
人間というのはそういった記念を大切にするらしい。
その話をメイドから聞いて......別にそれに習った訳ではないが、 いい機会だと買っておいたのだ。
だからメイドの目の前で渡せばそれがテンシュに伝わり何を揶揄われるか分かったものではないからな。
「あの、 わたくしは、 その......」
ここまで言ってもオロオロしていうリフィ。
ええい! 察しろ! 鈍感な奴め!
あんな話の後、 わざわざこうして渡してやったのだ!
それは、 つまり......。
「......貴様の話、 半分ぐらいは信じてやると言っているんだ。 その成長と覚悟に対する物だ。 分かったらさっさと受け取って寝ろ! 」
「っ!! は、 はいっ!! 」
そうまで話してやっと表情が明るくなる。
全く、 主人に世話を焼かせおって。
言葉の通り、 さっきの話の全てを信じた訳ではない。
俺があくまで認めたのはコイツの成長とその『強欲』についてだ。
......しかし、 やはり言葉の通り半分は否定出来ずにいた。
何故だか分からないが......そうかもしれんと認めている自分がいるのだ。
ここ半年ほどで、 そしてリフィが見たという俺の「泣き顔」のあの瞬間に感じた違和感を、 俺ももう気のせいだと思えなくなっていた。
俺は何を見ないようにしている?
何を、 心の中に隠しているのだ。
そんな疑問を胸に抱きつつ、 眠りにつく。
「ウルフォン様。 ありがとうございます。 食べられてしまう迄、 大切にしますから」
リフィは寝るまでずっとそう言っていた。
その表情から笑顔が消える事はなかった。
俺はそれを見ながら、
次第に微睡の中に。
意識を落として言ったのだった......。
◇◆◇
その夜も悪夢を見た。
状況は変わらない。
横にはリフィが寝ていて、 扉の外から声が聞こえる。
「やはり危険」
「もう殺すしかない」
「明日だ、 明日実行しよう」
本当に物騒な悪夢だ。
まぁ殺されてしまうなら仕方ないか。
どうせ俺にはもう、 戦う力は殆ど残っていない。
きっとただの人間にすら俺は......。
そんな事を考えているうちにまた意識が薄れ悪夢が終わる。
そして、 気がつけば朝になっていた。
◇◆◇
「おいオオカミ! それこっち持ってこい! 」
「へい! オヤカタ! 」
朝日が眩しい早朝に怒鳴り声が響く。
今日も今日とてオヤカタの現場で重労働だ。
ここ一年ですっかりこの扱いにも慣れてきた。
いつか食ってやろうという気は変わらんが、 一々腹も立たなくなってきた訳である。
......しかし果たしてこれはいい傾向なのだろうか。
リフィのように成長した訳ではなく、 寧ろ退化していないか?
俺はいつ、 誇り高き魔の者のプライドを捨てたのだろう。
だがまぁそんな事を言っていられる状況でもない。
新しく加わったメイドの分も含め三人分の生活費。
そのメイドの賃金。
リフィの目を治す時に必要かもしれない資金の貯金。
そして何より、 肩代わりして貰ったテンシュへの借金返済......。
それらをどうにかする為には働くしかないのだ。
「おい! オオカミ! 」
ほら、 そんな事を考えてるもんだから怒鳴り声が飛んできた。
全く獣人使いの荒い人間だ。
俺は「へい! 今行きやす! 」といつもの調子で謙ってオヤカタの元に駆けて行ったのだが......。
「アイツらはお前さんの知り合いか? 」
どうやら怒鳴られている訳ではなさそうだった。
その日の現場はドワーフ族の家の新設。
だから今建設している建物も、 周りの民家も皆小さい物ばかりだった。
オヤカタの指差した方にはその場に似つかわしくない巨体が見える。
統一性のない種族の獣人が数名そこにいたのだ。
どうやら本当に俺の客らしい。
魔王軍が負け、 反乱にも敗れ、 俺は人間側から追われる身となった。
今はテンシュが用意した毛皮の色を変える薬のおかげで周囲の人間にはバレてはいない。
だからそういったトラブルはここ一年なかった。
その為忘れてしまっていたようだ。
俺が魔の者側からも恨みを買っていたという事を。
魔王様を守りきれず負けたせいか。
はたまた反乱に巻き込んだせいか。
今となっては覚えていない。
それこそ恨みを持つ者の数ほど理由はあるだろうからな。
何にせよ奴らが俺を殺そうとしている事は代わりないのだから。
今まで俺は、 そいつらから逃げて生き延びてきた。
魔王様すら守れず人間にやり返す事も出来ない老いぼれだ、 「恨み」という強い感情を持つ奴らになど勝てる筈もないからだ。
これ迄はそれでよかった。
俺一人ならそれで済んだ。
奴らには、 特に獣人には変装など通用しない。
匂いでバレてしまうからな。
それでもプライドを捨てて逃げ回っていた。
しかし今回ばかりはそれはする訳にはいかんようだ。
ここには、 無関係の人間たちがいる。
別に奴らに仲間意識を持った訳じゃない。
ただ、 金の稼ぎ場所が失くなっては困るのだ。
「少し出てきやす」
俺はそれだけオヤカタに伝えると、 獣人たちの元へ向かう。
近づけば姿や匂いで分かった。
コイツらは俺の元部下だ。
特に中心にいる俺と同じ狼の獣人。
この男には部隊長を任せていた。
同じ種族という事もあり目をかけていたんだが......名前は何と言ったか。
