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8、多部賢三郎

 和穂たちは必要な資料を印刷し、逃げるように図書館を後にした。雨はまだ止まない。

 時刻は午後六時。辺りは既に薄暗く、帰宅する人の波でごった返していた。


「……」


 言葉を発することができず、和穂たちは駅への道をただ歩いていた。

 犠牲者の特定と、紅の魔術師の情報を得ることはできた。だが、知れば知るほど異様な不気味さが滲み出る。

 駅の明かりが見えた頃、ふと和穂が足を止めた。何事かと幹生が立ち止まり、尊と彩乃も不思議そうな顔をして立ち止まる。


「……どうしたらいいと思う?」


 その問いに、幹生は目を細める。冷静に判断するのなら、これ以上この不気味な事件に関わるべきではないだろう。


「凛が、心配だな……」


 彩乃は和穂の質問には答えずに、悲しげに呟く。


「でもきっと、今日は会えないよね……」


「俺たちで何か力になれたらいいんだけどな」


 彩乃の言葉に同意するように、幹生が頷く。そのそばで、尊が何かを思案するように目を伏せる。


「どうしたの、尊」


「いや、友樹さん……なんで自殺……いや、まだそうと決まったわけじゃないかもしれないけど、なんで自殺したのかなと思ってね」


「良心の呵責? 少し違うか……」


 幹生が考え込むように首をひねる。尊は何かをブツブツと呟きつつ、考えを整理しているようだった。


「ねえ、もしかして。友樹さん、ずっと気味の悪い夢にうなされてたってことはない?」


 彩乃がそう口にする。既に血の海になっていたものを目撃した和穂たちとは違い、友樹は目の前でそれまで生きていた人間が死んでいる。

 おまけに、友樹は名言しなかったが親しい友人二人のうち一人が死んだと思われ、一人が入院する事態に陥っている。

 一年もそんな記憶をもったまま、普通に生活していた方が不思議なのだ。


「……私たちが追い打ちをかけたのかな」


 和穂の瞳に涙が滲む。和穂にとっての友樹は、優しく頼り甲斐のある異性だった。幼い頃からその背中を見ていたから、憧れがほのかな恋心へと昇華するのに時間はかからなかった。

