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3、流転

 悪夢にうなされて目が覚めた。決まって何かに追いかけられる夢だ。

 鬱々とした気分が払拭できないのは、忘れたくても忘れられない凄惨な光景と、夢のせいだ。


「おはよー」


 まだ朝だというのに、うんざりするほど教室は暑い。いつも通りの時間に登校した和穂は、朝の挨拶を交わすクラスメイトたちを尻目に何度目かの溜息をついた。


「おはよう、カズ」


「……凛」


 和穂の席の斜め向かい。凛が疲れきった顔で声をかけてきた。


「おはよう……」


 和穂が返事を返すと、凛はゆっくりと微笑んだ。その微笑は、どこか諦めのようなものを孕んでいる。


「……アヤ、休むって」


「そっか……」


 和穂もまた、笑おうとして頬が引きつるのを感じる。忘れたいのに、忘れられない。都市伝説めいた「紅の魔術師」が本当に身近に迫っているのではないかという恐怖。

 何も知らない人間が聞けば、荒唐無稽だと笑うだろう。「それは私たちには関係のないことさ」と。

 そう、昨日までの和穂たちのように。


「やっぱり、紅の魔術師なのかな?」


 誰かの言葉に、ざわつく教室。誰かの噂話に、クラスメイトたちが口々に自分の推理を語り合う。昨日までなら、凛は真っ先に噂の中心へ飛び込んでいったに違いない。だが今は、その会話を耳に入れたくないというように、震えながら耳を塞いでいる。


 ふと、和穂は自分の携帯が僅かに震動していることに気がついた。届いたメールは、幹生からのものだ。

 教室を見渡すと、幹生はまだ登校していないようだった。


「……はぁ」


 溜息をつきながら画面を操作すると、すぐに昇降口まで来て欲しいという内容だった。

 和穂は少し迷い、隣の席のクラスメイトに声をかける。


「ねえ、凛が調子悪いみたいだから、保健室行ってくる」


「ん、いってら〜」


 噂話に夢中なのか、軽い調子で返される。和穂はゆっくりと立ち上がると、震える凛の肩を叩いた。

 びくりと肩が震えるが、凛は和穂の顔を見て安堵したように微笑んだ。


「ちょっと来て」


「え……うん」


 戸惑いながら立ち上がる凛とともに、和穂は真っ直ぐ昇降口を目指す。既にホームルームの時間が近づいているからか、廊下に生徒の姿は少ない。


「どこ行くの?」


「昇降口。幹生が呼んでる」


「え、ミッキーが?」


 紅の魔術師について聞かなくてよくなったからか、凛も少し落ち着いたようだった。


「何の用だろうね」


 和穂はその問いには答えず、階段を降りる。すぐに昇降口が目に飛び込んできた。


「来たか……」


 そこにいたのは、幹生と尊だった。その組み合わせに、どうしても嫌な記憶が想起される。


「……どうしたの」


 和穂は二人を見つめながら尋ねる。隣に立つ凛も、訝しげに二人を眺めていた。


「タケル」


 幹生が促すと、暗い表情で立っていた尊が口を開いた。


「アヤが……いなくなったって」


「え……?」


 思わず漏れた間抜けな声に、和穂は慌てて口をつぐむ。


「アヤ、今日は休むってメールくれてたけど」


 凛が慌てたように言うと、尊がゆっくりと頷いた。


「……気分が悪いから休むって言ったんだ。で、俺が学校に着いたら母さんからメールがきて、制服でふらっと出かけて行ったって」


「コンビニに行ったとか……」


 自分でもそれはないと思いつつも、和穂は言葉にする。


「昨日……アヤはとても怯えていて。一人になりたくないって泣くから、母さんが仕事休んだくらいなんだ」


 尊の話を聞き、和穂と凛は顔を見合わせる。


「どこへ行ったんだろうな……」


 幹生も顔色が悪い。和穂は意を決したように、口を開く。


「……ねえ、みんな。夢を見なかった?」


「……カズもなの?」


 凛が怯えたように後ずさる。幹生と尊は静かに頷いている。


「何かに追いかけられる夢。アヤもなのかな……」


 和穂の言葉を聞き、凛が泣きそうな顔をする。


「あたしが……カラオケ行こうなんて言わなかったら……」


「凛、そうじゃない。それより、アヤの行き先を探そう。本当にコンビニに行ってるだけかもしれないし」


「そうだね」


 頷きあうと、上履きからローファーに履き替える。念の為、彩乃の携帯へメールを入れておくのも忘れない。


「まずは……駅の方へ行ってみよう」


 和穂の提案に他の三人は頷くと、強くなり始めた日差しの中へ足を踏み出した。

 通勤ラッシュを過ぎた街は、あまり人通りが多くはなかった。それでも何台かのパトカーや警官とすれ違うことから、昨日の事件が本当のものだったのだと思い知らされる。


「まさか、あのカラオケに行ってないよね……」


「わかんないよ」


 凛の呟きに、和穂が首を横に振る。正直、和穂としては二度とあそこに近づきたくはない。だが、責任感の強い彩乃ならばどうだろうか。自分が目撃したことを伝えるため、舞い戻る可能性はないだろうか。

 責任感が恐怖を上回ること。そうあることではないが、彩乃であればあるいは。


「……行ってみるか」


 幹生も同じことを考えていたのか、表情は暗いもののそう呟く。


「アヤならそうするかもしれないね」


 尊も頷く。凛は少し嫌そうにしていたが、それでも渋々頷いた。

 数分歩き、カラオケボックスが見えてくる。人だかりと、聞き込みをする警官。黄色いテープ、ブルーシート。

 あまりにも昨日とは様変わりした光景に、思わず足がすくみそうになる。

 遠巻きに彩乃の姿を探していると、和穂はあっと声を上げた。


「アヤ」


 和穂が指差した先には、パトカーに乗せられている彩乃の姿があった。


「本当にいた……どうする? 警官に話す……?」


 凛が震える。警官に話すということは、昨日あったことを仔細に話す必要が出てくる。思い出したくないことを話さなくてはならないことほど、苦痛なことはないだろう。


「……俺たちは行くよ」


 幹生と尊だ。ややあって、和穂と凛も頷く。


「私たちも行くよ」


 四人は近くにいた警官を呼び止め、昨日カラオケボックスを利用したこと、今パトカーに乗っている彩乃も一緒だったことを話した。警官は驚いた顔をしていたが、すぐに刑事を呼ぶから待つようにと言って走り去った。

 しばらく待つと、スーツ姿の中年男性が警官と共にやってきた。


「君たち、あのお嬢ちゃんと一緒に居たんだって?」


 スーツ姿の男性が、手帳を確認しつつ尋ねてくる。和穂たちは頷きながら、不安そうに男性を見つめた。


「……うん、そうか。まぁ、ここだと暑いだろう。ちょうどお嬢ちゃん……彩乃ちゃんだったか。彼女も署に移動してもらうところでね。君たちからも話を聞きたいんだが」


 ここまでくれば、断る理由もなかった。和穂たちは頷くと、促されるままにパトカーへと乗り込んでいった。

 尊と凛は彩乃の乗るパトカーへ。和穂と幹生は別のパトカーへ乗ることとなる。

 冷房の効いた車内に座ると、少し緊張を覚える。


「じゃあ、出すからね。シートベルトしてくださいね」


 運転席に座る警官に言われ、和穂と幹生はシートベルトを締めた。程なく野次馬に見送られながら、和穂たちを乗せたパトカーがゆっくりと走り出した。

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