3話 給仕の手伝い
「いらっしゃいませ」
「あんれ、見ない顔だね。新人さんかい、えらい別嬪さんじゃないか」
「そうでしょ、都会から越してきたばっかりなのよ」
「フラヴィ・ラプラスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
昼時になると、宿に住人がやってきた。
マティの本業は宿の経営だ。とは言え客の多くない田舎町だ、それだけで生計を立てるのは難しい。そのため食堂も兼ねており、住人たちは食事のためにマティの宿に通うのだ。
「マティ、今日の日替わりは?」
「イワシのフリエッテとイサキの蒸し焼き、好きな方から選べるよ」
「じゃあ俺はイワシで」
「わしはイサキがいいかな」
「はいよ。フラヴィ、先にスープとパンから運んでちょうだい」
「承知しました」
マティがフラヴィに頼んだ手伝いは給仕役だ。
田舎の住人は皆親切と言われているが、それは伝手があったり、知り合いがいる場合だ。警戒心を取り払うには誰かに紹介してもらうのが手っ取り早い。
「こんちはマティさん!」
「いらっしゃい、今日はイサキかイワシだよ」
「イサキあんの? よっしゃ」
「はいよ、イサキね」
元気よくやってきた若者が、汗を拭いながら席についた。フラヴィが若者のテーブルに水を置きに行くと、彼はそこでようやくフラヴィに気付いたようだった。
「えっと、どうも」
「リオ、その子は越してきたばかりの子なの、仲良くしてやって」
「フラヴィ・ラプラスと申します」
「あ、どうも、リオネル・サブレです。よろしくお願いします……」
「よろしくお願いします。なんとお呼びすればよろしいでしょうか」
「えっ、あの、なんでも大丈夫なんですけど、みんなはリオって呼んでます。なのでそう呼んで貰えると嬉しい……です」
元気の良い青年の声が徐々に萎んでいく。フラヴィは何か失礼をしただろうかと考えたが、まだ挨拶しかしていない。
フラヴィは田舎の住人は警戒心が強いものだと聞いていたので、気を取り直してパンとスープを運んだ。
「フラヴィ、先に来た2人の所にこれお願いね」
「はい」
フラヴィはマティの指示通りに動いた。給仕の経験はないが、自分が客だった時に受けた対応を思い出しながらなんとか接客をこなした。
料理を運んでいる最中に時折視線を感じて振り返るとリオと目が合う。しかし合った瞬間逸らされてしまうので、フラヴィはどうすべきか分からなかった。
「あの、どうかしましたか。御用でしたらどうぞお申し付けください」
「あっ、いえ! なんでもないです、すみません」
「あっはははは、リオもそういう年頃だもんなあ! フラヴィさんだっけ、あんたが美人さんだからだよ」
「ちょっ、違えよおっさん!」
「リオったら酷いねえ、フラヴィが美人じゃないって言うの?」
「そうじゃないから! フラヴィさんはすっげえ美人……あ」
「へぇー」
マティはニヤニヤと笑った。リオは顔を赤くしながら慌てて否定し、急いで食事をかき込んだ。
「ごちそうさま!」
「はい、どうもねー」
マティのみならず他の客も、ニヤニヤと笑いながら早足で立ち去るリオの背中を見送った。
昼の営業を終えて入り口の立て札をひっくり返し、マティは片付けに取り掛かった。フラヴィも手伝いを申し出たが、マティは微笑んで扉を指した。
「まずはご飯食べなきゃね。ノエラ呼んできてくれる?」
昼の営業が終わってからなので、ルブラン家の昼食はいつもやや遅めの時間だ。
フラヴィが小屋に向かおうと扉を開けると、ちょうどノエラが向かってくるのが見えた。
「ご飯まだー?」
「ちょうど今からだそうだ。おいでノエラ」
余った食材を盛り合わせて作られたまかないは、イワシとイサキが両方乗っている。余り物だが売り物より贅沢だ。
「さ、召し上がれ」
「いただきまーす」
「あの、マティ。私は食費はお支払いしていませんし、昼食までいただいてしまうのは」
「言っただろう、1人増えても変わらないよ。ここは野菜と魚はたくさんあるのさ。余らすくらいなら食べて貰った方がいいしね」
「しかし……」
「手伝いのお礼ってことで」
