2話 苺と殺生
マティはノエラの持つカゴの中身を見て、不思議そうに首を傾げた。
果実を砂糖で煮てビスケットやスコーンにつけて食べる、それがルブラン家のおやつだ。その果実とはノエラが朝採ってくる野苺なのだが、いつもより随分と量が少ない。
「狐に食べられちゃったの……」
「ああ、そりゃあ運が悪い」
「今日のおやつなくなっちゃう?」
「昨日作った分がまだあるから、今日はそれにしようか」
ノエラをマティの元まで送り届けたので、フラヴィは2階に戻ろうと階段に足をかけた。しかしその背中を何かに引かれて振り返った。ノエラがマティの服の裾を掴んでいた。
「朝ご飯食べないの?」
「え?」
「そうだね、もう皿に盛るだけだから席についておきな」
「ええと……ご一緒してよろしいのですか?」
「別に1人分増えたくらいで変わらないしね」
「それではありがたく頂戴します」
朝食は豆と野菜のスープ、ゆで卵とパンだ。質素ではあるが卵と野菜は新鮮だ。野菜は畑で取れたもので、卵は先程鶏小屋から採ってきたものだ。フラヴィはひとくちを味わって完食した。
「ご馳走さまです、美味しかったです」
「なら良かった、お粗末さま」
「そうだ、そう言えばお渡しするものがありました。少し待っていてください」
フラヴィは急いで2階に向かい、鞄の中から封筒を取り出した。一緒に紙の袋を持って1階に戻ると、ノエラが綺麗に残されたスープのニンジンを、渋々といった様子で口に運んでいるところだった。マティはノエラが食べ残さないよう見張っている。
「マティ、お渡ししておきます。こちらの封筒が1年分の家賃です」
「ああ、ありがとうね」
「それとこちらは王都で流行りのお菓子です。お口に合えばいいのですが」
「お菓子!」
ノエラがしかめていた顔をぱっと綻ばせた。そして紙袋に伸ばそうとした手をマティに叩かれて、またしかめっ面でスプーンを持った。
「お菓子はまた後で! ニンジンを食べれない子にはあげません!」
「はぁい」
「ありがとうね、フラヴィ。これ日持ちはする?」
「焼き菓子なので多少は持つと思います」
「それじゃあ少しずつおやつに出すことにするよ」
時間をかけてなんとかニンジンを食べ切ったノエラは、口直しにカゴの中の野苺をひとつつまんだ。そしていつもより中身の少ないカゴを見て、不満そうに口を尖らせた。
「もっと採れるはずだったのに」
「ノエラは食べるのが好きなんですね」
「田舎なんて他に娯楽がないからね」
マティが片付けをしながら淹れてくれた紅茶を受け取り、フラヴィは菓子をねだるノエラを一瞥して微笑んだ。
「フラヴィはずっとクラレイフに住むつもりなの?」
「とりあえず1年暮らしてみたいと思ってます。その後のことはその時に決めるつもりです。今はとりあえず静かなところで平穏に過ごしてみたくって」
「へえ、ここが平穏だと思って来たわけね、フラヴィは」
「え? 違うんですか?」
「あたしだけだったらともかく、ノエラがいるとそうはいかないよ?」
マティがにやにやと笑った。その意味が分からず呆けたフラヴィは、突然左腕にかかった質量に体勢を崩した。
ノエラが片手にカゴを持ち、フラヴィの腕を容赦なく引っ張っていた。
「フラヴィも摘みに行こ!」
「苺をかな? ああ、構わないよ」
「あっはっはっは、行ってらっしゃい!」
大笑いするマティに見送られて約10分後、フラヴィは早くも先程の会話の意味を察した。
ノエラは好奇心旺盛な年齢のためか、あっちこっちと目移りしては駆け出してしまうのだ。先程まで草花を編んでいたと思えば、今度はしゃがみ込んでなにかをいじっている。
「ノエラ、今度は何をしているんだ」
「んーとね、虫さんいたの」
ノエラの手元を見て、フラヴィは思わず喉の奥で悲鳴をあげそうになった。
つやつやとした緑色の外殻の昆虫が、ノエラに足をむしり取られていた。フラヴィは過去に誰かが言っていた、子どもは残酷だという言葉を思い出した。
