第2話【エルフの少女】
俺は勢いに任せてこの場に駆けつけたのを正直なところ後悔していた。
目の前にいる熊のような生き物、それは四足の状態で既に俺の身長に達している。
口元や前足は被害者の血と思われる赤に染まり、辺りには無惨に引き裂きれた死体がいくつも転がっていた。
明らかに相手は捕食者であり、こちらは食われる側だ。
体は恐怖のためか、小刻みに震えていた。
耳障りなカチカチという音が、自分の歯の当たる音だと気付く。
「は、はは……転生先で死んだら、また転生させてもらえんのかな……」
何か発しないと心が折れそうだったので、俺は思いついたまま呟く。
そしてその呟きを心で全否定した。
そんな上手い話があるはずもない。
俺はこんな所で死にたくない。
しかし心を奮い立たせて、俺は決断する。
既に視界に死体も、そして少女の姿も映してしまった。
ここで俺が逃げれば、すぐにあの少女もあの死体の仲間入りするのは間違いない。
それを許してしまえば、一生自分が許せなくなりそうだと、安っぽい正義感で心を満たす。
少しでも気を緩めれば、すぐにでもこちらを襲ってきそうな熊に身体を向けながら、俺は横目で少女を見る。
どうやら、少女も俺のことに気が付いたようだ。
「誰か知りませんが! 逃げてください!! タイラントベアにあなたみたいな歳で敵うはずありません!!」
熊の名前はタイラントベアというらしい。
先ほどの叫び声もそうだったが、どうやら言葉は普通に理解できるようだ。
こんな状況なのに、俺はそんなことで少し気持ちを軽くした。
頭のどこかで、異世界で言葉が通じるのかどうかを心配していたのだろう。
「動けるか!? 今からなんとか足止めしてみる!! その間に君は逃げるんだ!!」
「ダメです!! 先ほど倒れてきた木に足が挟まって!!」
そう言われて俺は改めて少女の状況を確認する。
確かに少女の足元には、太い幹の木が根元から折り倒され転がっている。
おそらく目の前のタイラントベアがやったんだろう。
そう考えるだけでも、こいつの力の恐ろしさが垣間見える。
一撃でも喰らえば即死だろう。
何故こんな所に首を突っ込んでしまったのか。
俺は吐き気を覚えながらも、必死で自分に喝を入れる。
何か足止めになるものを探さなければ。
俺が今できるのは、先ほど色々と調べた女神にもらったスキル【コピペ】だけだ。
タイラントベアの巨体を拘束しうる物を探し、俺は辺りを素早く見渡す。
そして、使えそうな物を見つけた。
その瞬間、俺が現れたせいか、様子を窺って動かなかったタイラントベアが、俺に向かって突進してきた。
恐るべき瞬発力で、かなりの距離があったというのにみるみる内に迫って来る。
「くそっ! 【カット】! 【ペースト】ぉぉ!!」
少女が動けない原因が倒れた木ならば、それを【カット】でどければいい。
そしてせっかくならそれを、タイラントベアの足止めに使わせてもらう。
「がぅぁぁぁあ!?」
突如頭上に大量に現れた大木の束に、タイラントベアは押しつぶされる。
一本だけでは不安だったから、複数出したのが功を奏したようだ。
俺は一瞬のやり取りが思い通りに行って、安堵の息を吐く。
もし少しでもタイミングが遅れていたのなら、今頃俺はタイラントベアの体当たりの餌食になっていただろう。
チラリと少女の方を向くと、突然自分にのしかかっていた大木が消え失せたことに戸惑っているようだ。
俺は目線をタイラントベアに戻し、どうするか考える。
タイラントベアよりも更に大きな大木が、積み重なっている。
それにも関わらず、タイラントベアはその身体を動かし脱出しようとしていた。
「おいおい……これでも普通に動けるのかよ……」
自分の顔が引きつっているのが分かる。
目の前のタイラントベアの身体の上には、抱えるのに俺が何人も必要な大木が何本ものしかかっているのだ。
下敷きにされた圧力で圧死してくれるかと思ったが、思った以上に相手は頑丈らしい。
それならば、と俺はタイラントベアのはるか上空に意識を向け、もう一度叫ぶ。
「喰らえ! 【ペースト】!」
俺が意志を込めた瞬間、空を見上げる俺の視界に、点が出現する。
そしてそれは徐々に大きくなり、タイラントベア目掛けて落ちていく。
「これなら……って、こんな近くに居たら俺もやばいか!? おい! 逃げろ!!」
「え!? すいません! 木はなくなったけど、足が折れたみたいで……」
「なんだって!? 今からそっちに行く!!」
俺は自分の軽率さを恥じた。
先に安全な場所に移動してから上空に大木を出現させれば良かったのだ。
俺は焦りながら少女へと走り出す。
その間も大木の落下は続き、既に風を切る音が耳に聞こえてきていた。
「捕まって! 飛ぶ!!」
俺は少女の頭を抱えたまま、全力で前に飛んだ。
その瞬間、轟音が鳴り、大木がタイラントベアのいた地点に衝突した事を理解する。
発生した爆風に、俺らは更に遠くに飛ばされ、地面に投げ出された。
激しい衝撃を受けながらも、俺は必死で腕の中にいる少女を守る。
この間の出来事が、どれくらいの時間で起こったのかは分からないが、俺はしばらく呆けてしまっていた。
すると、俺の胸の辺りで呻き声が聞こえ、我に返る。
「う……んん!」
「あ! ごめんごめん! 苦しかった? あ、痛!?」
俺は慌てて力いっぱい固めていた腕を外へと広げる。
その時、肩に激痛が走り、つい声を上げてしまった。
どうやら、地面にぶつかった際、肩を痛めてしまったようだ。
「ぷ、はぁ! すいません!! 息が出来なくて!! 大丈夫ですか!? 助かりました!! ありがとうございます!!」
俺は自分の胸に抱かれていた少女の顔を間近で見て、顔が紅潮するのを強く感じた。
長くサラリとした少しウェーブのかかった金髪に、大きく同じく長い金色のまつ毛に覆われた宝石のような碧眼。
まるで、絵画や人形のようだと俺は思った。
しかし、その顔の横に付いている二つの耳の形を見て、俺はある種族の名前を思わず口にした。
「エルフ……?」
俺の声に少女は少し悲しそうな顔を見せる。
何故エルフと言われて悲しむのか、俺には分からなかった。
ひとまずこのままでいる訳にもいかず、俺たちはゆっくりと身体を離して起き上がった。
身体を起こしタイラントベアがいた場所に目をやり、俺は自分でしでかしたことに驚く。
そこには大きなクレーターが出来ていた。