まぁいい。 今はそんな事は関係ない。
「場所を変えるぞ」
俺はブタイチョウにそれだけ告げると、 近くの森へと足を進めた。
◇◆◇
それなりに森の奥まで来た。
奴らは後ろからしっかりとついて来ている。
やはり目的は俺のようだ。
ここまでくればドワーフの集落もオヤカタたちも巻き込む事はないだろう。
俺はそう思った場所で足を止めた。
「何故人間たちを庇うのです」
ブタイチョウが背中越しに殺気を放ってくる。
当然だが気付いていたか。
「......よいか。 もはや戦争も反乱も終わったのだ。 人間とは言え、 今更無関係の者を巻き込む必要もないだろう」
「ウルフォン軍隊長! 話をすり替えないでください! オレは何故庇うかと聞いているのです! 」
「すり替えてなどおらぬわ!! 貴様らが用があるのは俺だろう! 人間だろうが魔の物だろうが無関係の奴らを巻き込めば大きな問題になる! 貴様たちは人間に受け入れられ平穏に暮らしている魔の者すら巻き込む気か!! その為にあの人間どもを庇った事、 理解出来ぬ訳ではあるまい!! 」
「っ!! 」
俺は振り返りつつ牙を向いてそう唸った。
あんまりにも部下が馬鹿故腹が立ったのだ。
ま、 そこまで考えていた訳ではないが。
久しぶりに『軍隊長』などと昔の役職で呼ばれては、 頭の中も当時に戻ると言うものよ。
俺たちは軍人だった。
人間を多く殺し食っては来たものの、 決して無関係の人間は襲ったり食ったりはしなかった。
それを忘れては魔王様の顔に泥を塗ると言うもの。
俺だって奴隷を買って食う事もあったが、 それ以外では......。
......なんだ、 まただ。
何かが頭の隅で引っかかる。
これは何だ。
何か思い出しそうな、 忘れているような感覚。
これは一体......。
「まぁいいです。 確かに今回用があるのは軍隊長だけですから」
俺が考えてるうちに、 ブタイチョウの中では何かが納得いったようだ。
そう言えば、 こういう素直な部分もコイツの良さだったな。
だが素直過ぎるのも問題だ。
その殺気が牙や爪から溢れ出ているではないか。
大き過ぎる殺気は時に身の破滅を生むぞ。
「グルルル......」
ええい! 他の者も当てられおって!
......まぁいい。 俺に取っては分かりやすくなる話だ。
コイツらはもしや違うかと思ったが......他の奴らと変わらんか。
ブタイチョウの言う用とは......。
「俺を殺す事、 か」
その言葉を聞いて構える獣人ども。
本当に分かりやすいな、 貴様らは。
ならいい。
それならば俺のやる事は一つだ。
俺は、
殺気を放ってる奴らの前に出て、
その場で座り込んだ。
そして行ってやる。
「やれ。 好きにしろ」
「っ!? 」
それを聞いて動揺するブタイチョウたち。
おうおう、 本当に分かりやすい。
だが軍人ならばそれぐらいで狼狽えるな馬鹿者が。
コイツらは俺を殺しに来た。
ならばそれを解決するのは簡単な話だ。
実行させてしまえばいい。
なに、 俺も死ぬつもりはない。
コイツらは根っからの軍人だ、 戦闘狂だ。
無抵抗の相手をいたぶるなどこれ程つまらん事はないだろうさ。
そのうち飽きて、 俺が死ぬ前に止める事だろう。
これはそこまで考えた上での作戦だ。
悪く思うなよ。
俺だって命は惜しい。
特に、 ご馳走になる事がほぼ確定しているリフィを食わずして死ぬ訳にはいかんのだ。
その代わり抵抗はせん。
好きなだけ攻撃しろ。
それが貴様らをそうさせてしまった、 上官のせめてもの責任の取り方だ。
暫くすると動揺していたブタイチョウたちの殺気が戻ってくる。
いよいよと言ったところか。
俺も覚悟を決める。
死にはしないだろうが無事では済まないだろうからな。
この後テンシュに頭を下げて回復魔術をかけてもらうしかないだろう。
また借金が......いやその前にオヤカタに怒鳴られ......。
......ええい! 何をウダウダ考えておるのか!
ここまで来たら引き下がる訳にもいかんだろうに!!
......それにしても、 俺も甘くなったものだな。
以前なら、 魔王軍時代ならこんな奴ら爪で引き裂いて粛清してやったというのに。
「......本当に、 以前のように戻られたのですね」
そんな事を考えているとブタイチョウが変な事を言い出した。
以前のように? 何を言っている。
あの頃の話なら、 やはり貴様など何でも殴って教育を......。
......そう、 だった筈だ。
確かにそう記憶している。
なのに何だ、 この違和感は。
一体どういう......。
「しかし今更遅いんです」
また思考を遮るようにブタイチョウが呟く。
ええい邪魔をするな。
今何か思い出せそう......。
「何か起こってしまう前に、 『あの娘』と共に、 死んでください!! 」
だから邪魔をするなと......『あの娘』?
それは誰のことだ。
何故今そんな話を......。
そう問いただそうとした瞬間、
俺が首から下げているペンダント、
『虫の知らせ』が、
振動し大きな音を放ち出したのだった......。
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