「ノエラ、いたずらに殺してはいけないよ」
「けどお母さんは鶏を殺してるよ? あたしもお手伝いしてるもん、なんで虫さんはダメなの?」
「お手伝い、を、してるのか? ノエラが?」
「うん、羽根をね、こうやってばさってやるのはあたしだもん」
千切って捨てるような動作から、羽根をむしり取っているのだと読み取ることができる。フラヴィは既に処理された鶏肉しか見たことがなかった。目の前の子どもが平然とそれを行っているのだと知って、思わず顔が引き攣った。
だがここで引くわけにはいかない、年上として教えられることは教えてやらねばならない。
「鶏も本当は殺されたくないさ。鶏を殺すのは、私たちが生きるために必要だからだ。食べていくために仕方のないことなんだ」
「うぅん?」
「そして鶏も虫も、なんの意味もなく殺されるのが最も悲しいことだと思う。だから命をいただくのでなければ、簡単に殺すべきではないよ」
「うーん、そっかぁ」
分かったような分かっていないような、どうにもはっきりしない返事だ。フラヴィは子どもにはまだ難しかっただろうかと頭を悩ませた。弟と妹は1人ずついるが、弟は臆病で虫に触れようともしなかったし、妹は長らくまともな会話をしていない。好奇心旺盛な子どもへの対応は不慣れだ。
気を取り直して再び野苺の採取に向かい、フラヴィはノエラの後ろを着いていった。こんな小さな子どもがひとりで出歩いていいものかと、フラヴィはそれがひたすら気掛かりだ。しかし森の動物たちは基本的に大人しいらしく、実際狐も野苺を奪いはしたものの、ノエラに危害を加えることはなかった。
「あった! フラヴィ、黄苺あったよ!」
「本当だ。黄色い苺か、珍しいな」
「はい、フラヴィにあげる!」
ノエラが背伸びして摘み取ったそれを口元に突き出されて、フラヴィはおずおずと口にした。口の中で弾けたそれは上品かつ爽やかな甘さで、狐が欲しがるのが分かったような気がした。
「フラヴィは高いところのとって」
「ああ、分かった」
黄苺はフラヴィの腰の辺りから、背丈よりも高い位置までなっている。ノエラの身長だと低い位置のものを採るのが限界だ。
フラヴィは躊躇いなく黄苺に手を伸ばした。しかしその枝に触れた瞬間、小さく鋭い痛みが走って手を引っ込めた。
「黄苺はトゲトゲいっぱいなんだよ」
「そうなのか、気を付けるよ」
「フラヴィ大人なのに知らないんだね! あたし教えてあげる!」
ニヤリとした笑顔は、マティのものと似ていた。
カゴいっぱいに黄苺を摘み取って、フラヴィはまた、満足そうに鼻歌を歌いながら歩くノエラの後ろを着いていった。
「おかえり、早かったねえ」
「はい、たくさん採れましたよ」
「ただいまー! お母さん、これでおやついっぱい作れる?」
「いっぱい作ってもおやつはふたつまでね」
「えー」
マティは不満そうに手をばたつかせてカゴを取り返そうとするノエラの額を弾いた。
めげずにおやつの要求をしたノエラだったが、少しして飽きたのかまた別の所へと駆けていってしまった。
「ノエラは可愛らしいですね。マティとよく似ている」
「ええ? そうでもないよ、あたしはあんなにそそっかしくないさ」
マティは口では否定しつつも嬉しそうに笑った。
「フラヴィは美人さんだけど、お父さんとお母さん、どっち似だい?」
「どちらにも似ていないんです。母方の祖母に似ているらしくて」
「へえ、そうなの。あるわよね、そういうの。あたしは癖っ毛だけど、母親は真っ直ぐなのよ。多分、祖父か祖母から貰ってきたのよね」
マティは指に絡めていた癖っ毛をひとつにまとめて腕まくりをした。何か始めるのだろうかとフラヴィが眺めていると、マティはニヤリと笑った。それを見てフラヴィは、やはりマティとノエラは似ている、と考えていた。
「フラヴィ、暇でしょ? ちょっと手伝ってちょうだいよ」