13.ふたりの気持ちは
バーの扉から入ってきたのは、スタンリーだった。こういう場所に騎士服で来ると営業妨害になるためか、私服姿だ。
「ウィル……」
声を上げた直後、スタンリーは視線をミシェルに移動させた。ぱちっと目が合ってしまったミシェルは、慌てて目を逸らせる。
「……なんでこんなところに呼び出されたのかと思ったら、そういうことか」
スタンリーの息を吐く声が聞こえてきた。ウィルフレッドの陰からこっそり覗いてみると、スタンリーは困ったように頬を掻いている。
「そういうことかって、どういうことかわかってる? スタンリー」
「ああ。お前たち二人が付き合うという報告だろ?」
「……は?」
ウィルフレッドが変な声を出し、ミシェルはぱちくりと目を丸めた。
「おめでとう。ウィルは嫁にするならミシェルのような子がいいといつも言っていたもんな」
「え、なに言ってんの?」
「ミシェルもこいつの良さをわかってくれているとは思っていたが、ウィルのことが好きだったのか。二人とも良かったな」
スタンリーが一体なにを言っているのか、よくわからない。
「いや待て待て、スタンリー!」
ぽかんとしていると、慌てた声でウィルフレッドがスタンリーの言葉を止めた。
「なんだ、ウィル。さっそく惚気るつもりか?」
「違う、違うよ! 惚気られるんなら惚気たいけどさ?! まさかスタンリー、ミシェルちゃんが告白したの、僕だと思ってる?!」
「だから一緒にいるんだろう?」
「……は、ブハッ! あははははは!!」
急に笑い始めたウィルフレッドを見て、スタンリーは眉を寄せた。
ミシェルもまさか、スタンリーへの気持ちが届いていなかったとは思いもしていなかった。ミシェルの一世一代の告白の相手は、ウィルフレッドだと思われていたのだ。
そのウィルフレッドはお腹を抱えながら、ひーひーと笑い声を上げている。
「はは、聞いたかい、ミシェルちゃん! 僕はどうやら、用無しのようだよ。邪魔者は消えたほうが良さそうだ」
「ウィルフレッドさん」
「がんばって、ミシェルちゃん」
最後の一言は耳元でこっそりと告げられ、ウィルフレッドはくるりとミシェルに背を向けた。
「マスター、勘定はスタンリーにつけといてー」
「おい、ウィル」
「これくらいいいだろ? ミシェルちゃんとゆっくり話しなよ」
そういうとウィルフレッドは支払いをせず、ポンとスタンリーの肩を叩いてこの場から離れていった。
「なんなんだ、あいつは」
スタンリーはわからないとでもいうように眉間に皺を寄せて、今までウィルフレッドの座っていた席についた。
「よかったのか、ミシェル。あいつを帰らせて」
「はい。私、スタンリーさんに伝えたいことがあって……」
「なんだ?」
スタンリーは話の内容が全く予測できていないようで、首を捻らせている。
「スタンリーさんは、私と出会った時のこと、覚えていますか?」
「ああ、もちろん。二年前に王立図書館に行ったとき、本を探している俺に声を掛けてくれたな。明るくて優しい、良い子だと思った」
「ほ、本当ですか?!」
「ああ。その夢と希望がたくさん詰まっている、ミシェルの輝いた瞳を見て、あろうことか俺は──」
「俺は?」
言葉をいきなり途切れさせたのを不思議に思い、首を傾げてみせるも、スタンリーはその続きを言ってくれなかった。
「すまん、ショットで一杯なにかくれ」
スタンリーの言葉に、マスターは小さなグラスに琥珀色の液体を注いでいる。それを目の前に出されたスタンリーは、グイッと一瞬で全てを飲み干し、用意されていたライムと塩を舐めた。
「私がスタンリーさんと出会ったのは、図書館が最初じゃないんです」
「え?」
「十二年前……私が八歳の時に、会ってるんですよ」
「八歳の……?」
スタンリーは必死に記憶掘り起こそうとしていたようだが、諦めたように首を振った。
「悪い、思い出せない。どんな風に会っていたのか、教えてくれないか」
そう言われて、ミシェルは当時のことを伝えた。
悪いやつらに連れ去られそうになった時に現れた、スタンリーのことを。
「……あのときの子が、ミシェルだったのか」
当時のことを思い出してくれたスタンリーが、驚いたように目を見張っている。
「あの時から、スタンリーさんは私のヒーローだったんです」
「ヒー……ロー?」
スタンリーが照れ臭そうに、ぽりと頬を掻く。
ミシェルがこっくり頷くと、スタンリーは嬉しそうに目を細めた。
「それから二年前に図書館で再会して仲良くなれて……勝手に夢を見てしまったんです」
「夢?」
「はい。身分差があるのはわかっていたんですけど……スタンリーさんとお付き合いしたいって」
「ん? ……ウィルの間違いじゃないのか?」
「いいえ、スタンリーさんです。告白したじゃないですか」
責めるように目を向けるも、スタンリーは理解できないというように眉を顰めている。
「以前、ミシェルは射止めたい男がいると言っていたように思ったが」
「はい」
「ウィルだろう?」
「いえ、ですから、スタンリーさんです」
