第42話 心の傷
「驚いたな。どうして突然フェイムがブレスレットを使えるようになったんだろ?」
「私もその理由が気になります……」
プレイズとソフィアはゴーストに襲われていたフェイムのことをシンパの力で気づいた。そして心で話しかけて彼女を救った。しかし、途中でフェイムのシンパの力が弱まったため会話を続けることができなくなった。
「もう一度、話しかけてみようか」
そうソフィアに提案したプレイズにインヘルが忠告した。
(もうやめておけ……。シンパの力は無限ではない。無駄に使うと後で使えなくなるぞ。おっ、そろそろ着きそうじゃ)
インヘルは首を下げて急降下を始めた。プレイズたちは振り落とされないように必死になってインヘルの背中にしがみつきながら、眼下に広がる地上の様子を見た。そして全員が息を飲んだ。それは、数千匹ものバリアントの大群が、雲の子を散らすように逃げてゆく数千人の兵士たちに向かって突進してゆく絶望的な光景だった。
(インヘルよ! どういうことだ? バリアントの群れがゴーストではなく人間を襲おうとしているぞ)
(変じゃの。こんなはずでは……)
さらにプレイズはバリアント大群の後方に目をやった。すると、信じられないものが目に入った。
(なんだ、あの巨大な赤い光は? 小山ほどの大きさがあるぞ……)
(あれは、ゴーストじゃ。あれが人間を大きな災いへ導くほどに成長した、心の闇の塊じゃ。しかし、あれほどまで巨大なものは今まで見た事がない)
(あれを見て!)
全員がソフィアが指差す方を見た。そこに見えたのは、どこからか飛んできたのかわからない、たくさん小さな赤い光が次々と巨大ゴーストに吸い込まれてゆく様子だった。
「ゴーストが〜どんどん大きくなる〜!」
ガンテが悲鳴のように叫んだ。
(よく見るがよい……。あれが心の闇の連鎖じゃ。人間の心の闇が作った巨大なゴーストがその強力なエンパの力で多くの人間の心に闇を作り、その心が新たにたくさんの小さなゴーストを作る。そして、その小さなゴーストたちは巨大ゴーストと合体し、巨大ゴーストをますます大きくさせてゆく……。その繰り返しで巨大になり過ぎたゴーストは、ついに世界に大きな災いをもたらすのじゃ)
プレイズたちは初めて見る心の闇の連鎖に驚愕し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。降下していたインヘルが停止し、空中に留まった。
(そろそろ我々もあの巨大ゴーストの影響を受けそうじゃ。おまえたち、あいつから心を奪われないようにシンパを使うのじゃ。バーリー様のお力をお借りしてな)
全員が心を無にして各々のブレスレットや骨を輝かせると、インヘルが足で掴んでいたバーリーの大きな骨も同調するように輝き始め、その強い光がインヘルの体を包み込んだ。
(インヘルよ。下のバリアントたちはどうなってるんだ。ゴーストを倒すのがバリアントたちの使命じゃなかったのか?)
懐疑に満ちたプレイズの問いにインヘルが皮肉っぽく笑った。
(あいつらにも限界がある。さすがにあそこまで巨大化したゴーストにはかなわなず、心を奪われてしまったようじゃ。だから、出来るだけゴーストが小さなうちに始末しようとするのじゃが、それをおまえたちバスターが邪魔をするのじゃ。バリアント退治という名目でな)
その答えにプレイズは反論できず沈黙した。ソフィアが訊いた。
(インヘルさん。これからどうするんです?)
(静観する……)
(静観?)
(うむ。さすがにあそこまで巨大なゴーストとなると、今は我々の力だけではどうすることもできん。もっと心に傷を持った人間たちのシンパの力が必要だ)
(待ってください! それは、つまり戦争が始まってたくさんの人々が悲しむ……、つまり死者が出ないとだめっていうことですか?)
(そうなるかの……。仕方がない)
その答えを聞いたプレイズが声を荒げた。
(仕方がない!? このまま、戦争が始まるまで黙って見てろというのか! そんな事できるか!)
(では、どうすればよい?)
