アラサーなので、勇者やめて婚活します。
赤く燃えるような髪に、アクアマリンのような淡い水色をした瞳。整った横顔は愁いに帯びていた。
いつから勇者と呼ばれるようになったのだろう。ユースティティアはため息を吐いた。
おそらく五年前、某悪徳領主をボコボコにした時からだ。
あのころは恋人に浮気をされ、揚句捨てられたせいで、荒れに荒れていた。若気の至りのついでに喧嘩をしたり、ダンジョンと呼ばれる古代遺跡に行っては財宝を探したり、財宝を売った金で遊んでみたり、遊んだ先でまた喧嘩をしたり……
その日は、酒場で喧嘩の末、とある剣士と意気投合した。
元は田舎の小娘。くそ真面目だったユースティティアには色っぽいことなどなかった。意気投合の末、やったことといえば、悪徳領主をボコボコにすること。酔ったノリで、屋敷に忍び込み、暴れまくり、物理的にボコボコにしたのち、不正の証拠をばらまくということをやってのけた。
今思うと、完全に黒歴史である。
その黒歴史も悪政に苦しむ民にとっては英雄的行為だったらしい。
ユースティティアのやったことは明らかに脚色され、歌となり、物語となり、劇となった。そして、ついには勇者と呼ばれるようになったのである。
人々は、勇者を祭りあげ、勇者はそれに応えるべく、次々と悪政を断罪していった。
しかし、ユースティティアはそんな生活に飽き飽きしていた。
自分はそんな立派な人間ではない。もう勇者はやめよう。そう決めて、剣を置くことにしたのだ。
すべてのはじまりであった某悪徳領主がいた街にユースティティアは帰ってきていた。
深夜のいいところ、酔っぱらいすら歩いていない広場にユースティティアは立つ。
様々な出来事が思い起こされるが、それを断つように、地面に深々と剣を突き刺す。
ずっと相棒であった剣。
本来であれば、魔法使いであるユースティティアには必要のないものだ。ダンジョンで見つけたときは売り払ってしまおうと思っていた。が、装備すると付与される効果が魔力上昇、素早さ上昇に加え、魔法を使うとき詠唱を省略しても威力が変わらないというものだったと知り、ずっと使ってきた。
それを捨てるということは過去と決別するという意味でもあった。
ユースティティアは決意していた。勇者をやめて真面目に結婚しよう、と。
では、結婚するにあたって、必要なものはなんだろう。
お金? 美貌? やさしさ? 婚姻届?
いえいえ、一番必要なのは結婚相手だ。
ユースティティアはそこで壁にぶち当たった。
「そっか、私、結婚するような相手がいないんだった!」
盲点だった。
そりゃあ、五年も勇者やってれば相手の一人や二人……いるわけない。
最初のころは美女勇者と言われてきたし、スタイルもけして悪くない。
しかし、ユースティティア・クライシアは絶望的に男性にモテなかった。容姿がどうのというより、腕っぷしが強すぎたのだ。
代わりに女性にはかなりモテた。あちらこちらにファンクラブがあったり、ファンレターを貰ったりしたこともある。
しかし、生憎、ユースティティアは異性愛者だった。結婚相手は男性がいい。
求められるがまま愛せたらどんなに楽なことだろう。ユースティティアは深く溜め息を吐く。
このまま溜め息のように深く深く沈んでいきそうな気持ちを鼓舞するように頬を叩いた。
こうしていても仕方ない。
ユースティティアは信用できる相談相手をカフェに召還した。
「いやいや、普通は相手が居てからの結婚だからね。お前がするべきことは、まず、婚活だからね」
ダミアはハーブティを片手に、頬杖をつき、気怠い様子で呟いた。
「婚活?」
「そうよー。結婚する相手を見つける為の活動。婚活。て、いうか、何で私が呼び出されてんの?」
「えー、一緒に黒歴史を重ねてきた仲じゃん。協力して」
このダミア・ケイザリアはユースティティアの悪友にして一緒に悪徳領主をぶちのめした剣士だった。剣士は剣士でも、女剣士だ。
ユースティティアにとって、恋愛対象になるわけではない。
ダミアもそれは同じだった。
「協力って……」
「結婚なんてしないって私と意気投合したくせに、アンタだけ抜け駆けして旦那様捕まえて結婚したんだから協力してもらわないと困る!」
ダミアは2年前、いつの間にか見つけた恋人と結婚し、パーティを抜けていた。
そのせいでダミアが抜けた穴をユースティティアがなんとかしようとした結果、悪徳領主狩りが忙しくなり、いまだ未婚であるというわけだ。
ユースティティアが結婚できないのは、ダミアせいでもあるのだ。そう、ユースティティアは思い込んでいた。
「仕方ないわね。助言だけはしてあげる。でも、婚活するのはお前だから」