なおも勘違いを続けるスタンリーに、まっすぐ伝える。スタンリーは混乱するように、椅子から腰を浮かした。
「ちょ、待ってくれ。俺はミシェルに告白した時、断られているんだが」
「え? 告白?」
まったく身に覚えのないことにミシェルは首を捻らせた。
もしも告白されていたなら、喜んで承諾しているはずだ。断るなんてことは絶対にありえない。
「いつだったか、ミシェルに好きな人はいるのかと聞かれたことがあっただろう」
「あ、はい。いるって言ってましたよね……それで私は、もしかしてその相手は私だったり──なんて言っちゃって」
「そうだ。それで好きだと言ったら、すみませんと泣いて謝られた」
「……え」
あれは、ミシェルが無理に好きだと言わせてしまっていたのだと思っていた。だから申し訳なくて謝ったのだ。しかしその『好き』が告白だったというのなら。
「スタンリーさんの好きな人って……本当に私だったんですか……?」
「ああ。あの時は平気なふりをしていたが、本当はショックだった」
体の奥から熱いものが溢れてくる。
両想いであることに喜びを感じると同時に、そんな風に傷つけてしまっていたことに対して、胸が掻きむしられるように申し訳なくなった。
「ごめんなさい、私、そういう意味の好きじゃないんだと思ってて……っ」
勘違いしていたのは、自分だった。あんなずるい言い方をして逃げてしまった、自分のせいだ。
だから今度こそ、ちゃんと伝えなければと、ミシェルも椅子から立ち上がる。
「私、スタンリーさんが好きです。お祭りの日に助けてくれた時から、ずっと……再会してからは、もっと。イヤリングをくれてからは、もうこの気持ちを抑えきれないくらい、大好きなんです!」
「ミシェル」
「私はただの一般人で、スタンリーさんとは身分差があるのはわかってます。それでも私は……」
「待ってくれ、そこから先は俺に言わせてくれ」
立ち上がったスタンリーに言葉を止められ、ミシェルはオリーブグリーンの瞳をみつめた。
店内の明るさは宵闇のようで、だからこそスタンリーの真剣な顔にミシェルは集中する。
「俺は、あの日図書館でミシェルに声をかけられた瞬間から好きだった。いわゆる、一目惚れというやつだ」
「……え、私に一目惚れって……! あ、ありえません!」
「いや、本当なんだ。でもそれ以前に会っていたというなら、運命だったのかもな」
ふっと笑顔を向けられると、ミシェルの顔は熱を帯びてくる。運命だなんて言葉を、スタンリーから聞けるとは思ってもいなかった。
「かわいくていつも一生懸命なミシェルに会うたび、どんどん惹かれていった」
そんな風に見てくれていたことを知って、ミシェルの顔はますます熱くなる。
「だが貴族である俺が一般庶民であるミシェルに求婚すれば、断れない状況となってしまう。年齢差もあるし、想いを打ち明けて困らせるなど、するべきではないと思っていた。……まぁ、伝えてしまっていたわけだが」
「私が勘違いしちゃって、伝わってませんでしたけど……」
「俺も同じだな。今日の告白はウィルにしているものだと、勘違いしていた」
スタンリーはハハと苦笑いして、ぽりと頬を掻いている。その姿にほっとしたミシェルは、ふふっと声を出して微笑んで見せた。
「そうやって、いつも俺に微笑んでくれるミシェルが、好きだ」
優しく細められるオリーブグリーンの瞳に、吸い込まれそうになる。
スタンリーの告白に、ミシェルの鼓動はどくどくと早くなった。
「今日は告白をありがとう。改めて俺の方からお願いしたい。俺と、結婚を前提としたお付き合いをしてもらえないだろうか」
勘違いのしようもない、まっすぐな言葉。
あまりの嬉しさに、涙が込み上げてしまいそうになる。
「ミシェル……?」
「……はい……はい、こちらこそです……! お付き合い、よろしくお願いします……!」
その言葉に「よかった」とほっと息を吐くスタンリー。
ミシェルが照れ笑いを見せると、スタンリーはそっとミシェルを抱きしめてくれた。
「スタンリー、ミシェルちゃん、おっめでとーーう!!」
バーのテーブル席から、よく聞く声が飛んできた。
それと同時に、周りにいた客たちから大きな拍手と歓声が巻き起こる。
「ウィル! お前、帰ったんじゃなかったのか!」
「こんな面白いこと、見ずに帰れるわけないじゃないのー。みんなぁ、今日はスタンリーの奢りだよ! いっぱい飲んじゃってー!」
「あ、こらっ」
店内の客は大盛り上がりで喜び、さらにおめでとうの声が上がっている。
「まったく、あいつは……」
「でも、みんなに祝福してもらえて嬉しいです」
ふにゃっと笑うと、スタンリーはほんの少し顔を染めて。
「ミシェルが喜んでくれるなら、いいか」
そう言ったスタンリーも、嬉しそうに笑っていた。
その酒場では、結婚式でもあったのかというほどの大盛り上がりを見せた。
ミシェルはその中で幸せを噛み締めながら、スタンリーとずっと笑い合っていた。
十年後、二十年後、その先もずっとこんなふうに笑い合えるのだと、確信して。




