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四国遠征~長宗我部元親との戦いへ

丹羽長秀(にわ・ながひで)とは、長らく信長の重臣として仕えてきた、柴田勝家らとともに、古参の家臣の1人として名を連ねる。

安土城築城の際には総責任者である普請(ふしん)奉行を任ぜられ、また織田家の古参の重臣の中では、特に秀吉に対して、厚い信頼を寄せていた。


信長「そなたには、こちらの丹羽長秀(にわ・ながひで)とともに、四国遠征に出向いてもらいたい。」


信長からの勅命で、この丹羽長秀の下で、雇われ浪人を率いる剣士として働くことになった。


この時代、どこの大名家の家来にもならず、目先の食い扶持を稼ぐために、人斬りや、前線での戦を稼業とする浪人者なども数多くいた。


この時田旅人も、いわばそのような食いづめ浪人の1人という扱いだ。


そして、信長も、光秀も生き延びた後の、現状はこうだ。


既に上杉景勝、毛利輝元らも和睦(わぼく)に応じた以上、残るは九州の島津義久(しまづ・よしひさ)と、四国の長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)


さらには関東の北条氏政(ほうじょう・うじまさ)、東北の伊達政宗(だて・まさむね)らの諸大名を平定すれば、国内は統一されるという状況となっていた。


国内だけでは飽き足らず、海外にも遠征に向かう構えだ。そうなると当然、朝鮮や明国にも出兵することになる。


武将とか、現場で戦う兵士などは、とにかく目の前の敵兵の首を取ることを考えればよい。


この時代にもいろんな身分の人々がいる。


大名家や、武将、兵士たちに武器を売って生計を立てる武器商人もいれば、千利休のような茶人なる者たちもいる。


イスパニアやポルトガルからやってきた宣教師たち、それから、忍びの者たちなど。


時田旅人「戦はあとどのくらい続くんだ?」


浪人者「へへ、できれは俺らの剣の腕を役立てられるような状況が続けばいいんだけどな。

まあ、なんでも織田軍の力なら、1ヶ月余りで、四国の長宗我部(ちょうそかべ)を攻め落とすことができるというぞ。」


時田旅人「けっ、この調子じゃ、国内の戦はいずれ終わって、次は海外との戦になっていくだろうな。

俺らはあくまでも後方支援だ。どうせどんなに働いても報酬の額は同じ。だったらその、決められた報酬の分だけ働けばいい。」


浪人者「けど、長宗我部(ちょうそかべ)にも、めっぽう腕のたつ者たちが雇われているといいますがねえ。」



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