ダミアは片手で頭を抱えてそう言った。
「ありがとう! で、さっそくなんだけど婚活って何をすればいいのかしら?」
「はあ? 自分で調べなさいよ」
「やだ!」
ダミアは舌打ちをしてから大きなため息を吐く。
「そういうところ! 自分で調べない。考えない。他人任せ。だから、結婚できないのよ!」
痛いところを突かれた。
確かに、自分で決めてきたことより、他人に流されたり、ノリで決めたことが多かった。田舎から出てきたのも、元恋人についてきただけだし、勇者になったのもノリと周りに流されてだ。
ユースティティアは何も言えずに黙りこくった。
「結婚したいって何で考えたの? 誰かが言ったから? 違うでしょ。自分で決めたことじゃないの?」
「そうです」
勇者であれば、ある程度の暮らしはできた。みんなに称えられ、欲しいものは貰ったり、安く手に入れることができた。悪者を倒せば、報奨金をあった。
でも、周りが言うほど、自分はそんなに立派な人間じゃない。賞賛の言葉を浴びる度、本来の自分のとギャップを埋めようと必死になった。
ユースティティアは周りに流されることに疲れてしまったのだ。
そう、だから決めたのだ。結婚して本来のあるべき自分を取り戻すと。
「結婚ってのは自分の生活を誰かと共有することなの。お前の生活、全部他人任せでいて本当にいいの?」
「生活の共有……」
「そうよ。婚活において必要なのはビジョンだと思うわ。どういう人と、どう暮らしたいか。それが分からないで一緒に生活を共有出来ると思う?」
「まずは、方法を調べる。で、実行する。それでだめなら助言は惜しまないから」
流石に言い過ぎたと感じたのだろうか。やけにダミアは優しい言い方した。
「流石ダミア様!」
ユースティティアはダミアに縋りつくように抱きつく。
ダミアはやれやれと言いたげにユースティティアの頭を軽く叩いた。
かくして、ユースティティアの婚活は始まったのである。
しかし、婚活は思ったよりも上手くいかなかった。
色々調べた結果、ユースティティアは結婚相談所に登録した。
そこで紹介された色々な男性に、来る日も来る日も会うのだが、自慢話ばかりのナルシスト、マザコン、処女じゃないと無理という奴、金銭感覚がおかしい奴、とにかく自分に合う相手と思えない相手ばかり。
しかも、いつも振られるのはユースティティアの方だ。
嗚呼、こんなことならダンジョンでモンスターでも倒していた方がマシである。
折れそうな心をセロファンテープで補強しながら、剣の代わりに自分を武器にユースティティアは戦った。
漸くしてユースティティアは、付き合ってもいいという男を一人ゲットした。粘りに粘った甲斐があったというものだ。
「アストレアちゃん」
太めで、ニキビ面の身長が低い男が女の名前を呼ぶ。
「はーい」
ユースティティアは柄にもなくフリルの付いたワンピースを着て、手を振って答えた。
アストレアとはユースティティアの偽名であった。
なにせ、この界隈でユースティティアと言えば勇者として有名だ。ユースティティアですなんて名乗った時点で即お断りされてしまう。
そんなわけで偽名を使ってまで捕まえた男は、見た目こそ良くなかったが、マザコンでも、借金持ちでも、ナルシストでもない真面目で誠実そうな男だった。
ユースティティアの自尊心はボロボロだったが、男が現れたことで大分心が癒せたとユースティティアは男に感謝をしていた。
しかし、その感謝も長くは続かなかった。
男には、妻子がいたのだ。それに気づいたのは、妻から慰謝料を請求されたからだった。
早い話が、男は不倫相手を探すためにそう言うところを利用している奴だった。誠実そうというのはあくまでそう見えるということで実際は不誠実なくそ野郎だったわけだ。
ユースティティアは誤解を解くためにブチ切れ寸前になりながら、結婚相談所に駆け込んだ。
が、遅かった。結婚相談所はもぬけの殻だった。
どうやら、結婚相談所とは名ばかりのとんだ詐欺会社で、会員の大半はサクラか不倫目当てのクソ野郎ばかりだったらしい。
そう聞いたのは、男の妻に慰謝料を払い終わった後のことだった。
私だって騙されたのよと叫びたかったが、なけなしのプライドがそれを許さなかった。ユースティティアは腐っても勇者なのだ。
男の妻への慰謝料のせいでユースティティアの所持金はマイナスになってしまった。早い話が、借金をする羽目になったのだ。
こんなの恥ずかしすぎて、悪友のダミアにも言えない。ユースティティアは誰にも相談できず、以前のようなダンジョンに行って財宝を探すという生活に逆戻りすることになった。
