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第1話

上地耕介と宇都宮桜は死ぬことを考えていた。


「あんたはなんで死にたいの?」


 桜は耕介に尋ねた。桜は肩よりも下までまっ直ぐ伸びるきれいな黒髪をなびかせている。七月下旬の晴れた日の屋上には日差しを遮るものは何もなかった。


「ねえ、聞いてる? なんで死にたいのってば」


 桜は再び耕介に尋ねる。桜の肌は、この眩しくコンクリートを熱する太陽光には似合わない白さだ。むしろ血の気がなく、青白いと言った方が近いかもしれない。ただ、切れ長で二重瞼をした目の中に見える瞳は美しい。鼻は高すぎず、低すぎず、ちょうど好感の持てる高さだ。唇は薄いが、歯並びは整っている。口角が上がることはないのは、笑ったことがあまりないのだろう。顔のそれぞれのパーツと光に反射してきらめく髪は、上品な女性を思わせるが、それを全て台無しにして、幸を薄くする血色の悪さ。桜が死にたいと思っていることには違和感がなかった。


「なんか、俺なんていなくていい気がして」


 耕介は屋上を囲っているフェンスを見ながら、答えた。三メートルくらいある緑色の金網だ。それを乗り越えて飛び降りれば全てが終わる。


「ふーん。そっか」


 桜は体育座りをしながら、耕介を見ている。スカートの下にはジャージを履いているから、その格好ができる。


「あなたこそなんで死にたいと思っているんですか?」


 桜は耕介の一学年上の高校二年生だ。タメ口で話すか、敬語で話すか悩んでいる。耕介は、同じ境遇なら、仲間だと思えるなら、タメ口でもいい気がしていた。この校舎の屋上で二人は知り合った。


「なんか、私なんていなくていい気がして」


 桜は俯きながら答えたせいではっきりしなかったが、一瞬笑ったような気がした。


「一緒じゃないですか」


「一緒じゃないよ」


「そうですか……」


 耕介は再び、フェンスに目をやった。あそこから飛び降りたら、死ぬことができる。


「どうやって死のうと思っているの?」


 耕介はその質問に背筋を伸ばした。自分の心が見透かされているような気がしたのと、死に向かって生々しい会話になりそうだから。自殺を考えているのは確かだが、どこか他人事のような感覚もあった。こうして桜と話すことで自殺が具現化されていくことが奇妙に思えた。


「そこのフェンスを乗り越えようかなって思ってます」


「学校で死ぬの?」


 桜は鋭い目を耕介に向けている。同じく死のうと思っている人になぜそんな目で見られなければいけないのかと、耕介はやや苛立ちを覚えた。


「ダメですか?」


「だって、自分の最後の姿をこの人たちに見られるんでしょ。絶対に嫌だ」


 人差し指を地面に向けながら、桜はそう言った。この人たちというのうは校舎の中にいる生徒や先生のことだ。耕介も桜も、高校で同級生からイジメを受けていた。二人とも中学の途中からイジメを受けていたが、高校になれば環境も変わって終わると思っていた。世の中はそんなに甘くなかった。中学の時のような、物を隠されたり、落書きされたり、水をかけられたり、蹴られたりすることはなくなったが、高校では先生も気がつかないような陰湿なイジメが待っていた。話しかけても無視することから始まり、クラス全員が見ることができるSNSで、きっと自分のことだろうという悪口が書き込まれる。桜に関しては女の子の日を嗅ぎつけた女子に何かされるらしい。それは教えてくれなかったが、二人とも自分の存在価値を見失っていた。


「最後くらい、あいつらに面食らわしてやりたいです」


 耕介は立ちあがって言った。制服の尻の部分がコンクリートに擦れて白くなっている。


「私はできるだけきれいに死にたい」


 桜はまだしゃがみながらそう言った。耕介は桜の顔を見た。桜は確かにきれいに死ぬのが似合っているかもしれないと思った。きっと今のままを保つことができそうだ。


「そもそもあんた死ぬの怖くないの?」


「えっ、こ、怖くないですよ。もう決めたことですから」


 二人で決めたことだった。教室や校舎内で居場所がなくなった耕介は屋上に居場所を求めた。桜も同じだった。誰もいない場所。上を見れば、空が広がっている。見続けていると飲み込まれそうになる青さ。自分の存在がちっぽけに思えて、もう少しだけ生きようと勇気づけられる場所。でも、そんなおまじないは長くは続かなかった。


「そうじゃなくて。私はあんな高いところから飛び降りるのなんて、死ぬより怖い。あんたは平気なの?」


「あっ……」


 耕介は致命的なことに気が付いた。耕介は高所恐怖症だった。高いところに行くだけで、全身が震え、思考が止まり、本能的に逃げ出してしまう。高いところから飛び降りることなんてもってのほかだ。そこに至るまでに逃げ出してしまうだろう。


 口を大きく開けたままの耕介を見て、


「もしかしてあんた、高いところが苦手なの?」


 呆れた顔で桜は聞いた。


「は、はい……」


「はあ? あんたそれじゃ死ぬとか言ってる場合じゃないじゃん。飛び降りる、降りないとかそういう話の前に、フェンスの縁まで辿りつけないんじゃないの?」


 桜は立ちあがり、そこに何がある訳でもないが、蹴飛ばす素振りを見せた。苛立ちを見せている。

 なぜ、一緒に死のう同盟の仲間だと思っていたはずの桜にそんな態度をされなければいけないのか。耕介も反撃に出た。


「あなたも、きれいに死にたいって、そんなの無理ですよ」


「何それ、逆ギレ? 私はクスリ飲んで死ぬから」


 耕介はクスリについては知識を持っていなかったが、このまま黙って桜の口撃を受け続けるのは、わずかに残っているプライドが許さなかった。


「ク、クスリって言ったって、死ぬ効果があるものは、苦しいに決まってますよ。息できなかったり、どこか痛くなったり」


 桜は耕介を睨みながら、少し考えて「そうなの?」と尋ねた。桜の素直さに呆気にとられたが、耕介は続けた。


「そ、そうです」


 二人はお互いに背を向け、空を見上げた。


――どうやって死んだらいいのだろう――


 二人の考えていることは同じだった。

 いつしか太陽が沈みかけていた。オレンジ色に照らされる桜と耕介の表情には決意が現れていた。


「私たちこの夏休みを使って、自殺の練習をしよう」


 自殺の練習。


「やりましょう」


 このまま同級生や世の中、そして桜に馬鹿にされて死ぬことは、耕介の心が許さなかった。そもそも、高所恐怖症を克服しないと死ぬことさえできない。


「てか、私のことちゃんと先輩って呼べ」


 桜は耕介の股間を蹴って、耕介はうずくまってしまった。夏休みの自殺の練習が始まった。




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