2 懇願
告白しよう。俺は恋してる。
その人は女性ではない。男なのだ。
俺は今まで同性に性的な興味を持つことは無かった。女性なら数限りなくある。高校の卒業の時、一緒に新宿御苑を散歩してくれた彼女を新宿駅南口の改札で見送ったあと、俺は当分、小説に没頭しようと思った。
大学に入って三年の時、『彼』にあった。
彼は遅生まれのストレート入学。だから俺とは六年もの歳の差がある。彼の容姿は中性的できれいな女顔の少年と言ったところか。
最初、逢った時、『女だったらな』と思ったものだ。
『異性』として興味は無かった。
しかし、彼は俺の書きかけの小説を読んで、涙を一筋流した。
その時、どきっときたんだ。
その瞬間、俺は彼に惚れてしまったようだ。
その小説は、戦国武士の前田慶次郎について書いたものだが、主人公は慶次郎じゃなくてその家来の二人だ。一人は中年の古武士、小吉。そして小吉が恋するのが刺客だった美しい少年、りん。
彼らの今生の契りの物語に彼、林太郎は涙したのだ。
俺は林太郎と知り合って、俺の気のおけない大学仲間に紹介した。何が気に入ったのか分からないが、林太郎は年上の俺達の中に入ってきた。
俺は何食わぬ顔で林太郎とおしゃべりし、冗談を言い合う。だが俺の心は張り裂けそうに高鳴っているのだ。
俺にとって林太郎は男の姿をした『異性』だった。
ある日、キャンパスでサッカー部の練習を終えた林太郎と、今日取ったビデオのことをしゃべっていた。
汗びっしょりの林太郎の半袖のユニフォームの生地は薄く、その胸に張り付いて二つの突起が見える。額から別れて耳やうなじに掛かる肩までの長い黒髪。中性的な首や肩、体毛の薄い膝下の足を交互に見やりながら、俺は下腹に疼くものがある。でも駄目だ。気付かれてはならない。
林太郎に、彼のシュートの瞬間を撮影して欲しいと言われて俺は二つ返事で引き受けた。公然と彼の全てが撮影出来るなんて、千載一遇のチャンスだ。
どういう風にダビングすれば良いかなどと話している時、剣道場から走ってくる者がいる。
そいつは息せき切って、稽古着に胴と草ずりを付けたままで、林太郎の側に駆け寄る。剣道部の副将をやっている男だ。今し方、ライバル校の越後大学の剣道部が訪問してきて試合をしていたという。
「長尾さん・・・で、どうしたの?」
林太郎が聞いた。
「引き分けたんだが・・・試合の後、試合稽古をしようと奴らが言い出したんだ」
「試合稽古?」
「勝ち抜きの総当たり戦さ。とにかく弱い連中から一人ずつ当たって、どちらかの部員が全て負けるまでやろうということに・・・」
「?」
「俺達は有利に勝ち進んで、五人くらい残して奴らの主将の手前の一人まで倒したんだ。だけどそこで止まった」
「その一人って・・・?」
「どうも正規の剣道部員じゃないらしい!だが、もの凄く強いんだ!前の試合には出て来なかったのに」
副将は懇願するように林太郎に言った。
「りん・・・お前の家、新陰流の師範だろ!」
「ええっ!」
驚いたのは俺のほうだ。知らなかった。
林太郎は機嫌悪そうに、
「・・・確かに俺の爺ちゃんは柳生新陰流の一派の師範だよ」
柳生新陰流!
それは柳生石舟斎が上泉伊勢守に就いて戦国末期に打ち立てた流派だ!色々な場所や形で現代まで残っているとは聞いていたが、まさかこんな身近に道統を継ぐ者がいるとは!
「でも俺は興味ないね」
林太郎の言葉に、長尾が慌てて言った。
「そんなこと言うなよ・・・この間、剣道の合同授業で見せてくれたじゃないか!」
「あ・・・あれはふざけてやっただけだよ!」
「でも剣道部の俺達でさえ、お前を打ち込めなかったぞ!剣道の宇佐美先生が、お前の爺様を知っていたからやらせたんだろ!」
「・・・」
林太郎は下を向いて拗ねたような口をした。
俺はおずおずと聞いた。
「・・・助けてやらないのか?」
こう言った理由は、俺は林太郎の抜群の運動神経を考えたからだ。そして彼の武道の技を見たくなっていた。
今日、間近に林太郎の動きを撮影して良く分かった。尋常な動きではない。スローモーションで見ると、瞬間瞬間の動作に肉体を合理的に使っている。普通の、体を捻ったり飛び跳ねたりするアスリートの動きとはかなり違うのだ。新陰流という古武道をやっていると聞いて、その秘密が分かったような気がした。
林太郎は困惑した顔になった。
「・・・」
俺は興味本位で言っていることを隠して言った。
「部外者に正規の剣道部員が歯が立たないってことが評判になったら、彼らも立つ瀬が無いよ。助けてやるのも・・・」
林太郎は俺に悩ましい目を向けた。嗚呼・・・
「大介がそういうならやるけど・・・負けても良いよね」
「そんなこと言わずに頼むよ・・・」
副将の長尾も悲痛な声を出した。




