5 間一髪
見ていた両先生は両者の真剣な戦いを見て仰天した。止めようとした。
だが遅かった!
上泉は上段に木刀を上げ、凄まじい勢いで左足を踏み出し、林太郎の空いた面を狙い降り下げた。
これまで両者は片足を強く踏み込んでいたが、決して両方の足を上げていない。上泉の足打ちを避けるために林太郎は飛んだが、それ以外は足の裏を床にぴったりと吸い付くように付けている。
重い真剣を持った時、確実に相手を両断しなければ、武道の意味が無いのだ。
現代剣道のように体勢を崩したまま相手を打つなどは、古武道の常識では考えられない。致命傷を与えなければ次ぎに自分が危なくなる。よって刀を振る時は、常に一刀両断の気持ちでなさなければならないのだ。
上泉の木刀が林太郎の頭を砕こうとした瞬間、林太郎の木刀は跳ね上がり、下で斜めであったそのままの角度で上泉の木刀を受けた・・・とそのまま林太郎の木刀は頭の上でくるりと廻り、右肩の回転と共に上泉の首を打った!
だが、上泉もさる者、跳ね飛ばされた木刀を手前に引き、そのもの打ち(切っ先から十センチほどの所)を峰から右手で挟んで、林太郎の鳩尾に向かって突き出した。
「ああ!」
俺はビデオを落とした。
両者ただでは済まない。林太郎が怪我を・・・いや木刀だ!怪我で済まなかったら!
しかし、林太郎の木刀は上泉の首に当たる寸前で止まっていた。
上泉の木刀は、林太郎の鳩尾の手前にぴたりと付けられていた。
「お、おい!大丈夫か!」
二人の先生が駆け寄ると、二人は彼らを見てにこりとした。そして上泉は人差し指で林太郎の首に付いた木刀を押しのける。二人とも汗びっしょりだ。
後から聞いたのだが、彼らの流派での『斬り』は、刀がその性能(『働き』と言う)を百パーセント発揮するように体を使う。現代剣道や巻き藁を斬る時のように『行ってこい』的な不確定性は殆ど無く、肩と肘を真っ直ぐ伸ばした両腕の二等辺三角形で振られる剣は、斬り下げるどの角度ででも止められるそうだ。
その気になれば畳を床まで両断も出来るし、間一髪で首の皮一枚を残して止められるのだ。
三島由紀夫が自衛隊で切腹した時に、林太郎の様な古武道を心得た者がいれば、介錯の失敗であのような苦しみは味あわなかっただろうに。
上泉が野猿のような顔を崩して笑った。
「今度はサッカーで勝負だな!」
林太郎は、背が十センチ以上高い上泉を上目で見て、にっこりとした。
「ええ・・・今度は相討ちでは済みませんよ」
ライバルとして見つめ合う二人に俺は嫉妬した。
嗚呼・・・俺もあんな目で見つめ合えたら・・・
「大介、ちょっと手伝って」
サッカー部室まで稽古着で来て、林太郎は着替えようとしていた。
試合中、越後大の奴らも林太郎のことを食い入るように見ていた。そんな奴らの前で着替えるなんて出来ない相談だ。林太郎もそれは分かっているのだろう。小さい頃から女の子の様に見られて来たという不満がある様だ。
俺は着替えの手伝いに選ばれた・・・そう、俺には恥ずかしくないんだ・・・く。
「・・・帯解いてくれる?」
「えっ?」
ロッカー室には誰もいない。俺は誘われているのじゃないかとどきりとする。
「指が動かないんだ・・・」
「えっ?」
驚いて林太郎の手を見ると右手の親指が真っ赤に腫れている。骨には異常無さそうだ。
「あいつの八相を受けきれなかったんだ。凄く重い斬りだった」
遠目では、しっかりと上泉の木刀の上に林太郎の木刀は乗り、斜め切りを停止させたと思った。
「あ〜あ、これが知れたら爺ちゃんに怒られる」
俺に帯を解かせながら、林太郎はちゃめっけたっぷりに言った。袴が落ちると目の前にビキニブリーフが現れる。汗と林太郎の甘い体臭がする。
「有り難う。あとは自分で出来るよ」
後ろを向いて胴着を下に落とし、タオルで体の汗を拭く。
「爺ちゃん、俺に師範を継げってうるさいんだ」
「こ・・・今度、話を聞きたいな・・・古武道の」
「聞けばもう止められないよ。爺ちゃん得意になって話し出すから・・・」
俺は言葉を交わしながらも誘惑と戦いながら、林太郎の妖艶な後ろ姿を見ていた。
それに気付いて林太郎は恥ずかしそうに言った。
「・・・もう良いよ。外で待ってろよ」
これからも俺は我慢という『苦行』を強いられる。
林太郎に俺の胸の内を告げたいという欲求と、そんなことをして生涯の友を失いたくないという恐怖に苛まれて・・・
了