第8話 国王の依頼 その3
既に夜の闇が村を包み、満月の光が森の影を浮かび上がらせていた。
プレイズは幼い少年に教えてもらった森の中を、月明かりを頼りに歩いた。しばらく歩くと、目の前に今にも壊れそうな古い家が現れた。窓から灯が漏れ、煙突からは薄い煙が登っている。
(ここか。あの子が言ってたのは……)
プレイズは高まる緊張を和らげる為に大きく深呼吸をした。そして意を決するかのように背筋を伸ばして家のドアを叩いた。
返事はなかった――。
もしかしたら聞こえなかったのではと思い、再度ドアを強く叩いた。しかし、やはり返事はなかった。
(出かけているのかな?)
試しにドアノブを回してみると、鍵がかかっているようだった。
(しかたがない。待つか)
プレイズは家の前にあった木の株に腰を下ろし、何気に夜空を見上げた。風が強くなってきたのか、雲の間から月が見え隠れするようになっていた。
(おや? あれは……)
森の中で何かが光り輝くのが見えた。プレイズは立ちあがり、引き寄せられるようにその光の方へ進むと小さな空き地が現れた。すると、その真ん中で、一人の少女が何やら光るものを手に持って顔の前に掲げているのが見えた。
(あの娘、こんなところで何やってるんだろう)
もっと近づいて少女をよく見ようと一歩踏み出した時、足下にあった枯れ枝を踏んでしまった。その音に気づいた少女がプレイズの方へ振り向いた。手で輝いていた光が突然消えた。
月明かりに照らし出された少女の表情を見てプレイズははっとした。てっきり驚いて警戒しているだろうと思っていたら、それとはまったく逆の、まるで知り合いにでも会ったときのような笑顔だったからだ。
「なにか御用ですか」
少女はプレイズに近づき微笑んだ。
「い、いえ! あの、始めまして。私はバリアントバスターのプレイズと言う者です。この村に住んでいるというエスティムという名の魔導師に会いに来たのですが……、ご存じありませんか」
「知ってますよ。私の祖父です。私はその孫のソフィア・エスティムと申します」
「えっ、ほんとうですか! じゃあ、お爺さまは今どこに?」
その質問にソフィアの顔が曇った。
「せっかく会いにいらっしゃったのに申し訳ないのですが……、祖父は三年前に他界しました」
「他界? そうでしたか……」
プレイズは落胆し、小さな溜息をついた。
「あの、よかったら私の家で休まれていかれてはいかがです? とてもお疲れのようですし。それとバリアントバスターの方がなぜ祖父に会いに来られたのか、その理由もお聞きしたいので……」
ソフィアの気づかいにプレイズは「もしご迷惑でなければ」と言って、疲れて強張った顔をゆるませ、笑みを浮かべた。
家の中に通されたプレイズは、ソフィアが作った質素ながらも心のこもった料理でもてなされた。空腹だったプレイズはそれを一気にたいらげた。
「もっと召し上がります?」
「いえ、もうお腹いっぱいです。美味しかったです。ありがとうございました」
「じゃあ、食後のお茶を用意しましょう」
ソフィアが台所へ行きお茶の準備をしている間、プレイズは家の中を見回した。
今にも崩れ落ちそうな古い天井からは乾燥したいろんな種類の植物がぶら下がり、窓際にある大きな机の上や、その横にある大きな棚には見たこともない珍しい道具が並んでいた。
「古い家でびっくりしたでしょ? もう二百年たってるんですよ」
お茶の入ったポットと二つのティーカップを持って戻ってきたソフィアがそう言うと、プレイズは「二百年!」と驚きの声をあげた。
「祖父もそうでしたが、私の家は先祖代々、自然に潜む力を研究し続けてきたんです。でも、それってはたから見ると何やら怪しげな感じがしたんでしょうね。よく、周りの人たちから魔法使いとか魔導師とか言われて敬遠されてきたようです。そこの棚にあるものはその研究の成果らしいですが、あたしには何の道具なのかさっぱりわかりません。ずいぶん無責任な子孫ですよね」
ソフィアはそう言ってウフフと照れくさそうに笑った。