ユースティティアは深く傷ついていた。
深く深く傷ついたので、深く深くダンジョンに潜り続け、モンスターを狩り、普通の冒険者ではいかないようなところで野宿をし続け、財宝を探した。
結果得られたのは、見たこともないような財宝と、魔族並みの強大な魔力と、尋常ならざる精神力だった。
その財宝で借金を早々に返せばよいものの、ユースティティアはずっとダンジョンに篭もり続け、最深部を目指した。
最深部に行くことに特別な理由などなかった。ただ単に人に会いたくないという気持ちと、「もう信じられるのは金だけだ。巨万の富を得て一生暮らしてやるぜ、こんちくしょう」という気持ちだけでユースティティアは前に進む。
ダンジョンの奥は暗く冷たかった。
ユースティティアは魔法で灯火を作り出す。灯火と言っても、それは熱のない光だった。
ユースティティアの体は心同様凍え切ってきた。ユースティティアは熱を求めて黙々と歩く。
細く長い道を突き進み、分岐する道をいくつも選び、時折、突き当たりを引き返す。
そうして、漸く辿り着いたのは、ドラゴンが鎮座する部屋だった。
ドラゴン。それは、モンスターの中でも強く、気高い種族。酷く獰猛で恐ろしい生き物だとも聞いたことがある。
絵本の中でしか見たことの無いドラゴン。ユースティティアは生まれて初めてそれを見た。
ドラゴンは大きく咆哮を上げる。
ユースティティアは圧倒され、唾を飲み込んだ。恐怖がお腹からせり上がり、喉の奥に悲鳴となって絡みつく。背筋が張り詰め、脚が震えた。
しかし、同時にユースティティアは驚いていた。こんなに美しい生き物がいることに。
すべすべとした爬虫類のような冷たい鱗は、艶やかな光沢をしており、まるで黒曜石のようだった。
その鱗を目で追うと、特徴的な蝙蝠の翼に似た皮膜のついた羽が目に付く。その皮膜はまるですりガラスのようにうっすらと向こうを透かす。
長い尾が鞭のようにしなり、地面を何度も打つ。
ユースティティアは惚けたようにその生き物を見つめた。
特に美しいのは瞳だった。ユースティティアはじっとりと湿り気帯びた視線を感じていた。その生き物の瞳は一見黒く見えるが、よく見るとオパールのように七色に妖しく輝いている。
「綺麗……」
ユースティティアは武器を構えるのを忘れ、ぽつりと呟いた。
ドラゴンがもう一度、咆哮を上げる。
湧き上がってきた美しさへの感動は恐怖に黒く塗りつぶされた。ユースティティアはぼんやりとドラゴンを見つめ、死を覚悟した。
死ぬんだ。結婚も出来ずに。後悔はたった一つ。愛されなかったことだけだ。
ユースティティアはゆっくりと目を瞑る。
「何故、目を閉じているんだ?」
低く甘ったるい声がした。
ユースティティアは目を開ける。
ドラゴンがいない。
代わりに居たのは、整った顔立ちの年端も行かぬ少年だった。
少年は微笑む。
花のように艶やかな笑みにユースティティアは胸を高鳴らせた。
ユースティティアは慌てて頭を振る。
男に飢えているとはいえ、まだ十代後半にもなっていないような少年に胸を高鳴らせるなんておかしい。間違っている。そう思った。
ユースティティアの様子を愉快そうに少年は見つめた。
「何をしているんだ?」
同じように低く甘い声がもう一度した。それは少年が発した言葉だった。
声変わりしたばかりの年頃だろうに、やけに低く威厳のある声だ。
「祈りを……」
ユースティティアは震える声でそう答えた。
百戦錬磨の勇者のくせにこんなときばかりは生娘のようだと心の中で自嘲する。
「祈り?」
「ええ、死ぬと思ったから最期に祈りを捧げようかと」
「それは残念だ」
少年は笑う。今度は漣のように酷く優しい笑い方だ。
「残念?」
ユースティティアは首を傾げた。
少年はそれを見て愛おしいものでも見るように目を細めた。
「君は死なない」
ユースティティアは背筋に悪寒が走るのを感じた。
あれは、少年の目は捕食者の目だと思った。
何も言えないユースティティアにゆっくりと少年は近づく。
得体の知れない焦燥感がじわじわとユースティティアの胸に広がる。
警戒しなければならないのに、逃げなければならないのに、まるで目を塞がれ、手足を縛られたように動けなかった。
少年はユースティティアの手を捉えると、その指に自らの指を絡めた。
「だって、俺のお嫁さんになるんだから」
少年の瞳は、あのドラゴンと同じように七色に妖しく輝いた。
私の魔王様のジェスカの先祖の話。
可愛くて行動力もあっていい女に限って、ダメ男に捕まるよなーと思いながら書きました。
いつか続きも書きたいです。