(今まではそうだったかもしれないが、きっとあのゴーストを倒す別の方法があるはずだ)
(別の方法? ほほお……。面白い事を言うではないか。わしが五百年間出来なかった事をやろうというのか。ならばその方法とやらを聞かせてもらおうではないか)
(そ、それは……)
プレイズは口ごもった。そんな方法などわかるわけがない。しかし、それは自分でわかっていても感情が容認することを許さなかった。何かを考えて沈黙していたソフィアが何かに気づいた。
(インヘルさん。深い悲しみが作る心の傷は、戦争からしか生まれないのですか? 普通の生活からは生まれないのですか?)
(比べるまでもなかろう……)
(ならば、どうして戦争を体験した事がない私たちがこのブレスレットを、シンパを使えたんですか?)
(ん? それは……)
インヘルは予想もしなかったソフィアの疑問に答えられず口ごもった。
(私は思うのです……。深い悲しみとは戦争だけが生みだすものではなく、実は普通の生活の中でもそれに匹敵するほどの深い悲しみが、心の傷が、生まれるのではないかと……。特に、小さな子供が受けた心の傷は、大人が受けた傷より何倍も、何十倍も大きいのかもしれません)
ソフィアはそう言ってうつむき、プレイズやファートたちは彼女の言葉にはっとした。
(しかし、そんなもの戦争に比べれば大した傷ではなかろう)
インヘルの答えにプレイズが反論した。
(でも、現にこうやって僕らはシンパが使えてるじゃないか! インヘルよ。答えてくれ。これをどう説明するんだ)
インヘルは答えなかった。
(インヘルさん。もしかしたら、バーリーの骨でシンパの力が使える人間は、今でもたくさんいるんじゃないでしょうか? バーリーの骨をもっと多くの人々に渡してはどうでしょうか?)
(それはできぬ!)
インヘルが声を荒げた。
(もし、渡してシンパの力が発揮できなかったら、わしはバーリー様の亡骸をもて遊び侮辱した事になる。そんな事は断じてできぬ!)
インヘルの怒声に全員が驚き沈黙した。すると、その緊張した空気を壊すかのように、ガンテが無邪気な声でバリアントに訊いた。
(あの〜、インヘルさん。質問していいですか〜?)
インヘルは返事をしなかった。
(じゃあ〜勝手に訊いてみよ〜。インヘルさ〜ん。バーリー様はどんな哀しみでゴーストを倒したの〜?バーリー様も〜戦争で誰かを失ったの〜?)
(何っ?)
インヘルの声が上ずった。
(ねえねえ、教えてよ〜。バーリー様の意志を継いだんだから〜知ってるんでしょ〜?)
空中に停止していたインヘルは、突然、地面に向かって降下を始めた。そして、巨大ゴーストの影響を受けそうにない場所に着地した。
(降りろ)
プレイズたちは言われるままにインヘルの背中から飛び降りた。インヘルは脚で掴んでいたバーリーの骨を離した。骨の光は少し弱まっていた。
(先ほどの質問の答えじゃが……。実は、わしにも、わからん……)
インヘルの意外な答えに、プレイズたちは、信じられないという表情でお互いの顔を見合った。インヘルは目を閉じ苦悩の表情を見せ、何かを思い出すようにとつとつと語り始めた。
(わしは、バーリー様が亡くなられる時に頼まれた……。人間の世界から大きな争いをなくしてくれと。そして、その方法をも……。しかし、なぜバーリーさまがそのようなことをなさろうとしたのか? どうしてそのような力をお持ちだったのか? そのことに関しては何もお聞きすることができなかった……。わしは、ただ、バーリー様を信じ、その意志を継いで、言われた事を愚直に続けてきただけなのじゃ……)
インヘルの深く大きな溜息が周りに響いた。
(おまえたちが、バーリー様の骨でシンパの力が使えるという事実は否定できぬ……。それはいい変えれば、わしが知らぬバーリー様が持つ心の傷と、おまえたちが持つ傷が通じ合ったということかもしれん……。わしは、それを否定する自信はない……)
そう言って、インヘルは足もとにあった既に輝きを失くしたバーリーの骨を、鼻の頭でプレイズたちへ向かって転がした。
(持ってゆけ。この骨はかなり大きい。おまえたちが持っているものより何十倍もの力を発揮するだろう。たぶん、バーリー様もお怒りになることはあるまい……)
インヘルは翼を大きく広げた。そして勢いよく羽ばたき、その体を空中に浮かせた。
(インヘルさん。どこへ行かれるですか)
ソフィアの問いにインヘルは何も答えず、全員を見やったあと、そのまま飛び去って行った。