(魔導師のエスティムって、実はただの学者だったのか……)
プレイズの中でそれまで想像していたエスティムという人物のイメージが大きく変わっていった。
「お爺様はお亡くなりになられたとのことですが、お父様は?」
「父ですか? 父は……」
そう言いかけてソフィアはうつむき口を閉じた。プレイズはまずい事を訊いてしまったと気づき「すみません。失礼な質問だったようですね」と頭を下げて謝った。
「気にしないでください。あの……、そろそろここに来られた理由をお聞かせ願えますか」
「あ、そうだった! 実は――」
プレイズは今までの事をくわしく説明した。
国王からゴースト退治を依頼されたこと。自分たちはゴーストを倒す術を知らないこと。プレイズの祖父がエスティムイが持っていたある道具でゴーストを倒せたこと。だからエスティムだったらゴーストを倒せる方法を知っているのではないかと思ってここを訪ねてきたこと――。
説明を終えると、プレイズは懐から補聴石を取り出してフェイムに見せた。
「これは僕の祖父がエスティムさんからもらった補聴石です。バリアントの言葉を人間の言葉に翻訳してくれる不思議な石です」
ソフィアは目を見開いて補聴石を見つめた。
「お爺様、そんな凄いものも作っていたんですか……」
「みたいですね。ただ、三年前のある日を境に全く使えなくなりましたが」
「ある日? 何かあったのですか」
「いえ、大したことではないです。ちょっと僕の気持ちに変化があっただけで……」
「気持ちの変化?」
「ええ、ちょっと……。どうやらこの石は使う人間の心理状態に大きく影響するみたいですね」
プレイズは気持ちの変化のことを詳しく話さなかった。いや、話せなかった。先祖代々バリアントバスターを生業としてきた家の誇りと名誉を継続させるために、無実のバリアントを倒すことへの抵抗感を捨ててしまったという気持ちの変化のことは、どうしても話したくなかったからだ。
「ごめんなさい。せっかく遠いところから来ていらっしゃたのに、お力になれなくて……」
自分以上に気落ちした彼女の姿を見て、逆に申し訳ないと思ったプレイズは努めて明るく振舞おうとした。
「大丈夫です! 気にしないでください。私もバリアントバスターの端くれ。自力でなんとか倒してみせますよ。それでは、夜もふけてきたようなので、このあたりで失礼します」
そう言ってプレイズは椅子から立ち上がった。その時、外から大きな怒声が聞こえた。
「インチキ魔導師の孫娘! 早く出て行け!」
「おまえがこの村にいるとみんなの迷惑なんだよ!」
「早く出てかないと家に火をつけるぞ!」
プレイズはその攻撃的な声に反射的に身構え、背負った剣に右手を伸ばした。
「だいじょうぶです。いつもの事ですから」
ソフィアは特に表情を変えることもなく何事もなかったようにドアを開けた。プレイズは万が一のことを考え、素早く彼女の背後に回った。外にはプレイズを追い払った髭面の村の男と、その後ろに仲間らしき厳つい顔の男が二人立っていた。
「出てきやがったな、インチキ野郎の孫娘が!」
鬼の形相をした髭面の男がソフィアに怒鳴った。ソフィアをそれに何も答えず、うつむいて沈黙し続けた。
「何黙ってやがんだ! なんとか言ったら……」
その時ソフィアの左手がわずかに光った。すると、髭面の男はそれまでの怒りがどこかへ飛んでいったように急に表情を穏やかにし黙ってしまった。後ろにいた二人の男たちも後ろめたそうに目を伏せた。そして三人は後ろを振り向き、そのまま去っていった。
(なんだ? なにが起こったんだ)
プレイズは三人の男たちを見送るソフィアの背中を見ながら、狐につままれたような気分になった。
「お騒がせしました」
振り向いたソフィアが何事もなかったように微笑んだ。
「あいつら、ずいぶん素直に帰っていきましたけど……、どうしたんですか?」
「何もしてませんよ。たぶん、気分が変わったんでしょう」
ソフィアは微笑んで、左手につけていたブレスレットに手をそえた。