6、佐沼友樹の日記
今回もほんのりとグロ描写がありますが、多分そんなに酷くはないと思います。
5月10日 今度、淳の彼女が誕生日らしい。プレゼントの相談をされた。
茂人が女子に人気の店でバイトしてるらしいから、相談してみよう。
5月13日 パワーストーンのブレスレットか。茂人が一緒に選んでくれるらしい。
5月20日 (何かが書かれた形跡があるが、塗りつぶされている)
5月23日 淳はもういない。
5月24日 夢を見る。あの日からずっと。俺と茂人。淳が呼んでいる気がする。
5月25日 真っ赤だ。
6月15日 凛に話してしまった。
6月16日 どうして、僕だけ。
4月25日 例の店の跡地に、カラオケができるらしい。土地の権利者から、割引券が送られてきた。
もう、あそこにはいきたくない。凛にせがまれ、あげてしまった。
7月9日 凛が……。そうか。僕はもう。
7月10日 君が、好きだったよ。さよなら。
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最初に動いたのは、半狂乱になった凛だった。傘を手放し雨の中に駆け出すと、変わり果てた姿の友樹にすがりつき泣きじゃくる。
何度も揺すり、名前を呼んでも。どろりと濁った瞳は、空虚なガラス玉のように微塵も凛を見つめることはなかった。
どんよりとした双眸が、和穂を射抜く。次はお前だとでも言わんばかりに。
「凛、やめろって……! 尊、救急車!」
一足先に我に返った幹生が、慌てて凛を引き剥がす。凛は友樹の体液や血液に塗れながら、髪を振り乱して泣き叫んだ。
「離してよ! 兄貴!」
凛の白い指が、幹生の剥き出しの腕に行く筋もの赤い筋を引く。痛みで顔をしかめる幹生は、しかししっかりと凛を抱え込み繋ぎ止めていた。
凛の絶叫が慟哭に、そして啜り泣きに変わる頃。
通行人や隣家の人々が恐々見守る中、程なくして尊が通報した救急車と警察が到着した。
和穂たちは、何も言葉を発することができなかった。事務的に作業に取り掛かる救急隊員や警察官を眺め……簡単な事情聴取を受ける。
「親御さんへご連絡を……」
そんな、警察官から凛への言葉さえもどこか遠くに聴きながら、和穂はふと通りに転がる自分の傘を見た。
無残に柄がひしゃげ、所々破けてしまった傘は、激しい雨に打たれている。愛らしいレース模様の装飾は、血がこびりついている。そこでやっと、友樹が持っていた傘にぶつかったのだと悟り。和穂は自然と涙が頬を伝うのを感じていた。
「和穂……」
フラフラと立ち上がった和穂に、彩乃が不安げに寄り添う。
「なんで、自殺なんて……」
「和穂、その手……」
尊の遠慮がちな声に、和穂はゆっくりと自分の手を見つめた。
赤く腫れあがった右手首が、痛々しい。傘が弾かれた時か、尻餅をついた時か。今になって思い出したように痛みを知覚する。
「酷い……折れてないといいけど……」
尊の言葉に、彩乃がついに泣き出す。肉親が目の前で死んだ凛よりはマシだとしても、あまりにも精神を磨耗していた。和穂は泣きじゃくる彩乃を安心させるように手をヒラヒラと振った。
「大丈夫だよ、そんなに痛くないし。それより、凛は大丈夫……かな」
動かすたびにズキズキと脳まで痛みが響く。それでも、努めて明るく言葉を出す。
「病院に付き添うみたい……だね」
尊が救急車の前で毛布をかけられている凛を見て、小さく呟いた。
「……君達、大丈夫かい。後でまた詳しい話を聞きたいから、後日署まで来てもらえるかな。特に君は……一度病院へ行ったほうがいいね。連絡先を」
警官たちに指示をされ、半ば流されるように携帯の番号を伝える。
「この子も一緒にお願いします」
警官が救急隊員に声を掛け、和穂は救急車へと促される。
「アヤ、凛の着替え用意してあげてくれる?」
和穂の言葉に、彩乃が涙を拭いながら頷いた。
和穂は最後に微笑むと、救急車の前へと移動した。
「大丈夫か?」
凛を慰めていた幹生が、和穂の様子を見て尋ねる。和穂は小さく頷くと、力なく微笑んだ。
「私は大丈夫」
「そっか。アヤたちも後から来るんだろ? 俺も救急車乗ってくよ。病院の入り口まで迎えに出てやらないと」
「搬送先が決まりましたので、乗ってください」
救急隊員に急かされ、和穂と幹生は慌てて救急車に乗り込んだ。既に乗り込んでいた凛と、毛布に包まれた友樹。重苦しい沈黙。
救急車がサイレンとともに走り出しても、運転席の隊員がやり取りする無線の事務的な声だけが、どこか滑稽に響いているだけだった。
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和穂が病院から解放されたのは、結局夕方になってだった。
雨足が弱まる気配はなく、傘が壊れてしまった和穂は幹生の傘に入れてもらっていた。
右手はギブスで固定され、包帯でぐるぐる巻きだ。
凛は彩乃が用意した着替えを受け取り、今は合流した両親と一緒にいる。
「……なんだか、大変なことになっちゃったね」
彩乃が病院から駅へと帰る道すがら呟く。
友樹は死に、和穂は右手首を骨折。凛は心に深い傷を負い、彩乃たちにしてもショックを受けていた。
「帰りたく、ないなあ……」
彩乃が静かに呟く。誰も口にはしない。だが、胸に確かに去来するもの。それは恐怖だ。
一人になれば、恐怖で叫び出してしまいそうな。
「……俺、図書館行ってみるよ」
ぽつりと幹生が呟く。和穂もそれに頷き返す。
「そうだね……私もなんか。家にいても色々思い出しちゃいそうで……」
「アヤもいく。いいでしょ、タケルちゃん」
彩乃が懇願するように尊を見つめる。
「うん、そうしようか……」
尊が頷き、進路を図書館へと変更する。何かしていないと、友樹の最期が頭を掠めるのだ。
「雨、早く止まないかな……」
彩乃のささやかな願いを聴きつつ、和穂は雨で良かったと思う。
少なくとも、あの真っ赤な……流れ落ちる友樹の命が、この雨で洗い流されるだろうから。
もしも往来に血溜まりが赤黒く残れば、きっと凛はそれを見るたびに傷つくだろう。和穂は傷つく凛を、これ以上見たくなかった。
「全部、流れてしまえばいいのにね……」
和穂のつぶやきは、隣を歩く幹生の耳に届いていたらしい。幹生は僅かに目を細め、そして小さく頷いたのだった。