マティが有無を言わさず勧めてくるので、フラヴィは大人しく席についた。
魚の身は柔らかく瑞々しい。流通の都合上、フラヴィは燻製や塩漬けの魚しか食べたことがなかった。軽く塩を振っただけのそれらは加工されたものより食べやすく、フラヴィは黙々と食べ進めた。
「美味しい?」
「え?」
「いやね、黙って食べてるもんだから」
「ああ、失礼しました。とても美味しいです。魚は加工されたものしか食べたことがなかったので」
「ここは海が近いからね。新鮮なのが手に入るから、加工する必要がないのさ」
マティの話に相槌を打ちながら、フラヴィは結構な量のまかないを完食した。
騎士だった時は鍛錬を欠かさなかったフラヴィの手は、少しばかり節くれだっている。やや筋肉質な腕を見て、身体をよく使う仕事をしていたのだろうと、マティは内心少し驚きつつも府に落ちた。
「今日はもうのんびりしててよ、一応来たばっかりだし」
「いえ、手伝わせてください。どうせ何をするかも決まっていませんし」
「そう? じゃあこっちの魚の頭落としといてくれる?」
「はい」
厨房に立ち、フラヴィは包丁を手に取ってそこで、炊事の経験が少ないことに気が付いた。しかし頭を落とすだけだ、それくらいなら大丈夫だろうと、フラヴィは魚のエラの辺りに包丁を当てがい力を込めた。
ズルッ。
だあん。
「……フラヴィ」
「はい」
「言わなかったあたしが悪いんだけど、魚はまず鱗を取るのよ。魚を切ったことはある?」
「ありません」
「料理の経験は?」
「卵を茹でるくらいなら」
魚を押さえていた手がぬるりと滑り、包丁はまな板に食い込んでいた。
フラヴィの手の真横、もう少し運が悪ければ手の肉を削ぎ落としていたであろう位置に立つ包丁を見て、マティは顔を覆った。
「失礼しました、今度はちゃんと――」
「やめて! やめてフラヴィ! あたしがやるから!」
「フラヴィ包丁下手なの?」
「肉は切れるよ」
「それ自分の手のことじゃないでしょうね!」
厨房を追い出されたフラヴィは、ひとまず小屋の2階へと戻っていった。その後ろ姿が哀愁を帯びているが、だからと言って包丁を握らせるわけにはいかない。マティは未だうるさく脈打つ胸を押さえて深呼吸した。
暇になったフラヴィは、この時間をどう過ごそうかと迷って周りを見渡した。窓から覗く海は美しいが、ずっとこれを見つめているわけにもいかない。
フラヴィが休日にしていたことは走り込みや勉強ばかりだ。しかしそれも騎士だったからであって、今は必要ない。
フラヴィはとりあえず散策に出ることにした。目的の岬を数分しか見ていなかったので、もう一度見ておこうと思ったのだ。
「あれ、フラヴィさん?」
「ああ、さっきぶりですね」
フラヴィが砂利道を歩いていると、地面に膝をついて作業をしているリオの姿を見つけた。周りには鉢が並んでいる。覗き込むと、そこにはまだ小さい木があった。
「それは?」
「ああこれ、苗木を作ってるんだ。もう少し大きくなったら出荷できるんだ。で、今は土寄せっていって、土を根本の方に寄せるのをやってるの」
サブレ家では果物や花、様々な苗木を育てている。しかしそのほとんどは、実を付ける前に別の場所へと旅立っていく。
フラヴィは近くにあった苗木を興味深そうに眺めた。
「これはリオが育てた木なのですね」
「いや、それは父さん。育つのに結構かかる木もあるからさ。多分俺が作る苗木も、いつか生まれる俺の子どもが売るんだと思う」
「これが家業なんですね」
「いや、これだけじゃ心許ないし、そんな大層なもんじゃないよ。けどそうだなあ、なんとなく、これはこうやって続いてくんだろうなって気はする」
「素敵ですね」
フラヴィに褒められて、リオは照れ臭そうに頬を掻いた。
「フラヴィさんはなんでこんな田舎に来たの? 山と畑と、あと海くらいしかないじゃん」
「海があるからです」
「へえ、海好きなんだ。海って言っても磯とか砂浜とかいろいろあるからさ、もしよければだけど、あんにゃいしようか」
やや恥ずかしそうな様子のリオは、フラヴィにちらちらと目線を送りながら舌を噛んだ。そして一層顔を赤くして、誤魔化すように顔を手で扇いだ。