 そんな友樹が、目の前で死んだ。自身で落とした言葉に、和穂は身震いする。もう友樹はいないのだ。


「和穂……」


 彩乃が傘を取り落とし、和穂を抱き締める。友樹が死んで初めて涙を流した和穂の頭を、幹生も優しく撫でた。


「ごめんねみんな、ありがとう」


 涙を拭いながら、和穂は微笑んだ。胸を締め付けられるような、傷ついた笑顔。


「……お前はどうしたいんだよ」


 幹生がぶっきらぼうに尋ねると、和穂は笑顔を引っ込めて頷いた。


「私、例のチャットに書き込みしてみようと思うの」


「え、危ないんじゃないの……?」


 和穂を抱き締めていた彩乃の腕が、緊張で強張る。


「それでも、会わなきゃ。紅の魔術師に」


 それは和穂の、無謀とも言える悲壮な決意だった。会ってどうにかできるとも思えなかった。それでも、何故こんなことをするのか。その理由が聞きたかった。


「……そもそも、例のホームページってさ、管理人は紅の魔術師なのか?」


「それは、どうだろう」


 考えもしなかったことを幹生に問われ、尊は首を捻る。


「だろ、わかんねえよな。まずは管理人に会ったらいいんじゃないか? 興味があるとでもメールしてさ。確か、メアド載ってたよな」


 幹生が言うように、ホームページの最下部には管理人宛のメールアドレスが記載されていた。


「まずは冷静になろうぜ、和穂。紅の魔術師に会うのは、管理人に会ってからでも遅くないだろ」


「うん……そうだね、ごめん」


 和穂は大きく息を吸い込むと、ひとつ頷いた。


「俺、茂人さんだっけ。その人が気になるんだけど、和穂と幹生は知ってる人?」


「あぁ……うん、俺は何度か遊んだことあるかな……。さすがに住所とか、どこに入院してるかまではわかんねえけど」


「そうだよなあ……」


 尊は小さく唸ると、再び考え込むような素振りをみせた。和穂から身を離した彩乃が、尊の袖を引っ張る。


「あのね、タケルちゃん……凛の家になら、年賀状とかあるんじゃないかな……」


「あぁ、確かに。でもそうか、タイミング悪いよなあ……さすがに今は……」


 幹生が苦い顔で呟く。地面に転がる彩乃の傘を拾い上げながら、和穂が口を開いた。


「お葬式の後にしよう。凛にも事情を話して、お部屋に入れてもらって……」


「いいって言うかな?」


「その時は……諦めようよ」


 なるべく凛のことは傷つけたくなかった。和穂たちは頷くと、それぞれ無茶はしないことを約束して家路へついた。

 雨はいつの間にか止んでいた。



+++++++



 友樹の葬儀までの合間に、和穂たちは再度警察へ事情聴取へ出向いたり、普通に学校へ通ったりしていた。凛は休んでいたが、和穂とは何度かメールのやり取りをしていた。

 大抵は元気かどうかと、凛の分の授業のノートを取り溜めてあるという内容だった。

 教室は、凛の兄の訃報に僅かながら同情的な空気が流れたものの、大半は友樹と面識のない生徒だ。すぐにいつもの空気に戻っていった。


「和穂、ミッキーと二人で職員室に来いってゴリ松が言ってたよ」


「わかった、ありがとう」


 クラスメイトの言葉に頷くと、和穂は幹生と教室を出る。談笑する生徒の脇を通り抜け、無言で廊下を進んでいく。

 一階へと降り、職員室のドアをくぐる。


「失礼します」


 和穂の声に気がついたのか、ゴリ松……いや、植松が机から立ち上がり近寄ってきた。


「……来たな。こっちに来い」


 有無を言わさぬ雰囲気を纏い、植松が歩き出す。和穂と幹生は顔を見合わせると、大人しく植松の後を追いかけた。

 植松は職員室から出ると、少し離れたところにある応接用の部屋へと向かった。和穂と幹生がついてきているのを確認すると、ドアを数度ノックし、すぐに開く。


「お待たせしてすみませんね」


「いえ、そんなに待ってませんよ」


 応接室の中から聞こえてきた軽い調子の応えに、和穂は怪訝そうに顔をしかめた。


「ほらお前たち、そんなところで立ってないで入りなさい。佐沼のお兄さんのことで、刑事さんが話を聞きたいそうだから」


 植松はそれだけ言うと、応接室に和穂たちを押し込み出て行った。

 和穂と幹生が室内に目を向けると、二人の男性がソファから立ち上がったところだった。


「わざわざすまなかったね、これから授業だろうけど少し協力して欲しくてね」


 一人は見覚えのある人物だった。カラオケボックスでの一件で話をした刑事で、関谷だ。

 関谷の隣に立つ男は、くたびれたワイシャツの襟元を扇ぎながら、気だるげな様子で和穂たちを眺めている。その瞳だけがギラギラと、どこか肉食獣めいて輝いている。


「……あの」


 和穂が戸惑ったように口を開くと、関谷は困ったように笑いつつ頷いた。


「あぁ……彼は私の友人で、捜査協力者なんだよ。ほら、お前も自己紹介くらいしろ」


「どうも、オカルト研究家兼私立探偵をしている、多部賢三郎といいます」


「オカルト研究家……?」


 幹生が胡散臭そうに多部と名乗った男を見つめる。多部はそんな反応など慣れっこなのか、涼しい顔で笑った。


「……いや、戸惑うのもわかるよ。うん、そうだろう。何故僕が刑事といるのかとか、突っ込みたいことは多いだろうけどね。まぁ、単刀直入に言おうか。君たちは、どこまで深淵を覗いた?」


 和穂と幹生が顔を見合わせる。単刀直入に言うと言いながら、その質問があまりにも抽象的だったからだ。

 二人の反応を楽しむように、多部はにんまりと笑う。


「調べているんだろう? 紅の魔術師について」


「何故、そんなこと……」


 否定するのも忘れ、和穂が尋ねる。多部は満足げに頷くと、ソファにどかりと腰を下ろした。


「警察に資料を届けただろう。よく、ただの高校生が見つけたものだと思うよ……。それで。質問の答えを聞こうか。どこまで深淵を覗いたんだい?」


「意味が……質問の意図がわからないんですけど……」


「……僕が聞きたいのは、君たちがどこまで調べたかだよ。警察に届けた資料以上のことを掴んでいるのなら、ぜひ教えてもらおうと思ってね」


「なんでだよ」


 幹生が顔をしかめる。多部は笑顔のままだ。


「君たちには、ちょっと難しい問題だからね。僕が引き継ごうというんだ」


「多部、あんまり調子にのるんじゃない。すまないね、君たち。でもこれは、危険な事件なんだということを忘れないでほしい。捜査はこちらでするから、君たちは大人しく……」


 関谷の言葉を遮るように、和穂が一歩前に出る。


「……あの。多部さんでしたっけ。情報を渡すのは構いませんけど、ひとつ聞いてもいいですか?」


「なんだい、お嬢さん」


「紅の魔術師は、なんなんですか?」


 ずっと疑問だったことだった。そもそも不可解すぎるその存在。和穂は真っ直ぐに多部の瞳を見つめる。


「ふむ……賢い子は嫌いじゃあないよ。その様子だと……薄々わかっているんじゃないかな?」


「多部」


 嗜めるような関谷の声に、多部は軽薄そうな笑みを浮かべる。


「まぁ、いいじゃないか。そうだね、和穂ちゃんといったか。君は幽霊や妖怪……化け物でもいい。そういうものは信じるかい?」


「信じてないって答えたいですけど、今は……」


 言い淀む和穂を満足そうに眺め、多部は頷く。


「まぁ、そういう類のものだと思えばいいよ。そして僕は、そういう事件専門の私立探偵」


「嘘だろ……」


 半信半疑と言いたげな様子で、幹生が零す。


「そう、嘘だと思って忘れて、日常に戻るのが正しい選択だよ。幹生くん」


「……忘れる?」


 和穂の言葉に、多部が頷く。


「そう、忘れるんだ。踏みこんでしまえば、もう戻れない。これは、そういう類のものだからね」


 多部の瞳に、一瞬だけ悲しげな色が浮かんで消える。


「……友樹さんは、忘れられなくて死んだかもしれないのに、ですか?」


 和穂の瞳に、怒りとも悲しみともとれる色が浮かぶ。多部はそれに冷たい笑みを浮かべると、口を開いた。


「友樹くんか。彼は残念だったけどね。僕としては、忘れることを勧めるけどね」


「……そうですか」


「いずれにしてもだ。思い出したことがあれば連絡して欲しいかな」


 多部は笑顔を浮かべると、名刺を取り出し和穂に差し出した。


「友達とも相談してみます」


「それがいいだろうね」


 和穂と幹生は小さく会釈すると、応接室を後にした。

 普通では受け入れられない情報が、目の前に転がり落ちてきた。


「人間じゃ、ない」


 予想していた答えに、和穂の背を冷たいものが伝う。暗闇に一人置き去りにされたような心細さが、和穂の胸を埋めていった。

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